2023年6月27日「1円玉のお賽銭はご遠慮ください」
郵便局と銀行の両替手数料が変更されて、1円玉を両替すると手数料のほうが高くなってしまうようになったころ、
いずれ寺社の賽銭箱なんかで低額の硬貨の投入は禁止されるのではないか、
とnoteかどこかで書いたと思うのですが、やっぱり寺社の賽銭箱などでは1円硬貨を受け取るのは迷惑になるということのようでした。
集まれば集まるほど、目方も嵩も大きくなるのはもちろん、両替手数料もどんどん上がってしまいます。大量に集まってしまうところは大変なのではないかと思います。
両替が大変になることで、個人で1円玉が集まり過ぎて困った人も「賽銭箱に入れればいいか」みたいに考えるようになるのでよけいに警戒が必要です。
困った人が何百枚もお金をもってきてしまうので、どんどん「お金持ち」になって困ってしまう。
ドラえもんで「お金がいらない世界」というもしもボックスのif世界のお話があったのですが、まさにあのような感じです。
そんなわけで「賽銭に1円玉はご遠慮ください」というような流れが出てくるのは必然だと思います。
「こちらは神様へのお賽銭として出しているのに、氏子が嫌がるのはなんだかお門違いに感じる」という声も多かったのですが、
お供え物は「形式的な供物」と「実質的な供物」の二種類があるのだと思います。
おまんじゅうとか花を供えるのは、形式的な供物。
世の中にはそなえられたまんじゅうをパクつく神様や、花を喜んで受け取る神様もいらっしゃるのかもしれませんが、
だいたいは時間が経った時点で「役目を終えた」として下げられます。
おもにお金のかたちで供えられる実質的な供物のほうは、実際に社の維持費としてつかわれることで、
実際に寺社が維持され間接的に神様仏様などの信仰を維持することができます。
お気持ちなので形式的な供物でも全然よいと思うのですが、
一円は残念ながらもう実質的な供物からはずれてしまったということで
そこはお気持ちだけ、みたいに考えて賽銭箱に入れるのはこらえるようにしたほうがいいのではないでしょうか。