雑記60 / 息子の誕生日が過ぎて
息子が八歳になった。
この八年の間に会っていない友人知人の顔が脳裏をよぎる。本当にあっという間だ。今はSNSを覗いていれば、そこで繋がっているみんなの様子はなんとなく伝わっている。ような気がしている。
だから会うとあんまり久々という気もしないし、すぐに昔のままに話ができたりする。
昔のままに話せないような場合、昔もそれくらいの噛み合わなさで過ごしていたのだろう。思い出はいつも美しい。
もちろんその八年の間に出会って、驚くほど親しくなった人たちもいる。長い時間をかけてじわじわと適切な距離感を作っていくことも、歳を重ねれば時の方が加速していくから、実感としてはあっという間だったりもする。
そんな話じゃない。かわいい息子の話をしようと思ったんだった。
最愛の我が子も、一丁前に自我を持ち、父への対抗心を見せるようになってきた。
本もよく読んでいる。これも父へのライバル意識が入り混じっているのかもしれない。食事中でもトイレの最中でも読んでいる。自分も昔そうだったし、行儀は良くないけれどもとりあえず読みたいうちはとことん読めばいい。際限なく好きに読んでいられる時間なんて、とても贅沢で幸せなことだ。羨ましい。たらふく読んでくれ。
最近では学習参考書とか辞書みたいなものを読み漁って僕の知らないことも教えてくれるようになった。昔、両親が僕を外部ストレージのように細々としたことを覚えさせて、短期記憶処理装置のように使っていたことが懐かしい。子どもの物覚えが良いと、次第にそうなっていくのかもしれない。
今日は「「今」って何?「今」って思った瞬間にそれは過去になるんでしょ?」「未来もすぐ「今」になって過去になるんでしょ?「今」はないの?」と言っていた。センスがある。その道にはあまり進んでほしくない。
誕生日にはNintendo Switchのゲームソフトを欲しがった。親類からも続々とプレゼントが届く。彼の叔母から届いたイクラ食べ比べセットには特に笑顔が輝いていた。
便乗してドラクエⅢのリメイクを買った。ちょうど彼くらいの年頃にSFCバージョンをやった。今やオルテガ側だ。
彼の性格診断は数十年前の僕と同じく「いっぴきおおかみ」だった。妙に嬉しい。令和の八歳児には、人の家の箪笥や壺を漁る行為が受け入れられないらしい。「え、そんなのダメだよ!」といいながら「でもあそこに何があるのか気になる・・・」と隅々探索している。
次に八年すぎると彼は高校生か。その次の八年後にはもう希望に満ちた青年になっているはず。あっという間に過ぎる普通の一日が明日も続く。