中卒のソサイチリーガー 〜vol.1〜
こんばんは
私は今ソサイチ関東リーグ3部のチームで代表兼選手をしています。
いつか振り返りたい事、残しておきたい事があるとfacebookに投稿していたのですが年の瀬に何か新しい事をしてみようと思いnoteにも今までのことこれからの事を綴ろうと思い始めてみました。
では題名に沿って少し自分の過去の話をしようと思います。
私は神奈川県川崎市で生まれ育ち幼稚園の頃からサッカーを始めました。
始めた時のことは本当に覚えておらずおそらくですが
近所に住んでいた幼馴染(兄:翼 弟:健太)の翼がサッカーを始めたから何となく一緒に始めたのだと思います。(この幼馴染の兄弟との出会いも全く覚えていないです、、笑)
幼稚園にあるスポーツクラブでサッカー人生をスタートさせて小学生に上がる頃には街のクラブチームに入団する事となりました。
小学生の頃は周りよりも背が大きくて足も少し早かったのに試合に出れないくらい下手くそで
3年生くらいの時に健太が勝手にコーチに「キーパーやりたいって勇貴が言ってます」と言い出した事がきっかけでなぜかキーパーをやるハメになりました。
本当はフィールドやりたいですとも言い出せずにズルズルとやり続けていました。
ですが私にとってこの時のサッカーは友達が居るから行くものでありサッカーが好きだからやっていた訳でわありませんでした。
公園に行く感覚とほぼ同じで毎週末に練習場に行けばたくさん友達が居ておそらくサッカーでなくとも野球でもバスケでも同じ事だったと思います。
しかし高学年になるにつれて周りはトレセン、市選抜、県選抜などに選ばれるようになり少しずつ楽しくサッカーよりも上手くなりたいからサッカーをする集団に変わって行きました。
もちろん中にはただ親がやれと言うからやる人も居れば私のように楽しいから来てる人も居ました。
そしていよいよ小学6年生
チームメイト達は中学生になったら部活にするのかクラブチームに行くのかと進路の話をするようになりました。
私は特に行きたいところもなかったので何も考えていませんでしたが当時のチームメイト何を思ったのか川崎フロンターレのセレクションに思い出受験でもしようと決めてセレクションを受けに行きました。
一緒ならいいかなーと思ったのですが友人はフィールドプレイヤー、私はゴールキーパー会場は別々でした。
そしてセレクション当日
こんなにキーパーって居たのかと思うくらいたくさんの受験者が居たのを今でも覚えています。
そんな中セレクションが始まりましたがどんな事をしたのかは全く覚えていません。
なぜかと言うとそのセレクションの恐らく中盤あたり行ったシュート練習でまさかの骨折、、、
ここがサッカー人生の大きなターニングポイントになりました。
後日病院に行き診察結果はただの骨折ではなく詳しい名前は分かりませんが全治8ヶ月で手術が必要だとのことでその日にいろんな検査をして翌日には手術でした。
当時の私は落ち込むどころか入院にワクワクしていたのを覚えています。
そんなこんなで6年生の頃はほぼ何もできずに過ごしました。
そして怪我明けに唯一残っていたクラブチームのセレクションを受けることになります。
結果はなぜか合格
100人程度受けてほぼ半数が合格するようなチームだったので当然といえば当然でした。
そして6年間過ごしたチームを卒団する日
町内会館の2階で行われた卒団式の最後に1人で1階の隅でシクシクと泣いていたのをよく覚えています。
長くなりそうなのでvol.1は少年編と言う事に
最後まで読んで頂いた方ありがとうございます。