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雑記 38 / 『DROPs』

個展にもグループ展にもそれぞれの良さがある。
個展というのは基本的にその作家の、その瞬間の全部だ。もちろん意図的に「全部」ではなく見せる場合もあるだろうし、厳密な意味での「全部」なんて表現することも展示することも不可能なんだけれども。しかしながら取り扱う人間の立場として、少なくとも僕はその瞬間の「全部」であるという前提で展示を行うし、その「全部」を余すところなく展示したり、限りなく「全部」に繋がるように展示構成を考える。そのくらいのエネルギーを注ぎ込んだ個展なんて、作家の生涯のうちに何回できるだろうか?もしかしたら一度もできないままに終わる人もいるかもしれない。だからこそ個展は特別なもので、その覚悟でこちらも臨む。

グループ展にはキュレーターの視点が介在する。それによって作品は、作家の手から少しだけ離れる。作家の意図そのままではない形でそれぞれの作品が関係しあう。個別に見たらバラバラの作品たちが、何かをとっかかりにして、それまで存在していなかった物語を紡ぎ始める瞬間はとても心地よい。
多層なモノローグをポリフォニーに変化させられるかどうか、込められた祈りの形を最大化することができるかどうか。個展とは全く異なる形で、作品が別の可能性へと開かれていくのがグループ展だ。


白白庵では6月8日(土)より企画展『DROPs』を開催中。
梅雨の季節の企画展、恵みの雨を想い、初夏を称える展覧会。
「雫」というテーマに7名の作家と華道家・山田尚俊氏が織りなす生命讃歌。
古代ギリシアで「万物の起源は水である」と述べたタレスの直観は今もまだ有効射程内にあるのではないか。水は起源でありながら、揺蕩い流転する。常に形を変え、我々の身体を通過し、世界のあらゆる場所に宿る。
その雫一滴はかつて私であったものであり、そこにはかつて存在したあらゆる誰かを通過した一滴でもある。
来る盛夏への予感を示す、梅雨の空気は同時に生命活動そのものを促す可能性でもある。苛立ちと不安と希望が入り乱れるながら生命の解放へと向かう。雫一滴はその全てを孕む。

「雫」を筆頭に「雨」「水」「梅雨」というキーワードを想起させる作品が並ぶ。各作家が自身のテーマとそれらのイメージを絡めながら制作した作品たちは、個別の存在でありながら、同じ方向に向かって物語りを始める。
それぞれの語りに耳を傾けながらの設営、そして出来上がった空間から感じられる重層的な祈りによって空間は心地よく満たされています。

ということで今回の企画展は6月16日(日)までの開催です。
山田尚俊氏の装花は会場に魔法をかけています。青が眼に心地よく、花の姿が空間を全く別物に変えています。花の在り方で、ギャラリー空間が全く別物となるのです。
素晴らしいのでぜひ会場にて体感してください。



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