サブカル女子だった川本さんと、童貞だった俺
大学2年生の11月、高校のクラスメイトの川本さん(仮)と飲む機会があった。高校生の頃の川本とは稀に喋るくらいで、一緒にファミレスで勉強したり頻繁にLINEするような仲ではなかった。どういうきっかけかは忘れたが卒業間際から仲良くなり、お互い別の大学に進学した後も数ヶ月に一度会う関係になっていた。大学生になった川本はサブカル系お洒落女子を地で行っていて、そういった雰囲気に興味があった自分は彼女に誘われてカフェや居酒屋やバーやシーシャやら、色んな場所に連れて行ってもらった。back numberやRADWIMPSしか知らなかった僕は、彼女から様々なアーティストを教えてもらった。マイヘア、クリープハイプ、ヘルシンキ、tricot、andymori、カネコアヤノ……当時はサブスクが流行り始めた位の時期だったので、彼女が教えてくれた音楽を貪るように聴いていた。
ここまで読むと「友達から恋人になるまでの一番楽しい期間を過ごしている二人」に見えるが、そうではない。
当時、僕と川本にはお互いに好きな人がいた。僕は大学進学を機に県外に行ってしまったクラスメイトの女子のことが忘れられず、川本は同じバイト先の先輩のことが好きだった。僕たちの会話は好きな人の話題で埋め尽くされていた。「この前インスタでメッセージしてくれた」「バイトの終わり一緒に帰ったけど、ご飯行きたいって言えなかった」「ご飯行こうって言ったら『皆でなら!』って断られた。死にたい」「もうすぐ向こうの誕生日だから重すぎないけど本気度が伝わるプレゼントをしたい」
口を開けば好きな人の話をし、それに満足すると「難しい恋をしている私たちだけど、いつか絶対幸せになろうね~」と励まし合って解散する。それが僕と川本だった。
進展も好転もない、何の成果も得られない不毛な会話のラリーだったと今でこそ冷静に思える。ただ当時の青山と川本には似たような状況に置かれた戦友が必要で、傷を舐め合う時間が自分たちを救ってくれていたのも確かだ。
その日のことはよく覚えている。お互いの大学の中間にあるターミナル駅で待ち合わせ、ラーメンを食べ、HUBでお酒を飲んだ。御馴染みのHUBレモンとジントニックをJサイズで注文し、それが空になると季節限定のカクテルを頼んだ。覚えたばかりの煙草に火を付けながら「好きな人のことが好きだけど、でもそれは自分が関わっていないその人が好きなのであって、私が関与すべきではない。でも付き合いたい」という理論も何もめちゃくちゃな話を延々としていた。
勿論、好きな人に関すること以外の話もよくした。大学のクラスメイトが気に入らないことや、サークルに馴染めない悩み、一人暮らしをしたいけど首都圏に実家と大学がある状況では難しい事実など。二人の時間を過ごしながら大小さまざまな話題を交わし合っていた。その中でも日常レベルで纏わり付く悩みとして僕が頻繫に相談する話題がひとつあった。性体験の有無だ。
別の友人達と性体験の話が出た際には「まぁ俺はDT青山だからな~!わっかんね~や!ガハハ!!」と無理矢理笑いを誘って場を凌いでいた。ただ大学に入って一年半も経つと周りでDTなのが自分くらいしかおらず、先と同じセリフを放つと空笑いと共に(え、マジで大丈夫かこいつ?)と心配な眼差しを向けられる。当時はホンマにキツかった。挙句、大学の友達に「青山さ、ハタチ超えてDTなの、本当に大丈夫か?」と真剣に危惧される始末。同じ境遇の男が身近に居なかったことも相俟って、当時の青山はDTコンプレックスを拗らせまくっていた。
もう二十歳になった手前、さっさと童貞を捨てたかった。しかし何と言うべきか「初めては好きな人とじゃないと嫌なの…」とDTらしさ全開の信念を携えていた。好きな子とエチーなことはしたかったが、DTを捨てたいという意志を抱えて彼女に告白することには嫌悪感が湧く。かといって好きな人以外と初交渉をする気も起きなかった。何故なら初めては好きな人とが良いから。sそれに好きな人に告白してNGだった場合、DTを捨てたいが為に次の相手を探す自分、気持ち悪すぎないか??でもDTは捨てたいしな………でも好きな人じゃなきゃ嫌だしな………でも彼女に告白する勇気も車もないしな………でも………でも………と答えの出ない問答は続く。そう、僕は所謂DTスパイラルに陥っていたのだった。
自分では到底答えの出ない悩みを川本にぶちまける。それまで様々な話をしてきた二人の間柄では、僕がDTに悩んでいることは公然の秘密だった。一方の川本は前の彼氏と性体験を済ませていた。
その日も「DT、ホンマきつい」と彼女に相談していた。二杯目の酒を飲んで気が昂った僕は「もうこの際誰でも良いから捨てたろかな!ガハハ!!」と勢いに任せて宣言する。川本の「良いじゃん!Tinderで探したら直ぐだよ!」のような、いつもの調子の相槌を期待していた。
しかし、川本は落ち着いた様子で「そうだよね~……」と逡巡に留まっている。明らかにいつもの様子とは異なる雰囲気にDT青山は戸惑ってしまう。彼女は僅かに残るカクテルをひとくち飲んだ後で「じゃあ」と口を開いた。
続く川本の言葉は、DT青山が予想だにしていないものだった。
ここでクイズです!!!
この質問に対し、DT青山はどう答えたでしょうか!??次の選択肢からお選びください!!
(スペシャルヒント:DTの気持ちになって考えてみよう!)
正解は!!
当たり前だろ。DTだぞ。いきなりそんなこと言われても、どう返していいか分からず黙っちゃうに決まってんだろ。気軽に「ほんと?じゃあホテル行く?」とか言えるわけないだろ。ずっと「あっ……えっ……」ってなってたよ。ほぼカオナシだったよ。
当時の僕は、DT文系大学生を地で行っていたので、女友達からの「抱いてって言ったらどうする?」という誘い文句に対する最適解など持ち合わせてなかった。僕はDTだった期間が約22年間あったけど、もし「今までで一番童貞を感じた瞬間は?」と質問されたらこの日の出来事を即答すると思う。
さっきまで息巻いていたDTが一瞬にしてカオナシに変貌したのを目にした川本は「いや、冗談だから!マジになってんじゃね~よ!!www」と、一瞬だけそこに漂った気まずい空気を冗談として吹き飛ばしてくれた。結局その後はその話題が出ることもなく、いつものように酒を飲んで煙草を吸って終電間際に店を出て、そのまま駅で解散した。帰り際に(さっきのこと蒸し返してみようかな?)と頭をよぎったけれど、手持ちのお金が1,000円しかなかったのでそのまま帰路に着いた。大学2年生の11月の出来事である。
昨日の晩、ストーリーを見ていると「結婚しました」というテキストと婚姻届を持っている男女の写真が流れてきた。あぁ、また誰かが結婚したなとアカウント名に目をやると、それは川本だった。
後日談として、川本は件の先輩と付き合うことに成功した。それはHUBで飲んだ日から僅か数週間後のことだった。反対に僕は意中の彼女に二度告白するも、二回ともあっけなく振られてしまった。そのままその恋は終わりを迎えている。
川本が先輩と恋人関係になってからは二人で会う機会は無くなった。ただ、数年に一度だけ高校のクラスメイトも交えた何人か会う際に川本も来ることはあった。僕と川本が卒業後の数年間、よく遊んでいたことは周りにも知られていた。何度かクラスメイトの誰かに「お前らってそういう雰囲気になったこと無いん??」と聞かれたことがあったが、川本は涼しい顔で「ホントのホントに、一回も無かった」と答えるのであった。
画面の中の川本はかつて携えていたサブカルの雰囲気を削いでおり、その代わりに満面の笑みを浮かべていた。隣に写る旦那さんはよく話を聞いていたバイト先の先輩だった。あれから数年が経ち、順調に交際を続けていた二人は晴れて結婚をしたようだった。
いつの間にか僕と川本は、結婚の連絡をSNSで知る程度の距離感になっていた。それでも久々に彼女の顔を見ると芋づる式に色んなことを思い出してしまう。吉祥寺のシーシャバー、中野の天下一品、新宿西口の海鮮居酒屋。まだHUBの机で煙草が吸えたあの頃。彼女が持っていた銘柄が何だったかも思い出せない。覚えているのは、当時の自分は彼女の存在に救われていたということ。あんなに鬱屈としたDTの苦悩を、否定もせずに聞いてくれていたこと。彼女が捌け口になってくれていたことで、当時の僕は腐ることなく生き長らえたと思う。
僕を救ってくれた彼女が、今、幸せそうに笑っていることをただただ嬉しく思う。どうか、幸せにお過ごしください。
ただ、あの日。川本の質問に「え、全然抱けるけど」と答えていたら、どうなっていたのだろうか………
そんな答えの出ない問答を、今日も考えるのであった(続く?)