不二先生の処方箋 根比べ
若い女性の奇病を専門として少し名の知れた先生がいた。名は不二という。医者でふじなど縁起でもないが、先生の場合は関係ない。年は三十過ぎと若いのだが、面相は恐ろしく老けている。近所の年寄り達も「先生、具合はいいかい?」と労わってくれるほどだ。
先生の扱う奇病はだいたい怨念が原因である。丑の刻参りやら水子の霊やら口裂けやら若い女性を見舞う災いは数多いが、その日はいささか珍しい客人が訪ねてきた。日傘を差した深窓の令嬢である。うっかり触ると汚れがつきそうなほど繊細な白い肌。問診票を見ると青森から来た人だった。それで女性特有の奇病となると、さては狸の仕業かしらと先生は疑った。
「……昼間は何ともないのです」
婦人は絹のハンカチをきゅっと握り締め、終始顔を赤らめている。
「青森からいらしたんですね。失礼ですが、新婚ですかな?」
「まあ、どうして分かりますか?」
「この手のものは、その手のものでね――」
カルテをひと通り書き終えると、先生は婦人に奇病の名を宣告した。
「奥さん、寝太りという病いです」
「ねぶとり……えっと、あの、お、お薬はあるのでしょうか?」
「待ちなさい。貴女もここがどんな医者かまったく知らずに来た訳ではないでしょう」
「……はい」
先生は穏やかに続けた。寝太りとは、昼は普通の体だが、夜になり寝床に入ると体が数倍に膨れあがる病いだ。寝ている間本人に自覚はない。起きれば当然元通り。もし婦人が一人寝なら大きな布団の用意だけで済むが、この奇病は結婚間もない婦人が狙われる。原因は狸が家に恨みを持つと言われるが、狸を獲らない最近は、恨みでなく単に悪意のある色狂いの狸だろう。青森では『ねぶた』という夏祭りが有名だが、ねぶたは「眠たし」が語源と言われる説があり、睡魔が訪れると災いに見舞われる怪現象はこの地方では起こるのだ。
「まあ、旦那さんもお困りでしょう」
「……理解のある人ですので」
婦人はきゅっと唇を噛んだ。おそらく昼間しようと思えばできるだろうが、身なりからして良家に嫁いだと見え、さすがに姑や使用人の耳目がある時間に破廉恥なことはできまい。
「対処法ですが、治療に二月はかかります」
「そ、そんなに!」
トン! 先生は長い指でカルテを叩いた。
「我慢なさい。この病いは根比べです」
婦人は静かに頷いた。新婚の夫のことを想う胸中は察する。
「青森のご自宅から行ける由緒ある寺院を紹介します。そこに蝋燭を毎日一本ずつ奉納して、二月きっちり続けてください。山中にあるので少し歩きますが、途中までは車で行けるので」
「……山中……ですか」
「治す方法を、言いましたよ」
そして処方箋を渡した。お祓いの蝋燭六十本。仏具屋で買うよう書かれていた。
二月後、少し日焼けした健康的な顔で、再び婦人が不二先生を尋ねてきた。寝太りの症状はもうすっかりなくなったという。先生は穏やかに笑顔を返した。根比べと言ったが、その通り、確かに根比べなのだ。狸の悪さ、旦那の忍耐、婦人の運動不足の。
蝋燭など仏壇に上げるごく普通の蝋燭である。
(了)
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