見出し画像

『大槻香奈の芸術お茶会』感想と再告知

たぶん肋骨にヒビが入ってしまった。
ソファに座ったまま、そばに積んである本を取ろうとしてバランスを崩し、手すりに胸部を押しつけるような姿勢となり、角で圧迫してしまったのが数日前。ここだなってポイントを押すとなんとなくキシキシいってる。以前にもやってしまったことはある。放っておけば治る。痛むけれど別に気にならない。
主観的な痛みで苦しむ、というわけでなく「自分の身体が痛みを持っている」という、どこか他人事というか、傍観しているような感覚の方が強い。くしゃみをしただけで痛むのも笑えるし、誰かと喋って笑ってるときに、人知れず痛むのもちょっと楽しい。
風邪をひいても大体そんな感じだ。コロナに罹患したときも「なるほど、こんな感じか」という思いの方が強かった。
自分の身体に関しては、そういう乗り物というか容れ物で道具、という感覚が昔から強くある。

などとぼんやり思う数日を経て、5月25日(土)に配信された大槻さんの芸術お茶会・七菜乃さんゲスト回をアーカイブで見た。

写真家であり特殊モデルでもある七菜乃さんは「富士山のように」ヌードを撮る。女体を単なる美しいうつわとして、風景として捉えて撮影する。

『日本現代うつわ論1』でお二人によるインタビュー記事も掲載されている。

https://ymskpublish.base.shop/items/78733167


非常に強い美意識と、身体という「うつわ」を自然的に捉える視線、根本的な感受性そのものが、七菜乃さんの表現をそのまま直接「芸術」として基礎付けているように思う。
対象物として、身体に備わっている美には強い興味を持ちながら「もっと人に興味をもって欲しい」と近しい誰かに言われてしまうその感受性に、七菜乃さんの作品を芸術たらしめる力が備わっているのではないか。
そこに共感する大槻さんもやはり、自身の向き合っている対象を芸術に仕立て上げてしまう技術の持ち主で、二人の言葉を借りるなら、どちらも革命家気質なんでしょう。
芸術家でありながら、表現そのものに対する革命家であることは本質的でありながら茨の道。
非常に大切なことを語りながら、それでいて楽しいお茶会、番組タイトル通りの「芸術お茶会」だった。こういうを見たかった。

お二人ともフェミニズムとは全く異なる文脈で、「女性」という表象を通じて人間性そのものを描き出す表現をされている。その意味でこれからの未来において重要で必要な感受性の現れではないかと思う。

とにかく僕のような人間が書いても何も伝わらないし本編はめちゃくちゃ面白いのでみんなとにかく見ましょう。


そんな流れで明日5月27日(月)のお勉強会配信にお呼ばれしている。ある側面においてはハードルが下がり、別の側面では上がったような気がする。
みんな大好き「芸術におけるオリジナル」の話。
楽しくやりますのでぜひご笑覧ください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?