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生きる価値のない人間について

自分のことを生きる価値のない人間だと思うことは今まで何度もあった。クラスに馴染めない、バイトで浮いてしまう、仕事で人間関係をうまく築けない、誰かに嫌われた、何かに失敗した、みんなのように上手くできなかった、そんな時に自分が無価値な人間のように思え、落ち込んでしまう。もう仕事に行くのが嫌になり、体が動かなくなることもある。

じゃあ、自分と同じように人間関係が上手く築けない人や、仕事でミスをしてしまう人や、不器用な人を見た時に、自分に対してそう思ったようにその人に対しても「この人は生きる価値のない人間だ」と思うのだろうか?

自分が失敗したら、この世の破滅だ。と思ったとしても、同じ失敗をした人に対して「この人はもうお終いだ」というふうには思わないものではないだろうか。少なくとも僕はそうだ。そんな時に、自分に対してだけ特別に厳しく悲観的な評価を下す自分の存在に気がつく。

学校教育を通して、真面目に勉強をして、大人になったら毎日きちんと働いて、社会に貢献する人間には価値があり、社会に貢献しない、誰の役にも立たない人間は生きる価値がない。という価値観を刷り込まれてしまっているかもしれない。

大体、人生80年としたら、はじめの20年と最後の20年の半分はほとんどの人が誰かに養ってもらうんだし、働いたとしてもすぐに会社に貢献できるとは限らない。

自分を生きる価値のない人間だ、と感じてしまったら(別に感じてもそれは悪いことではないけど)、どういう洗脳教育によってその価値基準が刷り込まれたのか?まずそこを疑いたいし、そう思うということは、他人を同じ尺度で評価する危険性があることに注意して慎重に考え直したい。

と言ってもなかなか難しいかもしれない。でも「この世の中に生きる価値のない人間なんていない」と考え(例えいるように思ったとしても、誰かが作った枠組みの中での話だと考える)、自分も例外ではなくその一人だと常に思いたい。

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青山
いつもお茶を飲みながら記事を書くので、お茶代をいただけると筆が進みます。多めにいただけると本を購入して内容をよくしていきます。ぜひ。