見出し画像

つば九郎のこと。

 まさかこんな形のお別れになるなんて、想像もしていなかった。信じられないし、信じたくない。何かの間違いであってほしいと今でも願っているけれど、髙津監督からのメッセージが公式に発表されたことで、もう受け止めなければならない時が来たのだと思う。

 たかがマスコットに大騒ぎして、なんて感じる人もたくさんいると思う。もしかしたらそう感じるほうが世間一般的な感覚としては普通なのかもしれない。だけど、これだけは声を大にして言いたい。つば九郎という存在は、ただのマスコットではないのだ。

 東京ヤクルトスワローズという球団はいわゆる常勝軍団ではない。たまーーに強いときもあるけれど、基本的に弱い。そしてその弱さが限界突破したときには、96敗や16連敗という歴史に名を残すレベルの負の記録を叩き出してしまうという、なんとも困ったチームである。それによりヤクルトファンは皆、まるでジェットコースターに乗っているかのような激しい感情の起伏を年がら年中味わう羽目に遭っている。そんな哀れなヤクルトファンにとっての精神安定剤、心の支えとなる存在こそがつば九郎なのである。

 チームが強いときも弱いときも、勝っているときも負けているときも、神宮球場にはいつもつば九郎の姿があった。大きなお腹を揺らしながら悠々と闊歩する姿。選手たちと戯れるウォーミングアップ。試合前のお楽しみ「きょうのひとこと」、一度も成功することのなかった空中くるりんぱ———。はるばる福岡から東京までやって来て悲惨な負け試合を見せつけられる羽目になっても、まあつば九郎が観れたからいっか、と思わせてくれるような、それだけの存在価値。圧倒的な安心感。

 試合中に競馬新聞を読んでいるところをカメラに抜かれるつば九郎。
 ビジター遠征のときには相手チームの監督の名前で飲み代の領収書を切るつば九郎。
 子どもから好きな食べものを訊かれて「にんにく ほるもん」と答えるつば九郎。
 たとえ他球団の選手であろうと、怪我や病気と戦うひとにはあたたかいエールを送るつば九郎。
 忘れもしない2017年、96敗した悪夢のシーズン。泥沼状態のスワローズからたったひとりオールスターに選出されたライアン(小川泰弘)が肩身の狭い思いをしないように、リリーフカーにいっしょに乗ってサプライズ登場したつば九郎。
 2021年の日本シリーズ第七戦。自腹で神戸まで参戦し、延長12回に日本一が決まった瞬間ダグアウトから勢いよく飛び出して行ったつば九郎。
 石川雅規投手の200勝を誰よりも願い、誰よりも応援していたつば九郎。

 石川さんが200勝を達成するときのグラウンドにつば九郎がいないなんて、そんなおかしな話があるのか、と思う。ほんとうにおかしな話だよ、つば九郎‥‥‥。

 つば九郎は、毎日毎日どんなときでも欠かさずにブログを更新していた。彼はひらがなしか操れないので非常に読みづらく、誤字脱字も多い。だけどそこにはつば九郎の、選手、チーム、ファン、そして野球に対する惜しみない愛情が詰め込まれていたと思う。積もりに積もった膨大な量の記事ひとつひとつが、つば九郎という一羽の野球人(鳥)の目から見守り続けた東京ヤクルトスワローズという球団の歴史、プロ野球の歴史なのだと思う。普段は畜生ペンギンなんて呼ばれているけれど、選手やコーチ、監督がグラウンドを去るときには、心からの労いと感謝の言葉を綴っていたつば九郎。チームが連敗地獄に陥る中でもファンに希望と癒しを与えてくれたつば九郎。きっとブログの更新はライフワークのようなものだったのだろう。2月3日の記事で止まったまま、もう二度と更新されることはない。ついいつもの習慣でブログにアクセスするたびに、涙が出そうになる。

 自分自身に戸惑ってしまうぐらい、とてつもない悲しみに襲われている。お気に入りの画像や動画を見ていると切なくて切なくてたまらなくなる。選手やOB、親交のあった方たちのコメントを読んでいると涙が出る。近しいところで長年ふれあっていた監督や選手たちの心情を思うと、たまらない気持ちになる。

 つば九郎は現在「活動休止」中である。球団からの発表も「つば九郎が亡くなった」という言い方はしていない。もしかしたら新たな魂を宿してひょっこり神宮に帰ってくる日がくるのかもしれない。だけど———、つば九郎はつば九郎だよな、と思う。あの魂を含めてのつば九郎だと私は思う。だけど寂しい。もうのっそりと動き回るつば九郎の姿が見られないのかと思うと、ほんとうに寂しい。つば九郎は魂あってのつば九郎だという気持ちと、どんな魂でもいいから神宮球場にはつば九郎がいてほしいという気持ちがせめぎ合う。どこかで心に区切りをつけて、球団の選択を受け止めなければならないときが来るだろう。何が最良の選択なのかは分からない。つば九郎という存在はもはや球団経営の根幹にも関わっているだろうし、あまりにもファンに愛されすぎてしまったから。球団側も、ほんとうに頭を悩ませていることだろう。しかしそれでも時間は待ってくれない。新たなシーズンはやってくる。つば九郎がいないシーズンがやってくる。ほとんどのヤクルトファンが体験したことのない、つば九郎がいないシーズン。

 村上宗隆の日本球界ラストイヤーを、チームを引っ張るキャプテン山田哲人の背中を、石川雅規の200勝への挑戦を、そして東京ヤクルトスワローズが再起する姿を、見守っていてほしかった。いつまでも、いることが当たり前だと思っていた。この喪失感が癒されることはたぶん、ない。

 でも、きっとどこかで観てくれているのだろうな、とも思う。あんなに野球が、スワローズが大好きだったのだから。今年は涼しい場所からスワローズの戦いを見守っていてください。るーびーとやきとりをかたてばに。

 

  
 
 
 

 最後の最後までつば九郎として生き抜いて下さった魂さん、本当に長い間お疲れさまでした。あなたがいたから野球を好きになりました。たくさんの笑いと感動とときめきをありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!