筋肉をつけたら家を買っていた③【回想編:大家さん付き物件】
更新までに時間が空いてしまったが、引っ越しをしたからだ。
無事に新居に辿り着き、60箱くらいあるダンボールを一日で解体し、今は自転車を得て行動範囲が広がり、ダンボールの中身を詰め込んだクローゼットの中身を整理している。本棚の本の並びも乱雑で気持ちが悪いので、クローゼットの次にやりたいところだ。
とにかく、今何が足りていて何が足りなくてどれくらい詰め込めるのかがわからないと何も買えない。
そう言えば、コレクションの鉱物も整理しなくては。棚に入り切れずに溢れているのだった……嗚呼……。
拡がる選択肢。
現在の自分の嘆きはともかく、続きを語ろう。
住宅ローンが組めるとなると、背伸びをすることができる。
だが、金利が上がったり収入が減ったりしてローンが払えなくなると困る。
住宅ローンを組むと、購入物件に抵当権が設定され、返済できなくなったら銀行に持っていかれてしまうのだ。
我が人生、既に一回路頭に迷いかけているが、当時はかなり健康を損なったので二度と同じ想いをしたくない。
「若いうちの苦労は買ってでもせよ」という言葉があるけれど、若いうちなら苦労した結果、どえらいことになってもリカバリーが効くというのもあるのだろう。
残念ながら、私は人生ベテランに足を踏み入れてしまった。フィットネスで多少筋肉がついたからと言っても、リカバリーは効かないだろう。
そう思った結果、万が一があった時にできるだけ無理のないローンを前提に予算を決めた。
リセールという選択肢もとれるよう、資産性がある物件にしようとも思った。
新築や築浅は綺麗だが、新築のバフは築年数を経るごとに爆速で失われていく。なので、新築のバフがほぼ取れている中古物件がいいだろう。
しかも、最近は建材や建設の価格が高騰しているので、価格の割には造りがイマイチ……という物件もある。
新耐震基準が適応されているなら問題ない、くらいの気持ちで探そうと思った。
東京で引っ越しするのは、これで五回目。
私の脳裏に、今まで住んでいた物件が走馬灯のように過ぎるのであった……。
ブラック企業と大家さん付き物件。
私が千葉の山林を出て東京に住み始めたのは、ブラック企業(二社目)に勤めていた時だ。
その会社は、終電ギリギリまで働かされるという地獄のような職場環境であった。
先輩は会社に寝袋で泊まり、同僚は会社が借りているマンションでシャワーを浴び、一週間家に帰っていないなんてこともあった。
私は千葉の実家から通勤していたのだが、それではあまり残業をさせられないとのことで東京に引っ越さざるを得なくなった。最悪の理由である。
東京に引っ越した私は休日出勤を強要され、毎日のように不機嫌で私に皮肉を言ってくる先輩の隣に座り、目の前で女性の先輩が男性上司に殴られてへらへらしているのを眺めながら暗澹たる気持ちで仕事をしていた。
経理さんが世話をしている会議室の観葉植物は、何故かいつも枯れていた。くたびれてまともな思考ができなくなったデザイナーさんが、「身体にいいから植物にもいいはず」と言って飲み残したお茶を観葉植物にぶっかけていたからだ……。
結局、三ヵ月くらいでその会社を辞めてしまった。
屋上に行って、「ここから飛び降りたら、明日出勤しなくて済む……」と思ったのがきっかけだ。
最悪の決断をしなかった理由は、失敗する可能性があったからだ。
失敗したらめちゃくちゃ痛い想いをするだろうし、意志の伝達ができない状態になって延命というのが一番恐ろしいように思えたのだ。
今思えば、あの時生き延びて会社を辞めてよかったと思う。
関係ない話で長くなってしまったが、この時私は、板橋の物件に住んでいた。駅の近くに佇む、小さなマンションの一室である。
東京の大学に通っていたきょうだいと一緒だったので、2DKだった。
この物件、なんと大家さんが1階にお住まいだった。
大家さんは既にご高齢だが、毎日のようにエントランス周りを掃除してくれて、よく挨拶を交わした。
そして、最上階には大家さんのお子さん一家がお住まいだった。
困ったことがあったら、大家さんかその家族にすぐに相談できるシステムだった。
大家さん一家が目を光らせているので、セキュリティも万全だ。
小さなビルのため、全て角部屋なので快適……かと思いきや、外に面しているうちの二方向は隣のビルと接していて、もう一方向は高速道路に接していた。
日が当たらないので、冬はとてつもなく寒い。
そして、唯一空いているのは西側だ。
日没直前に燦々と日光が射す西側に、部屋はない。風呂、トイレの水回りだけだった。
夏になると、トイレが煮えるように暑くなる。
2つの居室はいずれも和室で日が当たらず、冬は吐く息が白くなるレベルであった。
時を経て、私は紆余曲折七転び八起きで再就職し、きょうだいは無事に大学を卒業して実家へと戻ってしまった。
私一人で二部屋もいらない。
大家さん一家はアットホームでいいのだが、もう少しコンパクトでリーズナブルな物件に行きたい。
そう思った私は、意を決して地元の不動産屋へ向かった。
まさか、そこで選んだ物件でとんでもない目に遭うとは知らずに……。