筋肉をつけたら家を買っていた⑧【回想編:家賃の高い部屋】
家賃の高い部屋のお時間がやってまいりました!
まともな不動産屋さん、まともな管理会社、まともじゃない職の私。
確定申告書の控えを提出してハッタリなしの審査をしてもらった結果、タワマン上層階の一室を借りられることになってしまった。
私は、小説家はギャンブラーみたいな職業だと思っている。
私だったら、こんな胡散臭いやつに部屋なんて貸さないと思っていたのだが……。
とはいえ、収入が不安定すぎる職業なので、いつ家賃が払えなくなって追い出されるかわからない。
ここは舞い上がって大型家具など買わず、慎ましやかに生きよう。
そう思った私は、旧居からニトリのデスクやベッドを引き継ぎ、ほとんどの家具をニトリで揃えた。ニトリ最高。
照明くらいはイカしたやつをつけたいと思ったのだが、照明は無個性シーリングライトが備え付けだった。
天井が高くて自力での付け替えは不可能なので、照明がサービスでつくのは有り難い。
だがなぜか、「ソメイヨシノ」モードと「ヤエザクラ」モードがあり、それぞれピンクと赤になるのだ。メーカーさんいわく、リラックスしてもらうためにそのモードを付けたらしいが、ピンクや赤でリラックスするだろうか……。
何はともあれ、夢にすら見ていないタワマン生活が始まった。
「タワマン」という蜃気楼と実物
「普通の人」は意外と多い。
地域の中でも指折りのタワマンに住むことになってしまった私。
魂の底からド庶民なのもあり、持っている服はファストファッションばかりだ。
高級ホテルみたいなエントランスにファストファッションのやつがウロウロしてていいのだろうかと不安になったが、ファストファッションっぽい人はかなり多かった。
部屋着のまま出て来たと思しきおじさんがキラキラしたエントランスをウロウロしていることもあった。
実は大富豪かもしれないが、とにかく、見た目が完全に「普通の人」の割合がかなり多い。
高層階だが風は強すぎない。
高層階は強風だから窓が開けられないという噂があるが、別にそんなことはない。
台風の時でなければ、窓は普通に開けられる。
これがシーサイドだと、また違うのかもしれないが……。
だが、眺望を気にしてか、私が住んでいた部屋には網戸がなかった。
つまり、外に対してノーガード戦法なのだ。
タワマンの高層階は、虫は出ないのではと思いの方がいるかもしれない。
実は、そんなこともないのだ……。
高層階でも虫は出る。
タワーマンション高層階に住めば、虫とは無縁な生活が送れると思う方がいらっしゃるだろう。
そんなことはない。
奴らはエレベーターに乗ってきたり、人についてきたりして、各階で繁殖したりもするので、虫が皆無という環境はない。
ベランダからハエや蚊が侵入したことがあるし、アブ、ハチ、トンボなどは普通にベランダを飛んでいたことがあったし、外壁でセミが鳴いていたこともある。こんなところで婚活しても誰も来ないぞ、セミよ……。
ただし、頻度は非常に少ないので一考の余地ありだと思う。
因みにゴキブリは6年目にして、ベランダを走っていくところに遭遇した。どうやら、隣家で何かを炊いたらしい。それまで、一切目にしなかったのに。
我が家のベランダは不毛の地だし(ガーデニング? そんなお洒落な趣味はない)、窓も閉め切っているので、彼(彼女?)は我が家をスルーしてそのまま反対側の隣家に逃げて行った……。
タワマンってスゴい!
24時間体制で管理している。
とにかく、管理がちゃんとしているところに住みたい!
管理がちゃんとしている、というところを突き詰めた結果、タワマンに行き着いてしまった。
それだけあって、警備員が24時間敷地内にいる。
タワマンに引っ越しても騒音はあった。
前の家よりははるかにマシだが、真夜中にビートを刻む音や、謎の話し声も聞こえた。
そんな時、警備員さんに連絡をすると見回りに来てくれる。
とはいえ、共用廊下に騒音が聞こえない限りは警備員さんはどうにもしようがないのだが、現地に人がいて見回ってくれるというだけで精神的な負担が少ない。
日中はコンシェルジュさんがいて、住居に関する相談ごとなどを聞いてもらえたのも助かった。
上階からの水漏れがあった時もすぐに駆け付けて調査をしてくれたし、足を骨折した時も何かと助けてくれた。
このマンションのコンシェルジュさんはベテランっぽい方々が多く、ご年配の男性は「執事」もしくは「じいや」的な雰囲気がすごかった。
また、ヤマトの配送も受け付けてくれるので、自宅でサイン本を作成する際、「宅配ボックスに入れてもらったのをロビーまで持って行き、ロビーでサイン本を作ってコンシェルジュサービスに預ける」という技が使えたのだ。全て1階で完結するのである。
確認済みのゲラもマンション内に居ながらにして発送できるので、仕事の面で本当にお世話になった。
事務所として使うのに、非常に優秀なのだ。
共用施設が充実している。
仕事の面でお世話になったと言えば、共用施設の存在だ。
ロビーやラウンジがあるため、版元さんとの打合せもしやすかった。
ゲストルームがあるので、遠方から来た作家さんを泊めることもできた。
フィットネスルームもあるから、すき間時間に気軽にフィットネスができる。
しかも、汗だくになっても自宅ですぐにシャワーを浴びることができるのだ。
とは言ってもこのマンショのフィットネスルームは、隣のキッズルームから侵略してきた子どもたちの無法地帯な遊び場になっていたことが難点だったが……。
健康になった!
すき間風がない!すごい!
すき間風物件で年末年始に身体を壊していた頃と比べたら、快適さは天と地の差だ。
お陰で、健康的な年末年始を迎えられるようになったし、ストレスからくる歯ぎしりで弱っていた歯も人並みに健康を取り戻した。歯ぎしりをしなくなったらしい。
他にも、アレルギー性鼻炎持ちのためか、起床時にくしゃみと鼻水が止まらないという症状に常に悩まされていたのだが、この家に住んでからピタリと止まった。
24時間換気があるし、ハウスダストが少ない環境なのだろう。
眺望がすごい!
タワマン高層階と言えば眺望だ。
自室も例外ではなく、眺望は最高級であった。
地形的に小高くなっているので、階数以上の眺望を味わえるのである。
見晴らしがよすぎるので、わずかにオーシャンビュー(超遠方に東京湾が見える)で、まあまあの墓場ビューだった(雑司ヶ谷霊園とか)。
東京スカイツリーと東京タワーが見え、隅田川花火大会を始めとする様々な花火大会を眺めることができた(ただしすごく小さい)。
だが、一番良かったのは、毎日のようにダイナミックな朝焼けが見られたことや、地上ではあまり見られない気象の変化を観察できたことだ。
眺望が満点なタワマンを一番薦めたいのは、気象クラスタだ。
自然が生み出す空の変化を常に眺められるというのは、最高の贅沢だと思う。
こちらは虹の移動を捉えたものだ。
時間で光源の位置が変化したため、奥にあった虹が手前に移動している。
タワマンってコワい!
タワマンすごい!
そう思って、タワマンに憧れる方もいらっしゃるかもしれない。
しかし、タワマンは良いことばかりではない。
実際に住んでみて、怖いと思ったこともここに記しておきたい。
地上まで徒歩(ダッシュ)17分。
防災意識が高い私は考えた。
万が一、エレベーターが止まって地上まで徒歩で降りなければいけなくなったらどうするんだろう。
「階段で地上までおりたらどうなるんだろう」と心の中で思ったならッ!
その時スデに行動は終わっているんだッ!
気づいた時には、私は高層階の自宅から非常階段へと向かい、ひたすら地上に向けて歩いていた。
だが、なかなか着かない。行動は終わらない。
途中からダッシュになっていたが、全く地上につかないのだ。
スタンド攻撃を受けているのかと思ったら、そういうわけではないらしい。
普通に階段が長いのだ。
私は17分間、下り階段をダッシュで降り、ようやく地上へとたどり着いた。
地面に下りた時には、既に足の感覚はおかしくなっていた。
生まれたての小鹿のようにぷるぷると震え、思うように歩けないのだ。
これはもう、徒歩で自宅まで戻るなんて不可能だ。
停電になったら終わる。
私が住んでいたタワマンは防災意識が高く、年に一回避難訓練をしていたのだが、どんなに避難訓練をしても地上までの距離が縮まることはない。
また、非常階段とエレベーターが隣接したゾーンにあるため、下階の火事でそのゾーンにまで火が回ったら避難ができない。
非常時は確実に詰む。
実際、武蔵小杉のタワーマンションが浸水して停電した時も大変だったし、近隣でタワーマンションが火事になった時も、上階の人達が避難できなかったと聞いた。
高層階は携帯電話が通じない。
引っ越した直後、あまりにもスマホの通話が途切れるので苦労した。
カスタマーセンターに相談したところ、どうやら高層階はそういう傾向があるらしい。
いわく、空は電波が飛び過ぎて拾えないとのことだったが、真実のほどは分からない。
どちらにしても、自宅にフェムトセルを置くことで解決するので、キャリアに相談してみよう。私は無料で借りられた。
「事故」が多い。
タワマンは、高い建物にありがちな「事故」が多い。
私が住んでいたマンションは、「大島てる物件公示サイト」でボーボーに燃えていた。
余談だが、隣のマンションも燃えていた。隣の大規模商業施設もボーボーだし、それなりにニュースになっている……。
因みに、私が住んでいる間も「一件」追加された。
コンシェルジュさん達の雰囲気が重い日があって違和感を覚えていたのだが、まさに「その日」であった……。
「上昇負荷」
この物件に住むようになってから、私はやけに疲れるようになっていた。
年齢のせいかと思っていたのだが、この物件から離れた途端、元気になってしまった。
自分好みの地域に住むようになったせいもあるかもしれないと思ったのだが、この物件のガスの停止や引き払いに行った時、再び異様な疲れが襲ってきた。
どうやら、エレベーターで上層階まで行くのが負担だったらしい。
これのせいか、この物件に住んでからは一日一回しか外出しないようになってしまい、かなりの出不精になっていた。
地上から高速で上昇するのに、何らかの負荷がかかっていたのだろう。
気圧の変化に弱いタイプではなかったのだが、まさかの気付きである。
私は、6年間も「アビスの呪い」を受け続けたということか……。
他にも、タワマンの上層階に住むようになってから、疲れるようになったし出不精になった人がいるという。
同じ階の住民は、隣の商業施設にマックが入っているというのにマックをUberで取り寄せていた。
高層階に住む人間が少ないためか、エビデンスがちゃんと出ていないようだが、タワマン上層階は人体に何らかの影響を与えるのかもしれない……。
本日の取れ高は「かけがえのない経験」
タワーマンション上層階に住んだ6年間は、かけがえのない経験であった。
住んでみないとわからないことが沢山あった。
この経験を作品に活かそう。高い取材費だったけど。
タワマンは管理が最高でサービスが充実していて、何かと助けてもらえる。
それが分かったのは大変な収穫であった。
管理側のスタッフさん達の温かさと仕事っぷりが素晴らしかった。
だが、騒音問題からは逃れられなかった。
それでも、相談することで精神的な負担が和らいだし、防音がそこそこしっかりしているので、ラジオを流すことで騒音を打ち消すという技も編み出せた。
それなりに奇妙な体験もしたが、それはなにかの時にでも活かそうと思う。
このエッセイの最初の通り、体力をつけねばと筋肉をつけた私は昨今の出版業界と自分の仕事の状況を鑑みて、ブクロのタワーマンションを後にした……。