
脳と名言1:アクティブ・ハピネスの重要性
しあわせは歩いてこない
だから歩いてゆくんだね
ワンツーワンツーとリズミカルにはじまる、水前寺清子さんの『三百六十五歩のマーチ』は、1968年にリリースされた曲。僕も生まれていない。(笑)それでも、よく知っているし、懐かしく感じるし、そしてハッピーにしてくれる大好きな曲。
脳をあれこれ学び、人生をあれこれ歩むと、ますますこの歌の重みがずっしりと胸に響いてきます。
この歌から、「アクティブ・ハピネス」の重要性を再認識。
アクティブ・ハピネス、聞き馴染みはないと思いますが、文字通り、「能動的な幸せ」という意味になります。
脳的に考えると、我々が幸せを感じている時、間違いなく、我々の内側で、その幸せな感じをもたらす化学反応が起きています。それは、ある特定の脳部位の活動状態や、ドーパミン、オキシトシンなどといった神経伝達物質の放出、それに伴う身体反応、それらの組み合わせと考えられます。
小難しい仕組みはおいといても、幸せを感じている時、「我々の内側で、幸せの反応が起きている」その事実の認識は重要です。なぜなら、我々は、どこか幸せを外部に委ねたり、外的環境のせいにしたりする節があるからです。
「ああ、なんでこんな家に生まれたんだろ」「こんな会社最悪だ」「あいつのせいで、不幸になった」こんな言葉をよく耳にします。確かに、子は親を選べなかったり、外的環境が不幸を導くことはあるでしょう。しかし、一人ひとりの幸せは、どこか外側の世界にあるのではなく、実は自分の内側に潜んでいることの認識は重要です。そのことに盲目であることが、どこか幸せが外的要因であるという認識を強くしてしまいます。
太宰治さんの『斜陽』の一節は、まさにそのことを美しく表現してくれています。
幸福の足音が、廊下に聞えるのを今か今かと胸のつぶれる思いで待って、からっぽ。
「どこからか幸せがやってくるはず」「誰かが自分を幸せにしてくれる」「きっと自分を幸せにしてくれる環境があるはずだ」そのような受動的な幸せ「パッシブ・ハピネス(受動的な幸せ)」だけでは、自分自身で幸せを拾いにいく、歩んでいく、マーチする「アクテティブ・ハピネス」に比べ、幸せを感じづらいでしょう。
目を閉じ、嬉しかったこと、幸せを感じたことを思い出すだけで、ハッピーな気持ちになれます。そう、外的要因がなくとも、幸せが自分の内側にある典型的な例です。そんな幸せの引き出しを自由に能動的に自在に開け閉めできる能力を育んでいくこと、そこに教育の本質、意義があるように感じます。
上皇后 美智子さまのお言葉を、ぼくはどかっと自分の脳に格納して、いろんな取り組みをさせていただいています。
「幸せな子」を育てるのではなく、
どんな境遇におかれても「幸せになれる子」を育てたい。
子どもたちの幸せを本気で考えたなら、ただただ子どもが喜んだりハッピーな環境だけを与えていればいいというわけではなく、学びの文脈で、いかにアクティブ・ハピネスを育むのか、これからますます教育デザインの肝となるでしょう。
実際に、199名にご協力いただいたアンケートを実施したところ、「自分自身で幸せを引き出せる(下図青丸)」「幸せを高めるスキルを学べる(下図赤丸)」というような「アクティブ・ハピネス」の傾向の強い人ほど、実際に幸せを感じやすいという強い傾向が判明しました。(それぞれ、R^2が、0.48と0.34。)

もちろん、あくまで相関性というだけで、完全な因果性を示すものではありません。他にも幸せの重要な因子はいっぱいあるでしょう。しかし、「アクティブ・ハピネス」の重要性を検討するのには、十分な結果ともいえます。
そして、脳の観点からなぜこの「アクティブ・ハピネス」が重要であるのかは、脳が少しネガティブなことに注意を向けやすいというネガティビティ・バイアスと関係しています。Happy Stressという本にも書かせていただきましたが、またNOTEで書きましたらリンクさせていただきます。加えて、「アクティブ・バイアス」をどう育みうるのか、そのヒントも改めてご紹介できたらと思いますが、脳の仕組みから大きく2つの心がけが重要といえます。
ポジティブに意識を向けようと意識する
ネガティブを見ないように意識する
すごく当たり前そうで、1と2は同じように聞こえますが、1をやったからといって、2がなくなる。2をやったからといって1がなくなる関係性ではありません。使っている脳の機能が違いますから、意識して両方を実践することが「アクティブ・ハピネス」を育むヒントになります。
僕の場合、1については、散歩中、仕事の移動中に、キョロキョロと「面白いもの、美しいものないかなぁ〜」とポジ探検を実施したり、カレンダーをポジティブで埋めたり、仕事の仲間とハピディテなる、ハッピーをディテクト(見つける)試みなんかをやっています。
2については、受動的にニュースを見ないように意識しています。あくまで僕の場合ですが、多くのニュースは有益な情報も多いでしょうが、見たくない、ただ見て気分が悪くなるような事件やゴシップ、批判の雨のようなものは個人的には見たくない。
というより、そんななんとなく見ちゃうネガティブなものより、やっぱりもっと好きなものハッピーなものを見たい感じたいと思うから、ニュースは、自分が知りたいものを能動的にとるだけにすると決めています。そして、ぼくは脳や歴史や偉人の歩みや禅や言葉や知りたいことが山ほどあり、ニュースや新聞を見なくて「世間知らず」と言われても全然構わないと思っています。
他にも、大好きなアニメや漫画などもいっぱい楽しみます。お菓子食べたり、だらっとします。ボーッとします。ネガティブな情報を取り込むくらいならその方がいいなぁと、僕は意識しています。(あくまで、個人的な向き合い方で、一人ひとり、上記1、2をどう向き合うかは、フィットするレベル感を楽しく探してみるといいですね。)
「人生は、選択の連続だ」なんてよくいったりしますが、ある意味、生きている間に触れる情報一つひとつ、我々はある程度自分の意識、意志によって選択可能な生物でもあります。もちろん、時に世に流されるように生きるのも生きるのもありかもしれませんが、脳の性質に鑑みると、少し意識的にネガティブからポジティブの表面積が増えるような心がけ「アクティブ・ハピネス」を習慣にしてもいいかもしれません。
お読みいただき、誠にありがとうございました。DAncing Einsteinの青砥瑞人でした。
*上記は、年に1回、DAncing Einsteinの主催する脳レクチャー「HappinessとWell-beingを深く深める」の冒頭部分の内容から抜粋しています。
Picture from