『死んじゃいけない星』の『死んじゃいけない星』
カントが言うには美的判断とは主観的で個人的なものである。しかしそこで判断された「美」は普遍的妥当性を持つものであるが故に、他者への共感を求めることになる。私による「美しい」という判断は同じ時代に生きるあなたへの共感を求める。
『死んじゃいけない星』は非常に力強く、シンプルに「美」と言い切るにはもっと特殊で個人的な感情を想起させながら、しかし同時に普遍的な強さを持っている。カントなら「崇高」と言うのかもしれない。字面からの印象は異なるけれども、そうした名状しがたい何かを強く提示してくる。
タイトル通りに受け取るならば、ここに描かれているのは「死んじゃいけない星」だ。この少女は少女の姿に見えるだけで他の何かであるかもしれない。その背後に何か大きなものを背負っているのか、Mother Natureであるのか、あるいはもっと別の自然的な何かを象徴しているのかもしれない。もしくは鑑賞者にとっての非常に個人的な何かを、それとも誰かのものすごくパーソナルな祈りが描かれているのかもしれない。
確実に言えるのは「この作品には力がある」ということ。
誰もが知っているモチーフ(制服の少女、青空、入道雲と飛行機雲)を使って、誰も説明できない感覚を強く想起させるとは不思議な作品だと思う。
表情をじっと眺めていると、何か得体のしれない強い感情がこちらにやってくる。この画像では伝わりきらないくらいに、原画だととにかく強く訴えかけてくる。それを鑑賞者はどう受け止めるべきなのか。その受け止め方は全員異なるはずでとにかく強く、自然的だ。それでいてその強さは普遍的妥当性の備わったものではないかと感じる。
この作品を最初に眺めた瞬間に、大槻さんの作家デビュー作品を思い出した。
初期の作品では自然的な大きな存在、母的な物事を少女の姿がイメージの上で重ね合わさるものが多くある。(ほぼ画集でしか見たことがないけれども)
『日本現代うつわ論3』でのインタビューでは「やがて母になる少女」を描いていた、と言う発言もあった。この「やがて母になる少女」あるいは「母」を誰がどのように救うのか。その問いへの一つの回路として「蛹のまま成熟する」という祈りもその後の作品で示される。必ずしも蝶にならずとも、未成熟なまま大人になることへの肯定。
そして先日のインタビューでも語られていた今のテーマとして現れてくる「子どもたちに夢を見せること」。
母、少女、蛹、家、人形、うつわ、夢、といった大槻作品のキーワードが全て繋がりながら、何か未来に繋がるための現時点では未解決なビジョンを「死んじゃいけない」という言葉とともに突きつけられる。
間違いなく、大槻香奈という作家の歴史において重要な位置付けがされる作品だと思う。マスターピース、というべき作品。「原点に戻る」ではなく、原点に近い角度から現在の技術と視点で語り直しがされているようにも感じる。
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自分自身の鑑賞メモとして、手掛かりになりそうなことを僕は書き連ねている。答えではなく、わからなさを浮かび上がらせ、うつわの形を知るために。
会場にいらした皆様と交わす言葉の数々から、そういったことを感じたり考えたりするのはとても幸福な行為、いわゆる役得です。
そうしたコミュニケーションの数々から作品の価値を作り上げ、そして誰かの手に委ねることが僕の仕事です。
ぜひ皆様会場にいらして、何を見て、何を感じたのか教えて欲しい、そう切に願います。