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0528 完璧に100%の存在。
目に見えて衰弱しているシャー。
昼間は、リビングで仕事をしているわたしの膝にのってくれたりもした。
トイレに失敗しても、相変わらず主義は揺るがない。頑固でタフだ。
日が落ちかかってきた頃、呼吸時に鳴るふがふがという音が気になり、見ると鼻が詰まってるのが苦しそうだった。
猫は鼻呼吸なので、このままでは窒息してしまうかもしれないと怖くなり、ぬるま湯で湿らせたタオルと綿棒で拭き取ろうとしたら、どこからそんな力が湧くのかというひどく激しい抵抗にあい、ごめんね。もうしないよ。と謝ったのだが、その後シャーは一段とぐったりしてしまった。わたしが体力を奪ったのだと落ち込んだ。
精一杯生きているシャーと併走するんだから、泣くのは禁止にしていたんだけれど、脱力したようにくたりと横臥して、これまでになく懸命に呼吸しているのをはじめて目にして、どうしても涙が止まらなくなった。
ごめんね。
シャーの身体の温もりを感じたくて、覆い被さるようにして、ぽろぽろ水滴をこぼしていたら、突如シャーがむくりを起き上がり、頭をしっかりあげて、前脚をわたしの腕にかけてきて、じっとわたしを見つめていた。
泣かなくてもいいよ。
ではないと思う。
泣いてもいいよ。
少しずつ力が弱くなっていても、まっすぐにわたしに向けられたシャーの目はそう言っていた。
以前にも同じようなことがあった。
3年ほど前、母を看取ってからしばらく経った頃、わたしはふいに号泣することがあった。何かの拍子に押し込めていた感情が溢れてしまって、自分のなかのものを吐き出すように涙が止まらなくなるのだ。
そんなとき、いつもシャーが音も立てずにそばにきて、わたしをしっぽでなでてくれたり、じっと見つめて、ただただ受け入れてくれていた。
いまもわたしをただ、そのままに受け入れてくれている。
わたしをそんなふうに受け入れてくれる存在はシャーが初めてだったし、もうこれからは現れないだろうと思う。
わたしには、ペットでも、家族でも、仲間でもない。うまくいえないけれど、100%の存在なのだ。
なにひとつ嫌だと思うところもない。すべてがわたしに完璧だ。そんなふうに思う存在もいままでいなかった。
おいていかないで。
ほんとうはそう叫びたい。
叫んでもいいよ。
そんな目で今日もわたしをじっと見ている。
ほんとうにありがとうね。
でもさみしいよ。
でも今はそんなことめそめそ言ってる場合じゃないんだ。できる限りのことをシャーに返していかなきゃ。
なにができるんだろう。
そのことばかり考えている。