シン・短歌レッス78
和泉式部の和歌
岩つつじの花が見つからなかったでイメージ。
「背子」は女性から親しい男性を呼ぶコトバで恋人とか夫の意味だという。背中の子だと思っていた。このコトバ自体が古語で和泉式部の時代でもあまり使われなかったという。平安時代は「ひと」が両方の意味で使われたという。今の「きみ」的使い方か?
古今集のこの歌の本歌取りだろうという。「岩つつじ」の歌はもう一首あって、そっちのほうがいいような。
「岩つつじ」は「言はねば」の序詞。『新古今集』に似た歌があった。この歌の本歌取りか?
NHK短歌
今日(2023.07.16)のNHK短歌は内容が濃かった。第3週選者 吉川宏志「ゆらゆら」でリズムの話。最初に前衛短歌の塚本邦雄の変則的リズムの紹介。
短歌の韻律に合わせるとこんな感じだが、結句の「ムズをともとし」のムズムズ感。さらに「し」の連鎖。「し」がアクセントになっているのだな。上句はラップのような。下句は最初と最後に「し」を持ってくるミステリーみたいな歌だ。
そして尾崎世界観の今風の音楽の話。機械的リズムのビートの中で尾崎世界観のビートは後ろに引っ張られるリズムだったり、前のめりになったりしながらな、最後はリズムがあっていく。
そして林家たい平の落語『ぞろぞろ』の話。
「ゆらゆら」
作り過ぎかもしれない。
吉川宏志さん「店員」(7/31)、岡野大嗣さん「?(疑問符)」(7/31)
古今集
「千年の編集者 紀貫之」
『古今集』は紀貫之の歌が一番多く、編者としても四季と恋の二本立てにしてのは紀貫之だという。貫之が勅撰集で後醍醐天皇に命じられ、編集作業の最中、時鳥の初音で歌を詠めと命じられると時鳥の歌を詠んだ。
古今集の編者は四人。紀友則、紀貫之、凡河内躬恒(また漢字読めね~)、壬生忠岑(こっちも怪しい)。その中でも紀貫之の歌は1111首、20巻に部類する全てに納められているという。この20巻に部類を分けを決めたのが紀貫之だという。そして有名な仮名序に『古今集』のテーマが示されている。
後の『新古今集』を編集した藤原定家が、こうの写本を納めており、定家は古典の物語や和歌などのコレクターだったのだ。とりわけ定家は『古今集』を17回も筆写したと言われている。定家があれだけの才能があったのも『古今集』のおかげなのだ。
ただ仮名序に関しては、真名序の方が批評としては優れていて、後から仮名序は書かれたのではないか、というのは、目崎徳衛『在原業平・小野小町』に書かれていた。
『古今集』は現在(紀貫之の当時の)と六歌仙中心の古歌を並べたアンソロジーということだが、中でもその編成が素晴らしいので今日まで読まれているということだ。それは『万葉集』には納められなかった古歌や今の優れた歌を集めた『続万葉集』という成り立ちが示されていた。その中で『古今集』を印象づけるのは古歌よりもやはり新しい歌だったのだ。ちなみに『古今集』の代表的な桜の歌
伊勢の歌は「春上」の最終歌に置かれている。
紀貫之の歌は『古今集』で最も重視された桜の大歌郡をしめくくる歌。
凡河内躬恒の歌は「春下」の最終歌に置かれている。
これらの歌は間近な歌合いであり、もっとも新しいもので編纂の後で付け加えられたとする(よりよい歌集にするために)。そして紀貫之はこのときはまだ30代でありそれ以前には歌を残しておらず『古今集』によって一気に紀貫之の才能が開花していくことになるのである。
また古今集は位よりも才能によって選ばれた勅撰集であり、選歌の歌人もそれほど位が高いものではない。もっとも高い紀友則も「大内記」で宮廷の文書作成の専門職だった。位階は正六位であり、殿上人でもなかった。
また紀貫之が選者仲間を詠んだ歌も面白かった。
凡河内躬恒が貫之の家を尋ねて一緒に月を見ようと言っことに対しての返歌で、月は美しいが疎ましくもあるな。人気歌人のあなたを迎える家はどこにでもあるだろうからというような意味。『古今集』では思ったことを素直に歌にするのがいい手本とされ、それがこの歌なのだ。
また、友則が亡くなったときの挽歌では
このように『古今集』の紀貫之の歌は後世の手本になったのである。
「うたの日」
9時までは間に合わにな。11までの鰹か?「ラップみたいな短歌」にしよう。本歌は『百人一首』7番。昨日(7/19)作れなかったんだ。今日は作るけどまだお題がでていない(7.37)。今日は出さなければ。「題」か「忘」。
お題が全然絡んでいなかった。
これも全然「百人一首」の本歌にはなっていなかった。時間切れ。
これでいいか?思ったように作れなかった。三句目が無かった。波に流されたということで、想像して下さい。♪一つにコメント一つ。
映画短歌
『百人一首』は
「岩うつ波の」は使えるかな。「砕けてものを」か?