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シン・短歌レッスン190




強力ユニット集結、新作発表

『短歌研究2025年1+2 月合併号』から。最近の若い人はユニットで短歌を読むとか、これも大学短歌会の流れなのか。仲間で楽しむ短歌というのは内輪の現れだと思うが孤独に耐えられないのかと思ってしまう。いやむしろそういう短歌の方向性で孤独の中で短歌をやるというスタイルは流行らないのかもしれない。

鼎談「AIとヒトはなぜ歌を詠むのか」浦川 通・睦月 都・大塚 凱

そうなるとAI相手に短歌を読むとかなるのだろうけど、AIが学習するのはネットとかのウィキペディアの情報で、評価はネットのいいねが基準にしているという。それだけでは駄目だというので専門家(ベテラン歌人)の新人賞とかの評価で学習させるらしい。それと朝日歌壇は家族詠が評価が高くなるとか、AIが選ぶベスト短歌は、栗木京子「観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生」で歌人が選ぶ短歌と一緒だった。本人は君は同性の友達で読んだのだが、異性の恋愛短歌として評価が高いようだった。短歌の世界では孤独は通用しないと出たな。

文明災害などの主題(前章のつづき)

大野道夫『つぶやく現代の短歌史(1985-2021) 「口語化」する短歌の言葉と心を読みとく』から。

短歌史の流れとして俵万智以降の口語化とつぶやき(Twitter短歌をイメージしていたのかもしれない。今はXになってしまったが)という社会学調査の流れとしては学ぶべきものがあったと思ったが、途中からヴェーバーの哲学が出てきて啓蒙主義的になる。それは大震災の後の当事者性の問題ということだった。

「口語化」やネット短歌の中で私性が希薄になるのを「私」(作者)≒〈私〉(作品)という日本のあいまいなる「私」的な保守主義に傾きつつある傾向が出てきたのは大震災のあとの当事者性ということが言われたからだ。文学の世界では虚構性は「私」ではないという(当事者性を問題にしないから他者が描ける)当たり前だと思っていた。

啓蒙が悪いと言わないが、その弊害として保守主義に走り全体主義的な傾向になるのを恐れる。ヴェーバーの哲学はマルクスに対しての伝統主義ということでイメージも全体主義に傾いていくような。システム論について、やはりキリスト教的な伝統から抜け出せない為に一つの文化的同一性を求めていくように感じる。例えば穂村弘の短歌。

「あなたがたの心はとても邪悪です」と牧師の瞳にも素敵な五月 穂村弘

『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』

はキリスト教世界への疑問の投げかけと共に「素敵な五月」という日本の風土(アミニズム)を対置していると思うのだが、それはナショナリズム的な天皇制に向かうことではない。

まあ、そうは言ってもますます私性は希薄になりつつあるのだと思う。俳句は私性は消してアニミズムの方向となっているのだがその差異なのか。

ハロー 夜。 ハロー 静かな霜柱。 ハロー カップヌードルの海老たち。 穂村弘

『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』

アニミズムが宇宙的なネット世界へと接続されるとき、それは新たな呪文を求めるようになる。それは五七五七七の定型からリフレインによって定型を外れていく流れがあるのだ。口語化が定型からリフレインを呼び込む新たな呪文化される歌となっているのは注意すべきところかもしれない。

それは例えばコンビニ化によって、パーツ化される身体村田沙耶香『コンビニ人間』に言及しているのだが、彼女の作品に『ハコブネ』があり、それは宇宙と繋がりを示すジェンダーフリーの女性を描いていた。その呼びかけは穂村弘の短歌と通じるような気がする。

「ハコブネ」はノアの「ハコブネ」を降りることだと読んだ。西欧のキリスト教的システムを脱構築させるあり方の模索のような気がした。

とは言っても俵万智以降の短歌を論じていて、短歌史はいろいろ勉強にはなる。ただ著者のいうようには短歌の世界は進んでいないようで、口語のつぶやき化という流れは変えられないと思ってしまう。その中で保守主義的にならずにどう他者と共感していくかだと思うのだが、この辺の問題はもう少し深い議論が必要だと思う。

ネット化によって内輪化が進んでいるのだと思うが、すでにTwitterからXになったことでますます企業化によって個人の欲望が支配される構造をみてしまう。AI化もそうした流れの中にある。最近は穂村弘の批評もオヤジの小言のように感じるというような。啓蒙されることを拒む若者たちの存在は、縦の関係ではなく横の繋がりを重視する。


文芸選評

短歌 テーマ「鬼」
毎週土曜日にお送りしている『文芸選評』。今回は短歌で、テーマは「鬼」。選者は歌人・寺井龍哉さん。司会は石井かおるアナウンサーです。

寺井龍哉は弟がお笑いの大島育宙だった(NHK短歌のゲストだった)。兄はラジオで弟がTVなのか。

そうだ。大野道夫『つぶやく現代の短歌史(1985-2021) 「口語化」でも何か評論を書いていた。「うたと震災と私」で現代短歌評論賞(2014年)に受賞していた。四章「当事者性の問題をめぐって」、五章「私性と公共性」で注目すべき発言をしているという。


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