シン・俳句レッスン110
スキマ植物
以前スキマ植物の本を読んで、スキマ植物の歌を詠みたいと思っていた。今日の一句は、そんな句だった。
NHK俳句
夏井いつきの回はゲーム性を帯びた俳句道場という気がする。プレバトもそうだし、評価主義的であまり好きではない。それも夏井いつきの評価のポイントが伝統俳句に則っているからそこを見極めた人が有利となる。つまり選者以上の句は読まれることはないのだ。NHK俳句ならどこも一緒なんだろうけど、それが一番学んだことかな。たいていそのルールを後で説明するのが腹立つというか、そういうのを知っている人と知らない人で選考に載るか載らいのかの違いがあるのだと思ってしまう。ゲーム性はいいんだけど、それは競技俳句の世界だよな。俳句甲子園とか。
ただ俳句作りのポイントはわかりやすいから支持を得るのかもしれない。今日は本歌取りの俳句ヴァージョンの方法だった。短歌では和歌から培われてきた本歌取りという手法があるのだが、俳句で言った人はいなかったかな。
まず最初の古池という名詞を4文字を変える。これは蛙も忘れて、ただ四文字当てはめる名詞を探してくる。例えば、読書、踊り子、雑草、ひび割れ、それを古池に当てはめる。
そのなかで好きな俳句を選び、蛙と水だけを残して下五も変える。
その時に上五と下五をイメージの共通性を持たせる。ちょっといいのか悪いのかは判断つかないが、自分の思いなのかなと疑問に思ってしまう。AI的なのかな、そんな俳句はAIにやらせればいいじゃんと思えてくる。
この方法で今週のNHK俳句を作ってみよう。
何を本歌にするかだな。とりあえず『赤黄男百句』から探そう。
赤黄男百句
坪内稔典・松本秀一編『赤黄男百句』から。
「赤い花」で何を思い出すか。単純に薔薇だろうな。今にも嵐でも来そうな予感か?チューリップだったら、幼稚園児を向かいに行く母親とか。「赤い花」のイメージで「猛烈な雲の下」の情景が変わるのか。面白い。赤黄男は戦場をイメージしたようだ。
これは面白い。雪は白なのに「紺々」という。外は雪なんのに眼の前の古典の本で暗澹たる思いなのか?瞳の中に古典が入ってくる息苦しさと牡丹雪のイメージ。もしかしたら和歌だったら優雅な世界なのだが紺々が重たいよな。これで一句考えよう。「電車」だな。思うように出来なかった。
この句から寺山修司の短歌が生まれたのだが、俳句はそれほどでもないな。寺山修司の本歌取りの方が有名。逆に寺山の短歌から俳句を作るとか。
マッチするを他の名詞+動詞にして祖国と身で社会詠俳句を作る。
これは俳句至上一の名句ではなかろうか?こんな句は伝統俳句の決まり事の世界では作れない。赤黄男しか作れない。そこに新興俳句に目覚めた私がいるのだった。
兵隊の宿舎だろうか。棲むが凄惨な場所のような。そこに三日月も冷え冷えと照らす。
虎の眼は象徴。そこに落葉さえも緊張感ある空気が漂っている。これも戦争句なのかもしれない。
寒雷は冬の雷だろうか。「冬の稲妻」というアリスの歌があったな。魚天は魚に稲妻が走ったということだろうか。ポセイドンの怒りか?博(う)ちは博打のような確率ということだろうか?寒雷やと切れ字なので、魚天とは二物衝動ということで別々の意味だという。寒雷が「博(う)」と共通するならば、陸に上がった魚天ということか?キリスト教的な魚かな。
これもよくわからない。火口湖は蔵王のようなお釜だろうか。水が澄んでいるのをみづすましを持ってきただけかな。太陽がひとつ映っているのがミズスマシのようだという解説だった。納得するかな。
富澤赤黄男の言葉に「俳句である前に詩であれ」という言葉が象徴しているように、赤黄男は象徴詩(近代詩)の流れを汲む。だとしたらここで詠まれている「蜂の巣」も季語である以前に象徴なのだ。それが蜜のあふれる俳壇の甘さのようでもあり、「日のおもたさ」という字余りでも赤黄男の主張したかったことがあるのではないか?定形への重たさと言えばいいのか?
例えば「蜂の巣」という季語が持っている子の豊穣性や確固たる家族主義の明るさの中に「日のおもたさ」という働き蜂のせっせと蜜を集める様は象徴として語られる。その余剰の蜜は彼らのものではないのである。
和歌には帰雁という一連の歌があることを知った。渡り鳥だから、春までいる雁は帰趨しないで、その地に留まるのだ。
この歌は帰雁しない雁の歌ですでに花(桜)が咲いてしまっている。それだから曙に鳴く声は孤独の限りであって、惟明親王の孤独が歌われているのである(塚本邦雄『王朝百首)。花と雁は季重なりだが、そうした内面の象徴性があるのだ。
この鶴も象徴だと考えれば、春に帰趨せず取り残された鶴なのである。その背に光の輪は一瞬明るいようだが、鶴は寒冷地を好む鳥であった。その「光の輪」がはたして祝福するべきものなのか?考えさすのである。
鶴は新年の目出度い季語だから、幸福な俳句と詠むならば逆の意味であろう。早春の喜びであると詠むのは俳句脳である。
これも俳句脳だと「青山脈」という夏の季語になるのだ。鉄さびの赤と青の対比だろうか?象徴的に読めば「青春の門」である。すでに錆びきって開かずの門なのだ。近年は放浪詩人もいなくなり、山頭火のように青い山に分け入っていく猛者はいないのである。そこで立ち止まってしまう錆びた鉄の門があるのだ。その先の自然は青々茂っているのに。
星野立子
『観賞 女性俳句の世界2個性派の登場』から。4Tの星野立子。解説は奥坂まや。
星野立子は虚子の娘でなければもっと独自の道を進んでいったような気がする。かなり反抗的な俳句があるのだが、それが定形に収まっている限り虚子の手のひらに転がされている孫悟空だった。
虚子に言われて最初に作った俳句であった。定形に季語が決まってその中で自由に詠んでみたのか。この中で難しいのが「もさいも」だよな。こんな言葉は出てこない。「もさい」という関西弁なんだな。道理で意味がわからないと思っていたが解説によると「もさい」男の子のままごとなのだそうだ。それが土筆でご飯もおかずも済ましている子供の白い手のクローズアップと春の温かさが感じられるという。本当にそこまでこの第一印象で読めるのだろうか疑問である。まず「もさい」がわからなければ意味に近づけない、ただの俳句になっているのだ。
星野立子にとって俳句はままごとのように日常性と共にあったものなのだろう。その感性なのだと思う。そこからすでに台所俳句という批評にさらされるであろうものが存在していた。ただ天性なものとしては「もさい」という俗語を使った新しさだろう。
星野立子の名句の一つだった。写生の確かさだろうか?「蝌蚪」は「おたまじゃくし」で俳句脳の季題にはよく使われるので、それほど奇異な感じはしない。季題と定形に見事に収まった写生句。「鼻」が生まれたてのオタマジャクシの便りなさを出しているという。もしかして、これは厳密には写生ではなくイメージとして杭が存在したのかもしれない。その杭がなかなか見えないのだ。俳句という定形の杭だろか?
「昃れば」が意味不明。
そういう俳句脳がないと解釈が難しい。つまり俳句は独自の言葉の出どころがあるのだ。それは素人にはわからない。「日陰れば」なら多少意味は汲み取れるのである。それは子供を産んだことへのあともどりという家族のふところに戻るもどかしさが「昃れば」だったのか。
星野立子がチョコレート俳句を詠んでいたんだな。そこはプッシュしとかないと。
この句を知ったときに、立子の反抗心が見えるようだった。虚子は月並み俳句と言って月の世界を排除したのだ。花鳥諷詠は、和歌なら花鳥風月になるのにあえて月をはずしたのは月の句が月並みになるからだった。それを見事に逆手に取って月の俳句を立てたのである。墓碑にしたいぐらいの名句である。虚子が立子と付けたのは「論語」の「三十にして立つ」という三十歳のときの子供だからという。
上句は私的感情と下句の自然との取り合わせ。写生というより心情だよな。客観写生ということになるのか?ものに気持ちを寄せる「寄物陳思」という手法。
この句にも立子と虚子の面影を見てしまう。虚子の大樹からは逃れ得ない鳥なのだろうか?
諦念のような句だな。
短歌的な詩情を詠んだ句で、雛飾りの姿に立子を重ねてみたくなってしまう。
これも和歌の世界観だった。最後の句は寂しい。
俳諧志(守武、)
加藤郁乎『俳諧志』から。荒木田守武
伊勢の神宮だった守武の俳諧だから自虐性があるのか?
其角によって辞世の句だと伝えれれた違うという。神官なのに辞世の句が南無阿弥陀仏ではシャレにならんよな。ただそういう風狂なところはあったようだ。
これが辞世の句だという。
川名大『昭和俳句史』(飴山實、)
このへんは社会性俳句とか戦後俳句とかいろいろ入り乱れて混乱するのだが、その混乱の元になった飴山實だった。飴山實が登場したのは前衛俳句の理念に賛同して(金子兜太の造型俳句の影響を受けていた)、旧世代を批評していくのだが、前衛俳句が社会性俳句として社会主義的イデオロギー化していく党派性(共産党系)から金子兜太らを批判していくのだが、それは前衛俳句の表現形態と社会性俳句の生活形態の分岐を目指してのものだが、今ひとつ社会性俳句の概念がはっきりせずに前衛俳句から伝統俳句側へ転身していくのだった。
飴山實が提起したのは「作者の心音が聞こえる俳句」というなんともあやふやな精神論じみて境涯俳句との区別も曖昧化していく。それは中村草田男と金子兜太との議論から後退したものだったが、理論と俳句はまた別のことで、飴山實の俳句を比較すると後者の方がよくなっているという。
飴山實自身がそうしたイデオローグに染まっていたといたと言えるのかもしれない。
そうしてそうしたイデオローグを取り去れば伝統俳句と変わらないものになっていた。つまり自己批判して転向した俳人と言えるのかもしれない。川名大はそうした飴山實の転身を有言実行ということで称賛しているのだが、それがいままでの中村草田男のいうような精神論と変わらないような気がしてくる。飴山實の弟子が長谷川櫂というのも納得できる。形式と内容の統一という精神論は新古典主義の保守化のような気がしてくる。表現が難しくなっていくのだ。
「あぎと」が普通は理解出来ない。
川名大の解説では「あぎと(顎)」を女性に見立て、しっとり能登の時雨模様に浮かび上がらせているとか。「能登時雨」という音韻も声調が美しいという。そういう感性の問題になってくるので、難解化してくるのだと思うのだ。どこまで難解用語を使ったら勝ちみたいな能力性はAIにでも任しておけばいいのである。その句が共感を得るかどうかだと思うのだが、あ行の音韻がいいかなぐらいだった。意味は近づけないのだから。
そうした流れは飯田龍太・森澄雄という旧世代の遺産を引き継いだ俳人によって強化される。飯田龍太は飯田蛇笏の息子であり、森澄雄は加藤楸邨の弟子系であり、人間探求派を継承していく。その二人を批評で取り上げたのが山本健吉であり伝統俳句化していく俳壇の潮流だったのだ。
戦後派俳人が「龍太・澄雄」という看板が立ってしまうとその他は亜流であって主流にはなれない。目配せをすれば、三橋敏雄や永田耕衣、阿部完市や河原枇杷男もいるのだが、山本健吉は角川の俳人協会のプロパガンダとして、前衛俳句や社会性俳句を祀り去ったと言える。ここに「戦後俳句」概念(理念)の終焉と第四世代の保守化となっていくのであろうか?
俳句の省略
『角川 俳句2024年2月』から、西村麒麟選「省略の効いた名句50句」より。
大晦日の夜の月に雲がかかって残念に思う気持ちだという。雲がかかった月もけっこういいと思うがな。それを「よごれ(煩悩)」と排除する除夜の鐘が許せん!原石鼎と相性が悪いのは予想がつく。
省略は俗っぽさを排除せよということなのかもしれない。
意味のわからない句だが、山上憶良が鹿顔でそれを見たという俳句だという。句跨りなのだが、鹿顔とまとめたほうがわかりやすいな。「懐かしい」が省略されているのだそうだ。「山上憶良鹿顔懐かしき」でいいんじゃね。ぶつ切りに感じるのなら「山上憶良の鹿顔懐かしき」で字余りだが、「やまのうえの」が字余りだし、「の」のリフレインは音韻的にいい。伸び切った顔も鹿顔のようだし。
福笑いの情景の句。何が省略されているのだろうか?それがわからん。笑いか?「福笑い大いなる手に笑い抑えられ」とかの意味なのかな。笑いが重なるから、カットしたのか?
橋本多佳子に似たような祇園囃子の句があった。
両方とも響き渡る(聞こえる)という言葉が省略されて、映画の一コマのような場面なのが共通しているのか?
「しづかにしづかに」の動作が無音の小さき者を表しているとか。単にリフレインの巧妙ではないのか?
十月じゃいけないのか?と思うが師走の近さなのかな。十二月一月と寒さに向かっていく、未来も感じさせるという。
白居易の俳句みたいな感じだ。優雅さはあるな。初めての俳人。山口誓子の妹で芸者だという。
写生句。それがどうした句だけど。蜜柑が季語で聖性かな。蜜柑の匂いが立ち込める。酸っぱい蜜柑なのかもしれない。この人も初めての俳人。この人も實花と同じ芸者俳人仲間。
今日も長くなってしまった。テキストを少なくしたほうがいいな。