後輩書記とセンパイ会計、 手洗の巨人に挑む
開架中学一年、生徒会所属、有能なる書記のふみちゃんは、時代が違えば日本の神話が語られた最古の歴史書『古事記(こじき)』を記した太安万侶(おおのやすまろ)を手伝う人にだってなれただろう。ふみちゃんは小学生時代、日本の国造りをしたとされる夫婦神、男神イザナギノミコトと女神イザナミノミコトが生んだ神々を細かく調べて、夏休みの自由研究で発表するほどの上級者だったらしい。
もっとも、ふみちゃんの家は神社なので、日本の神話に関してはお父さんお母さんにも教えてもらったのかもしれない。そんなふみちゃんと海辺を歩いている一年先輩の生徒会所属、平凡なる会計の僕は、およそ吊り合わないほどの神話知らずで、数学が得意な理屈屋で、海辺の眼鏡店にふらりと寄って、ふみちゃんに似合うと言われた眼鏡を迷わず買ったところだった。
十月十五日。こっそり――初めて二人で海に来た。
中間テストが終わったのだ。終わったら海に行く約束を誰にも内緒でしていた。
「数井センパイ、私のほうが嘘がうまいです」
そう言って胸を張るふみちゃんは、親に図書館へ行くと話してきたらしい。僕は科学博物館に行くと言って家を出てきた。僕のほうは別に嘘をつく必要もなかった。ただ、海へ行くと言うと、決まって親は「誰と?」と聞くので、お互い一日中いてもおかしくない場所を伝えてきたのだ。
沖に、小さな島がある場所だった。ふみちゃんと海辺の道をのんびり歩くと、ふと小さな石段を見つけた。これを登っていくと何があるとは書いてない。看板もない。
「海を、上から見ようよ」
何気なく誘うと、ふみちゃんはこくんと頷き、楽しそうに石段を先に昇りはじめた。でも、背が小さいから少しずつ昇っていくようにしか見えない。ふみちゃんはいつも通り黒髪を両サイドに分け、白いリボンで結んでいた。今日は海だと言うので、ノースリーブのシャツと紺色のミニスカートに、赤と白のしましまのニーソックスをはいている。
「んんんー、島風が気持ちいいです」
「ふみちゃん、違うよ。こっちは陸だから海風じゃないか?」
見上げると、スカートの丈の短さが少し気まずいくらいだった。いや、これは調子づいて先に昇ったほうが悪い。
「数井センパイ、細かいこと言いますね」
待て、それは僕が毎回ふみちゃんにやられていることだ。まさかやり返したら文句を言われるとは思わなかった。
ゆっくり石段を昇り終わると、そこに背の低い石の鳥居が立っていて、こじんまりした神社があった。
いや、神社というより祠と言ったほうがいいかもしれない。狛犬もいない、神主さんの家や社務所もないところだ。その狭さに似合わず、境内には大きな木が一本立っていた。何の木かわからないけれど、こんな海辺の場所なのに樹齢が長そうで堂々と立っている。何となく、大昔からこの木はここにあって、その根元に昔の人が小さな神社を建てたような気がした。
とりあえず手を合わせに行こうとすると、ふみちゃんが腕を取って僕を引き止める。
「どうした?」
「数井センパイ、先に手を洗いましょっ」
ふみちゃんが僕の手を引いた先――境内の脇に、屋根のある手洗い場があった。これは手水舎(ちょうずしゃ)と言うらしい。鉄製の龍の像があり、ちょろちょろと口から水を吐いている。確かに神社に来たらよくこういうもので手を洗ってるな、と両手を桶にザブッとひたした。
「数井センパイ……ち、違います。全然違います」
「ん、何が?」
「洗い方です」
ふみちゃんいわく、十月十五日、要するに今日は『世界手洗いの日』らしい。そんな日があるとは知らなかったが、これは、不衛生な水や環境、不十分な衛生習慣から病気になる子どもを減らすために、国際連合児童基金ユニセフが世界各国で定めている日であるらしい。そして、正しい手洗いを知ってもらうために『世界手洗いダンス』というのがあるそうで、センパイこんな感じです、とふみちゃんはいきなり手を振り頭を振り、歌って踊り出した。
それを面白く眺めながらも、神社の手水舎とユニセフは絶対関係ないと確信していた。
「ふみちゃん……関係ないよね」
「あっ……ばれました? えへへっ」
舌をちろっと出す。これがテスト明けのテンションか。テストの手応えは、僕は国語が全然ダメで、ふみちゃんは数学が全然ダメだった。まあ、これは毎回のことだ。
僕は、数学なんて教科書の公式を覚えるだけなんだから問題やれば解けるようになると主張するが、ふみちゃんはあれやこれやの数字や記号が激しく交錯すると混乱するらしい。逆にふみちゃんからすれば、国語なんて辞書を隅々まで読むだけじゃないですか、と言うが、その方法は普通の人と別次元なので、頷くことはできない。
話がまとまらないが、とにかく『世界手洗いの日』はそれはそれでいいんだけれど、手水舎で手を洗い、口をすすぐ正しい作法をふみちゃんに教わり、僕はこれから神社でちゃんと手洗いすることを約束させられた。
「もともと、この禊ぎ(みそぎ)の起源は、日本の神話まで遡るんですよ」
「え、神様が神社に参拝するの?」
普通に聞き返すと、ふみちゃんは口元を押えて笑った。
「数井センパイ、違います。日本の国を創ったイザナギノミコトとイザナミノミコトは知ってます? イザナギが男の神様で、イザナミが女の神様で、日本最古の夫婦です」
「へぇ、神様も結婚するんだ」
「はい、ちゃんとします」
ちゃんとするんだ。それはそれで、手洗いと何の関係があるんだ。神様が家で手洗いをするとか? 家なのか? ふみちゃんの話はなかなかつながりを見つけにくい。
「イザナギとイザナミの夫婦はたくさんの神様を生み出したんですが、最後にカグツチという火の神を生んだとき、イザナミは大火傷を負うんです」
何だか壮絶な展開になってきたな。手洗いと近づいてる感がまったくない。
「そして苦しんだ後、イザナギに看取られながら、イザナミは死んでしまいます」
「えっ、神様も死ぬの?」
「はい、ちゃんと死にます」
ちゃんと死ぬんだ。それはそれで、手洗いとどう結びつくんだ? 火傷を清らかな水で洗う流れかと思ったけど、そうでもなさそうだ。
「イザナギはイザナミが愛しいあまり、地の底にある死の世界、黄泉(よみ)の国まで追って行きます。そこでイザナミと再会し、イザナミは冥府の神に帰る許しを得ようとします。ただ、その間、イザナミはイザナギに見に来るなと約束するんです」
だんだん男神と女神の名前が混乱してきた。理解するため、頭の中で男の【ギ】のほうはギンガムチェックの半袖シャツを着せて、女の【ミ】のほうはミニスカートをはかせた。これでだいぶ整理しやすくなった。髪型はとりあえず僕とふみちゃんだ。ただし、神様だから眼鏡とリボンはやめておこう。
「でも、イザナギは待ち切れず覗き見してしまいました」
「なんか……鶴の恩返しみたいだね」
「数井センパイ、違います。順序は日本神話のほうが先ですよ」
それはそうか。まあ、障子の向こうで反物を織る鶴のことは忘れて、ふみちゃんの話に戻る。
恐ろしい死体の姿を見られたイザナミは怒り狂い、黄泉の醜女(しこめ)というものにイザナギを追わせたらしく、イザナギは山ぶどうやたけのこや桃の木を使ってそれを振り払い、怒ったイザナミは黄泉の大軍を送り、イザナギは十拳剣(とつかつるぎ)で防ぎながら、この世に戻ってきたそうだ。
神様もぶどうとかたけのことか桃とか、意外に安いものを使うな、と思ったが、神話の語られた昔はそれが贅沢品だったんだろうか。言い返されそうだから口に出さないけれど。それで……手洗いはもうどこへ行ったのか。
「数井センパイ、お待たせしました、ここで手洗いです」
そんなに待ってないけれど、脱線してなくて良かった。
「黄泉から帰ってきたイザナギは、イザナミが千人殺す! とすごんだのに対して、俺は千五百人の子どもが生まれるようにする! 一・五倍返しだ! と言い放ち、身につけていたものを全部脱ぎ捨て、川と海が交わる場所で、水の中へ入り、水の霊力で穢れを洗い落としたんです」
「……なるほど、そこで水で洗うんだね」
でも、体を洗ったと言ってるけれど。まあ、参拝に来て全身を洗うのは無理か。
「これが『禊(みそ)ぎ』の始まりです。神社参拝で手や口を清める習慣の起源と言われるんですよ。さらに、イザナギが左目を洗ったら、太陽の神アマテラスオオミカミが生まれ、左目を洗ったら、月の神ツクヨミノミコトが生まれ、鼻を洗ったら嵐の神スサノオノミコトが生まれました。特に尊い三人の神様が生まれたんです。アマテラスオオミカミは後に天の岩戸にこもったり、スサノオノミコトは後に母親イザナミに会いたいと駄々をこねたり、ヤマタノオロチを退治したりします。ツクヨミノミコトは特に何もありません」
「へぇ、特に尊い神様か」
その割には引きこもりとかマザコンとか無気力みたいな口振りの気もするけど、きっと図書館で日本神話の書物を読み尽くしてるふみちゃんに間違いはないだろう。
「数井センパイ、手洗いの大切さがわかりましたか?」
「覚えきれるか不安なくらい――壮大な物語だね」
日本誕生の話だしね。例えば、この話を小学校でよくやるような【手洗いの時間】に先生が話してくれたとして、だからみんな手洗いは大事だよー、と言われても全員静まりそうな気がする。身を乗り出して食いつくのは、それこそふみちゃんだけじゃないかな。
神話の説明が終わり、ふうと息をつく。二人きりの境内には、心地良い風が流れていた。沖に輝く小波を見つめる。ここは入り江らしい。秋だけれどまだ寒くない。
潮の香りでやさしい気分になった。
「島をまたぐほど巨大なやつも、手洗いをするんですよ」
「ん……ああ」
ふみちゃんが隣りで何か言った気がした。というか、猫も顔を洗うんです、くらいの自然な言い方だったので、内容を聞き逃した。
「え? んっ?」
「二つの島をまたぐような巨大なやつです」
どんなものなのか想像しようと思ったけれど、無理だった。話が大きすぎた。手洗いで清めることの起源はわかったけれど、続く話の大きさが手に収まらなくなった。
「えっと、そんなのがいるの?」
「はい、旅に来てます」
「……どこに?」
「ここです」
ということは――ここにそいつがいるの? どこに? 想像するに、二つの島をまたぐような大きさの何かがふみちゃんの見える範囲にいて、僕には何も感知できなくて、それが……旅先で、手洗いをしているの? ただ、見える範囲って言っても、境内から見えるのは広々とした海だけだ。けれども、間違いなくふみちゃんの視線はまっすぐ海に向いていて、神社の手水舎は関係なさそうだ。ううむ。文系の女の子に見えて理系の僕に見えない何かがあるのだろうか。あるとすれば探るしかない。
「ごめん……もう一回聞くけど、何をしてるの?」
「大股開きでこっちにお尻を見せて、晴れやかな笑顔で、海で両手をジャブジャブしてます」
「……それは、何が?」
そこから溢れ出す状況説明は雑だった。普段は瀬戸内海の香川県あたりの海にいて、腰巻一枚で島と島をまたぎながら海水で手を洗っている毛深い巨大なやつが、ちょうど股の間に瀬戸大橋があって、手洗いに邪魔だから引っ越し先を考えて旅しており、何の拍子かこんなところまで来ているそうだ。
「――巨大って、どれくらい?」
「香川県の高松から丸亀へ続く湾をまたぐほどですから、相当大きいです」
このときはピンと来なかったが、後で家に帰って日本地図と定規で直線距離を測ってみたところ、高松市と丸亀市の直線距離はだいたい二十五キロくらいで、その二つの間にある坂出市のところに瀬戸大橋がかかっていた。
ついでに、興味本位で瀬戸大橋の距離を調べてみると、約十三キロあるらしい。つまり、香川県の海辺で手を洗っている巨大なやつというのは、瀬戸大橋の二倍くらいの大きさは確実にあって――いや、正確にはその二ヶ所の地点に大股開きで立っているのだから、瀬戸大橋の二倍どころではない体の大きさだ、と計算できる。
理論上。
あくまで――理論上。しかし、そのとき、ふみちゃんと同じ海辺の小さな神社に並ぶ僕には、大股開きで雲を突き、海へ両手をひたすような巨大なものは見えなかった。ふみちゃんが今まで語ってきたものの中で、たぶん最大級だろう。その捉えどころのない大きさのものが、単に、手洗いをしているらしい。そう言えば沖の波が少し荒くなった気もするけれど、海のどこに手を入れているかもわからないので、感じることも難しい。
ふみちゃんは、ちぢれ雲の広がる秋の空をぼんやり見上げていた。巨人の手洗いでも眺めているんだろうか。
「あのさ……何で、手洗いしてるの?」
「手洗いが大事だからですよ」
それって理由になってるんだろうか。
「あっ、数井センパイ! 大股開きの巨人が、さっき私がやった感じのを踊ってます。こっち見てたから、ちょっと真似されました」
ふみちゃんは嬉しそうに笑って、とにかくはしゃいで僕の袖を引っ張った。さっきの踊りとは『世界手洗いダンス』のことだろうか。手洗いの大切さを子どもたちに伝えるために、体を振ってお尻を振って手洗いを楽しむダンスらしい。つまり、それは……一応、僕たちに向けられているんだろうか。
大丈夫です、手洗いはさっきしました。
「ねぇ、数井センパイ、『天橋立』(あまのはしだて)を見るときの決まりって知ってますか?」
「天橋立? 聞いたことはあるよ。でも、決まりは知らないな」
「天橋立って日本三景の一つで、京都北部の宮津湾の入り江にある砂州(さす)なんですけど、神々が架けた橋って言われるんです。古い和歌にもたくさん詠まれるくらい昔からあったんですよ。その天橋立を、天に架かる浮き橋のように見るためには、こうやって股から覗くんです」
ふみちゃんは両足を広げ、上半身を前に曲げ、しま柄のニーソックスの股の間から顔を出し、話しかけてきた。今日はミニスカートであることを忘れてるのかな。海風がいたずらをしそうで、下手に直視できない。目を逸らそうとすると、ふみちゃんが股覗きの格好で呼びかけてくる。
「センパイ、あの手洗いの巨人も、ちょうどこんな感じですよ」
これは、僕も一緒にしたほうが無難だ――ということにふと気づいた。気づいて良かった。そうしないと僕はこのまま股覗きのふみちゃんと話し続けるところだった。僕も体を前に曲げ、青く澄んだ景色を見る。二人して馬鹿っぽい格好をしていたが、幸い境内はずっと二人きりだ。
ここは、石段の下に看板もないし、鳥居も低くて下から見えないし、このまま誰も気づかず、いつまでも二人きりでいられる気がした。
ところで、手洗いの巨人と――今この格好で僕たちは向き合ってるんだろうか。向こうはまだ踊ってるのかな。ふみちゃんが対抗して手洗いダンスを踊りはじめないよう祈るうち、ふみちゃんが身を起こしたので僕もそうした。ふとももの筋が伸びたせいか、妙な心地良さが残った。
「股覗きなんて不思議な風習がありますけど、天橋立も国づくりの神話とつながりがあるんですよ」
「さっき話してたイザナギとイザナミの?」
「はい、『古事記』では、イザナギがイザナミの住む地に通うために天と地の間に長い梯子をかけたと書いてあり、ある日、イザナギが眠っている間に、その梯子が倒れて、天橋立になったという話があるんです」
「へぇ……ほんと壮大な夫婦だね」
「壮大な夫婦です」
ふみちゃんのはしゃぎ具合が減り、落ち着いてきたので、僕は海の様子が気になって尋ねると、手洗いの巨人については、手を洗って気が済んだらしく、またどこか旅に出てしまいました、と言った。
参拝が済んだ後、二人きりの旅の結びに、ふみちゃんが説明してくれたのは、この神社の大木のまわりを二人で回るといいことがあるかもしれない、ということだった。幹にはしめ縄が結んであり、確かにそばに寄るとご利益がありそうな立派さだ。
「いいことって何?」
「そうですね、幸せが増えるんです」
普通の答えだったけど、縁起を担ぐって大体そんなものかな、とも思う。
じゃあ、回ってみよういうことで、早速ふみちゃんから細かい手順の説明があった。言った通りにやってくださいね、と強く念を押された。
僕は内心ふみちゃんが先にやるのを真似したい気持ちだったが、これは絶対に僕から始めないといけないらしい。とにかく素直にふみちゃんの要望を聞き、大きな御神木を前にして、知らない儀式をやってみることにした。
第一声は、まず僕からになっている。
「やあ、ふみちゃん、テストはどんな具合だった?」
……台本通りだが、何でこんな始まり方なんだろう。
「はい、私は勉強をだいぶ頑張って参りましたが、ひとつ足りない教科があるようです」
ふみちゃんがいつものことをやたら大層に答えた。
「そっか。僕も勉強をだいぶ頑張ってきたけれど、ひとつ余分な教科があるようだ」
台本はふみちゃんが用意してきたものだけど、余分な教科って何だよ。まあ、とにかく言われた通りに続けた。
「そこで、僕の余分な教科で、お前の足りないところをふさいで、一緒に頑張ろう。それはどんなことか、わかるか?」
これって数学の勉強を教えることかな。ううむ。
「はい、よろしいですよ」
ふみちゃんが嬉しそうに頷くと、それから太い御神木のまわりを周った。僕は木の左側から、ふみちゃんは木の右側から回り、半周して出会ったところで台詞を言うのだ。ふみちゃんにもらったメモを確認し、頭の中で繰り返してから、ポケットにしまった。
目が合った。少し緊張したが、いざ、僕が先に言う。絶対に間違えず、ゆっくりと。
「あな……にやし。えおとめ……を」
ちゃんと言えたからか、ふみちゃんはパッと笑顔が咲き、張り切って答えた。
「あなにやし、えをとこを!」
何かのおまじないなのか、それとも古代の言葉だろうか。ふみちゃんは台本を出すときに顔を赤くして、もごもごと口ごもっていて説明が雑だったから、帰り道、何の言葉かもう一度聞いておこうと思う。
何となく言葉の音の響きで【乙女】や【男】と言ってるのは感じた。これを周ると幸せが増えるってのは、縁結び的なことかもしれないと思うと、急に照れくさくなる。
「えへへへ」
先に照れたのはふみちゃんだった。目の前に自然にすっと寄ってきたので、僕は戸惑いながらふみちゃんの小さい体を抱き締めた。あったかい。ふみちゃんも腕を回して抱きついてくる。かわいいなぁ、と思って髪を撫でてあげると、んんっ、と身悶えして僕の胸で頭をぐりぐりした。
「……数井センパイ、ちゃんと合ってましたよ」
「うん、間違えたら、違いますと言われそうだからね」
こくん――と小さく頷いた。
「神様がくれた、大事な言葉です。良かった」
顔を上げたので、潮風にそよぐ前髪をちょっときれいに揃え、少しかがんで、やさしく唇を重ねた。もう夏の勢いではない。大切な思いを込めて、キスをした。
石段を下りて、海辺の道に戻り、何となく手をつなぐ。前に山道で階段を下りながら手をつなぐ世界さんと英淋さんの後ろ姿と思い出したのだ。一緒にいたい人と、ちゃんと一緒にいること。手の温もりがつながることは、信頼の証しだ。そんなわけで、ふみちゃんと進展があったと言えば――それなりにあったと僕は思う。
ただ、得体の知れない巨大なやつに手洗いを励行されたわけだし、家に帰ったらしっかりこの手を洗わないといけないだろう。ふみちゃんも真面目だからそうすると思う。洗面所で小踊りくらいしそうだけど。でも、ふみちゃんを家の前へ送るまでは、できれば手を離したくない。そんなことを思いつつ、二人きりの旅の残りを楽しみながら、潮風に見送られ、ふみちゃんとまったり帰るだけだ。
(了)
各話解説
第四作目「手洗の巨人」は、恐るべきインパクトの挿絵を抜きに語ることはまず無理でしょう(笑)。
私が転勤で名古屋に引っ越し、仕事一色の日々を送っていた頃、「ふるさと怪談トークライブ」のお手伝いが縁で、名古屋の妖怪サークル「怪作戦」の三人と知り合いました。彼らの作る妖怪写真集・妖怪画集は、本気と戯れの絶妙なバランスで、妖怪に関する造詣も相当なものでした。その妖怪写真集の中で私が大好きなのは、本作で題材に選んだ『手洗鬼(てあらいおに)』なのです。そこで、「怪作戦」の三男であり、日本屈指のベスト・テアライニストと目される蘭陵亭小梅さんに挿絵をご協力いただきました。江戸時代の妖怪画が好きな方にはきっとたまらない浮世絵風で、ふみちゃんと手洗鬼の共演が果たされました(笑)
作中で語られるように、手洗鬼は、現在の香川県の高松と丸亀という二十五キロ以上ある二地点間をまたぐ、いわゆるダイダラボッチの一種とされる巨人で、江戸時代の奇談集『絵本百物語』に描かれています。今日、その二点間には瀬戸大橋があるので、手洗いにはきっと邪魔で仕方ないだろうと思い、物語の着想を得ました(笑)
また、神社での手洗いの起源を紐解くと、日本最古の歴史書「古事記」に遡ると言われます。ちょうど二〇十三年は伊勢神宮の式年遷宮の年にあたり、国つくりの物語に触れる機会もあって、「手洗い」というキーワードから男神イザナギノミコトと女神イザナミノミコトの物語を結び付けました。奥深い日本神話の魅力が伝われば幸いです。
ちなみに、「古事記」に詳しい方であれば、話の終盤でふみちゃんが数井くんを何の儀式に誘っているか、思い当たることと思います。興味がある方は「古事記」の現代語訳を読んでいただけると、ああ、そうか、とニヤニヤ顔で、さらに物語の愉しみが増すことと思います。
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