雑記 50 / 近況、「日本現代うつわ論4」途中経過
仕事を終えて帰ろうと思ったら突然のスコール。一昨日の雷雨で店の置き傘は出払ってしまったから身動きが取れない。
それならばとnoteを開いてみたら「しばらくあんた書いてないでしょ」という通知が来ていた。
「日本現代うつわ論4」用の原稿を書かなきゃいけないからこのnoteの更新頻度を落とそう、と決めてからみるみるうちに筆不精を発揮してしまった。
7月も20日を過ぎたというのにまだ一度も更新していなかった。三日に一回くらいは書くつもりでいたのに。
とはいえその間毎日、何かしらの形で『日本現代うつわ論4』のためのことは進めている。とある文字起こしをしたり、仕事が終わってから打ち合わせをしたり、自分の論考を書き進めたり、それにまつわるような話をしたり。しかしながら三ヶ月近く毎日書き続けたおかげできっと今回は筆が進むだろう、と期待しながら取り掛かってみたけどさっぱりだった。毎日いろんな芸術作品を徹底的に鑑賞しながら、自分が書くべきことを考え続けている。眼で見ることと、考えること、そしてそれを文章にしたときにそれぞれがバラバラになっているような気もする。自分は正しく自分の言わんとすることを掴めていないのか、あるいは言語化の能力が足りていないのか。
そんな時に限って、さらっと書いてしまった一言二言の事実関係が気になってしまって調べ物を始めてしまう。そんな照合は最後にまとめてやったら良いのに、手が止まってしまう。それを明らかにしておかないと自分の考えていること全てに不安になってしまう。
自分が手をつけた範囲があまりに膨大で、予定の文字数に収まるわけもなく、どうしたってどこかに無理が生じる。どう圧縮するのか。そしてそのロングバージョンはいつ書くのか。などなど。
と思いながらでも書き続けているとなんとか出口は見えてきた気がする。間違った出口で出直すことになるかもしれないけれど。行きたいところにはいけるでしょう。
ここまで何一つ具体的なことを書いていない。ダラダラと不親切だ。
最近は『大槻香奈の芸術お茶会』のお勉強会に毎度出演させてもらっていて、ここで話したことや話しきれなかった諸々が、すごい勢いで自分の抱いている感覚と知識のネットワークを再構成している感じがする。
特にこの二回は自分にとってもいろんな発見があった。
まずは自分で思っている以上に僕は焼き物が好きであること。
次に自分が思っている以上に焼き物の世界にやっぱりイラついていること。
さらには「工芸」全般に対する疑念や憤りがあって、その上で僕は今の仕事と『日本現代うつわ論』に携わっているということ。
同時にその苛立ちは愛情の裏返しであること、など。
大槻さんファンの方がメインの視聴者なので、芸術全般に興味がありつつ絵画は好きで焼き物には興味あってもよくわからない、という方を想定してレジュメを作った。そうすると自ずと、自身の視点にどのようなバイアスがあってかつ一般的な見方とズレがあるかを思いしらされた。その上である程度一般向けに寄せてはいるけれども。有料配信だからこその話も差し込んだ。
これを経てみると、自分が今書きたいと思ってしまった大きな話は、自分自身が根本的に、子どもの頃から気にかけてきた問題だということにも気づく。そりゃあまとまらないよね、と。それでもやるべきことをやってできる限りのことをする。そうしないと次の一歩にならない。
それはさておき、先の配信2本は充実した内容になっていると思います。
「〇〇焼」といっためんどくさそうな蘊蓄を抜きにして、目の前にあるうつわそのものとどう向き合って鑑賞したら良いか、みたいな話を僕はしたかったのです。結果として絵画でもそういう見方ができるような話でもあります。うまくは話せてなくても、まぁ講演会とかじゃなくてお茶会なので。だからこその内容だと思います。余談ですけどお茶会のポテンシャルは計り知れないですよ。その意味はこのチャンネルを購読すると分かる、かもしれません。