241031 無題_4

 続きです。


 等間隔に並ぶ電灯に照らされた校門から靴箱までの道のりには一人の男がいた。サイズ感はわからない。俺よりはるか大きな存在にも見えるそれは手に大きな楽器鞄サイズのものを持っていてそれを地面に擦らせながら靴箱までやって来る。
「なんだよ、あれ……」
 小さな声が口をつくけどパニックになっている教室ではスージー以外聞いていない。
「なにか……見える?」
「うん……見える」
 その男は覆面をつけていた。胴体に合わせるには不自然なくらい大きな覆面は鳩の形をしていて逆光になっている状態では色までは見えない。灰色か黒? とにかくそんな感じ。
 そこに校舎の方から一人の男が入ってくる。細い棒には半円をかたどった先端があってあぁこれはさすまたかなんか持った警備員だ、よかったなんて思っていたら。
 そいつは楽器鞄だと思っていたそれを振り下ろす。警備員に見える男は倒れる。一呼吸置いて声が響く。
「うわあああああああああああ!!!!!」
 当然こっちまで聞こえている。振り返るとみんなが窓に視線を映している。隠れるようにして見ていた俺達を押すようにして声の正体を見ようと全員が窓にへばりついてそいつを目撃してしまった。
「いった……」
「大丈夫……?」
 押された時に腰骨を床に打った俺をスージーが心配するけど大丈夫大丈夫と言って視線を窓にやる。そこにはさっき見ていたものと変わらないグロテスクがある。俺の横からスージーも観察に参加していたらその鳩覆面は頭を警備員からこっちに動かす。
【始まるぞ】
 おい、まさか。
【全員、死ぬさ。お前の横にいる理想も、お前の近くにいる絶望も、まとめてな】
 これって――。
 俺が気づくより前に教室から男の叫び声がした。
「『コインロッカー・シニア』に殺される! やじゃ!」
 パニックが爆発した。慌てて荷物を持ち教室から飛び出る奴もいれば教室の中で隠れ場所を探している人もいる。その中で俺は窓から身を乗り出してここ以外に人の気配が無いか探る。窓越しにも聞こえる叫び声が一、二、三。学年はわからないけど三クラス分くらいの声が聞こえた。
「スージー、俺と一緒にいれる?」
「え? あ、え? うん」
「大丈夫、俺が守るから。絶対守るから」
 多分俺もパニックに巻き込まれていたんだと思う。こんなに強い言葉を言える自分がいたなんて思ってなかった。道の所に目を戻すとコインロッカー・シニアと思しき男はズンズンズン、ガツンキィガツンキィ! 徐々に近づく金属音で楽器鞄だと思っていたものの正体がわかる。
「斧だ」
 バイオリンやチェロと同じようなシルエットのそれは鉄でできているような重そうな斧だった。俺が声をかけようと視線を教室にやるとほとんどもういない。どうする? こっちを見たならこっちに来るか? 道の部分に目を戻すともういない。
 入って来た、コインロッカー・シニアが。
 服の袖をスージーが掴む。不安と恐怖と色んな気持ちを込めた目が俺を見上げている。俺はその手を強く握る。遠くで叫び声と人の血がパタタッ! 音が聞こえる。
「大丈夫、スージーのことは絶対守る約束する」
「……一緒に逃げよう」
 頷いて、最低限の荷物だけ持った俺達は廊下に出る。腰が抜けて立てない数人が廊下にいるけど俺は彼らの面倒までは見られない。ごめん。
 何も言わず靴箱と反対の方向へ歩き出す。コインロッカー・シニアがこっちまで登ってきたタイミングで下の階に行ってそのままグラウンドを通って裏門へ逃げればいい。もしできなくても古い校舎だし隠れられる場所もある。考えながら歩いていると叫び声に混じって金属音がより大きくなる。俺は階段手前の踊り場で一度様子を伺う。奴が反対側の階段から近づく音がする。早く足を動かせばいいとわかっているのに俺の中で変なゾクゾクとかが走って一目見てやろうとなる。大丈夫、俺は変化しなきゃいけない。俺はスージーを守って逃げる。あれ?
「ああああああ!」
 女の叫び声、男の、女の、女の、男の、男の、男の、女の、男の、女の、女の、女の、女の。叫び声がこだましては消えていく。階段を物言わぬ体がグズズッ! 落ちてきて緑色だけが照った廊下に投げ出される。
 そいつがいた。
 間違いなくコインロッカー・シニアだ。
【来るぞ、お前の隣の奴を殺しにな】
 ……スージーを?
【そうだ。お前が望むものを得られるすべてを、破壊しにやってくるさ】
 ――俺は。
 俺は今の自分がすごいよくできた人間とも思わない。スージーは優しくてそんな彼女を受け容れてくれる場所がたまたまそこにあって俺はそれでなんだか安心して同時に変わらなきゃって自分がすごい恥ずかしくなってただ覚悟も決まらなくて。
 コインロッカー・シニアは叫ぶ。
「ガァアアアァァアアアアアアァッ!」
 叫んで振り回して逃げ遅れた人を斬って殴って殺している。
 俺は、彼女を。
 あいつが、彼女を?
「スージー。逃げよう」
 おい、聞いてんだろ。
「うん、逃げよう」
【お前……】
 俺はやるぞ。
「とりあえずグラウンドまで行こう」
「うん」
【……お前、何を】
 おい、俺はやるぞ。
【何を言っている?】
 俺。
 コインロッカー・シニア。あいつを殺す。
 コインロッカー・シニアは歩き出す。斧を持ってガツンキィガツンキィ! 床に金属が当たっては擦れる音を廊下の端から端までに鳴らしながら叫ぶ。
「ヴオォ、ヴォオオオ!」
「ねぇこれなんじゃ!? 誰か!」
 停電の際にしっかり消えていた廊下で泣き混じりの声が響いて俺の汗も頬から背中へ飛んでいく。暑い夜には非常灯の緑色がざわざわしていて不均等な足音がパラパラ離れては逃げていく。俺はスージーの手を掴んでいるしスージーは強くそれを握り返して俺はこのまま山口県長門を飛び出して逃げたいと思うけどそれじゃ駄目だと考えを振り切って戻す。
 コインロッカー・シニアは俺だ。
 あいつを殺して俺は一度死ぬんだ。
「スージー、逃げよう。グラウンドからそのまま逃げて」
「うん、でも」
「いいから」
 手に感じるお互いの汗に違う感情が混ざる。顔を見て大丈夫って言いたい気持ちになるけど振り返る時間でコインロッカー・シニアは近づくかもしれない。遠くにも近くにも聞こえるコインロッカー・シニアの雄たけびと金属音は走る足を奮い立たせる。いつかに誰かに殴られた傷痕が妙に染みた。
 俺達が到着するより先に何人かの生徒はグラウンドに逃げていて、その中には教師の姿も見える。
「先生! なんで! びったれ!」
「うるせぇ! お前らの面倒なんて見てらんねえよ!」
 黒い豆粒くらいのサイズに見える先生から怒鳴る声が聞こえて死が真後ろにあるのに俺はかわいそうとか愉快とか色んな感情が混ざった顔になる。先生は
「俺はこんな場所来たくなかった! 俺」
 声はそこで止まる。先生に見える縦長の黒い影が横に倒れる。誰かが端末のライトでそれを照らすと、金切り声がこだまする。
「なんで、なんで! 矢なんて何!?」
「スージー、あれ」
 グラウンド前の靴箱まで近づいたところで俺達も教師の詳細がわかる。
「うん、血が浮いてる」
 白い光に照らされた教師は瞳孔を開いたまま半開きの口で絶命していた。その顔には真ん中をポイントしたように矢が刺さっていて刺し口から血がどぼどぼ出る。そこを伝うようにして頭から校舎の屋根に血が浮いていて見えないものを主張している。
 ピアノ線だ。
 足を止めている間に声が近づいていることに気付く。
「隠れられる場所見つけよう。外には出ないで」
 小さく頷く顔はまだ強張っている。返すように強く握りしめると、今度はもう一度大きく頷いた。
 靴箱から横に出て空きっぱになっていた警備室のドアを開けるとそこはもう無人で二人が入った瞬間に鍵をかける。コインロッカー・シニアの足音が靴箱までたどり着いてさっきまで叫んでいた女が引きずるように足を動かす。俺達が観たのはそこまでで警備室にある鍵を持ち出している背中でうめき声と重いものが人の体を叩く音が聞こえた。
「ねぇ! あっ」
 ガスンガスンガスン! 静寂。足音。窓越しに蛮勇を持って逃げていた姿が空気を切り裂く音に貫かれ声かもわからない音を盾ながら倒れ込む。コインロッカー・シニアは俺達を探していた。
 畳が敷かれた警備室には鍵かけの隣に別な場所へ繋がっている木のドアがあって俺達は迷わずそこを開ける。ドアは軋む音を立てて俺は見えていないのにコインロッカー・シニアの視線がこっちに向いたことに気付く。その向こうにはあんまり見ない備品室が並んでいて薄くほこりをかぶった一本道がある。合図するより前に俺達の足は動き出していて警備室の窓を割る音が遠くなる。
 どこかで俺はコインロッカー・シニアに相対する場所を作らなければいけない。スージーもそれに気づいていたらしくて廊下のちょうど真ん中にあった「社会学科準備室」の前で止まった。
「ここに隠れてる。行きたいんでしょ?」
「……気づいてるとは思ったけど、でもなんで」
「転校してきた時より、目がずっと熱くなってる」
 そっか、と笑うとスージーも笑う。彼女の唇が頬に届いて汗ばんだ肌を一撫でする。
「死んじゃ駄目だからね」
「うん」
 スージーは扉を開けてすぐ無音になる。俺はそこから少し離れたところの窓で持っていたカッターナイフを握りしめて窓を思いっきり突く。ガチャン! コインロッカー・シニアの持っている怖さの標的が俺になる確信が走ってきた。あいつを殺して全てから決別するための武器を探すため俺は走りながら部屋を確認する。野球部準備室。開けるとユニフォームに混ざって錆びた金属バットがあって、俺はそれを手にして廊下へ戻る。
 コインロッカー・シニアは待っていたように突っ立っていた。
「おい」
「ガァ……」
「ハスミンか? トレンチコートマフィアか? お前の思ってることはわかんねぇわけじゃないよ」
 赤黒くなった斧を振り上げる。足が震える。武者震いじゃないって自覚できるくらい強がりをしている。
「お前は偏差値とか蟻と一緒で、歪みを直しても新しく歪みが生まれるだけなんだよ」
 コインロッカー・シニアは返り血の飛んだ鳩の覆面で透けた両目を細める。焦点を合わせるように捉えた目つきは俺が持っている得物だって把握している。俺は叫びながら走り出す。
「やってろよ自己満!」
「ガァ!」
 血まみれの体は近付けば近づくほど大きく見える。中肉中背の体のはずなのに壁にも山にも戦車にも例えられそうな体。
 これは俺だ。
 俺が変われなかった先で待ってる未来の環境そのものだ。
 だから。
 先に斧を振り上げるコインロッカー・シニアが振り下ろす。横に倒れるようにして避けたままバットを膝に当てる。うめき声。俺は痛がる背中に向けて思いっきりバットを振り下ろすと、背中から見えるコインロッカー・シニアの呼吸が浅くなったように見えた。一瞬息が出来なくなって焦るようにして喉が細かく震える感触。あぁ、母親と一緒によくされた馴染み深いそれを、コインロッカー・シニアが受けている。暴力を行使すると人はこんなに弱々しくなる。俺はじんじん熱くなる手でバットを握り直しもう一度振り下ろす。断末魔のような声を上げながらしかしコインロッカー・シニアは肘で俺の腹を打つ。緊張で震える下半身は簡単に崩され立ち上がるコインロッカー・シニアを見上げる形になる。焦って立ち上がろうとするけどそこをもう一度蹴られて今度は俺が呻く番へ変わった。痛い痛い痛い! バットが手から離れそうになって慌てて握り直すと俺は上体の体重いっぱいをかけてバットで股間をつく。「ガッ!」酒や薬でただれたような醜い声。一瞬の隙が出来ている間に俺は立ち上がって、制服を脱ぐ。ノースリーブ一枚になって四つん這いみたいな体勢で呻くコインロッカー・シニアの首にそれをかけて背中に足を置き一気に縊りに力を込める。ああああああ! 「ガアアアアア!」俺もお前もまともじゃないけど俺は正しい方向へまともになりたいんだよ。コインロッカー・シニアは体をよじらせて俺の足を滑らせることを画策する。太い足が地団駄を踏む。雄たけびが耳元までつんざかれる。俺はお前を殺さなきゃいけないからずっと叫んでいる。喉のどこかが切れて血が混じった声が濁る。コインロッカー・シニアはずっとそうしていたところで急に力を抜いて俺はバランスを崩される。前に倒れてコインロッカー・シニアの背中と俺の胸が一度だけ交差して二人して転がる。立ち上がるタイミングまで一緒で俺は笑ってしまうけどコインロッカー・シニアも一緒らしい。「ガッ! ガッ!」喉に血が絡まり濁った笑い声がこだまする。先に攻撃したのは俺で金属バットを頭に叩き込むと、硬い骨の感触をほんの少し押すような柔らかさが後を引く。斧の先端の丸いところでコインロッカー・シニアは喉をつく。息ができなくなる。「コヒュッ、コヒュー……」血が糊みたいに気道を塞いで俺はお互いにもう少しで力尽きると確信する。金属バットと斧が交差してバチン! ガキン! 殺陣みたいでフィクションみたいな音が鳴って俺の肘から先が熱くなる。コインロッカー・シニアも一緒に思える。もう刃を俺に刺しても皮膚一枚を切って終わりになるくらいだと思うがそれでもお互いに殺意がある。「ガッ!」うめき声と一緒に頭から俺の腹に当たって来たコインロッカー・シニアはそのまま前進して壁まで俺を引っ張る気だ。痛い痛い痛い! どこでつけたか分からない腹の傷がじ~んとして暗い廊下しかないはずの視界に白い電流が見える。あぁ意識なかった! 慌てて足に力をいれて止めようとするけど振り絞ったみたいなコインロッカー・シニアの前身は止まらなくてついに俺は背中に壁の堅さを感じる。力が出ない。コインロッカー・シニアは服の裏に手をやりごそごそとしてそのままナイフを出す。あぁヤバい死にたくない! 俺は飯を食いたい慣れないようなセックスをしたい誰かと一緒に眠りたい。
 できればそれがスージーやこれから会う知らない誰かならもっといいのに。ただでさえ暗い廊下がより黒く見える。視界のコインロッカー・シニアはもう俺と同じくらいの大きさでその体を目一杯反ってナイフを振り下ろそうとする。
 そのもっと後ろにもう一つ人影があった。
「やっ!」
 スージー。濁音が喉に乾いた風を産もうとして声が出ない。なぁ、なぁ。
「みなせ!」
 水瀬ステイシー――スージーはペットボトル大の瓶を持っていてそれをコインロッカー・シニアの首元から上にシャワーのようにしてかけていく。熱そうには見えないその液体はしかしコインロッカー・シニアの首元から白い蒸気を出して、俺にかかろうとした力が抜ける。振り上げたナイフが手から零れスージーがそれを蹴り飛ばす。地面をかするような音と共に遠くへ行ったナイフはもう見えなくて反撃とばかりにスージーがその水を今度は背中に撒く。
「グウウウッ! グッ! グッ! ガァ……!」
 覆面にかけるとそれを取ろうとするが痙攣する指が言うことを聞かないのかむしろ首を掻きむしるような動作に終始していて俺がそれを呆然と眺めているところにスージーが
「終わらせよう」
 と言ってくる。うん、わかってる。頷いた俺は拘束から抜け出してコインロッカー・シニアの首にもう一度自分の制服を巻いて思い切り締める。痛みを訴える声がこだまする。
「ガァ! ガッ! アァッ……!」
 獣のような声には力が無くなり俺はもうすぐでいいんだもうすぐでいいんだ! って自分を鼓舞しながら全力で制服を引っ張る。反抗する力も俺の力ももうすぐなくなる。我慢比べに負けたら俺もスージーも死ぬ。
 嫌だ。
「あああああああああああああ!」
 肩が抜けそうだ。唇が切れた。頭からぶちぶち音がする。駄目だもう無理。
「あっ!」
 血まみれの手から制服がぬらりと抜けて俺は廊下に腰から倒れ込む。スージーは慌てて俺の近くに膝をついて俺と一緒にコインロッカー・シニアを見つめる。
 大きく見えたコインロッカー・シニアはもう微動だにしなかった。スージーがかけた液体がぷすぷすと音を立て燃え切った炭のように体を黒くしている。首元にはうっ血痕があって体が動こうとする素振りはもう見せない。服のあらゆる箇所がちぎれて肌をあらわにしたコインロッカー・シニアに俺はゆっくりと近づく。もう彼の体からは物音ひとつ立てなくてそれは紛れもない俺の、いや俺達の生存を意味していた。
 鳩をイメージした覆面はもう動こうとしない。俺はスージーに
「いっかい、かお、うしろ」
 とだけ言ってコインロッカー・シニアを仰向けに倒す。覆面に手をかける。もう冷たくなった汗がまとわりついて重くなった布製のそれを頭から剥がす。それは俺にとってのけじめで、暗くなっていく視界ではニュアンス程度の顔つきしか見えなかった。覆面を顔の上に置く。
「みな、せ、俺……」
 体から力が抜ける。痛くない場所の方が少ない全身が固い廊下とぶつかり小さく呻くと口から漏れるように血が出てくる。
「やだ、そんなの……」
 スージーの声が小さくなる。夜は静かに過ぎる。ずっと遠くにパトカーの音がして俺は目を閉じて意識を失う。俺だけが見たコインロッカー・シニアの最期の顔つきは、この町のどこにもいない顔つきでそれは俺にも父親にも森岡夕衣にも大森蓮にも見えたけどスージーとは似ても似つかなかった。
 さようならと息を漏らし俺はそこで眠りにつく。
 暗闇の中で俺に向けて声が聞こえてくる。叫んでいるようにも泣いているようにも聞こえるその声はどこにあるんだろうと考えながら目を開けようとするけど体は動かなくて、そこで俺はこれが夢であることをなんとなく理解する。俺は神経に繋がっている体を動かそうとするのを諦めてその声に耳を傾けるとやっぱり俺の頭の中でしか響いていないらしくてエコーのかかった低い声が頭中に流れだす。
【お前が殺したんだ】
 あぁやっぱりそうか、って予感めいていたものが当たっていて俺はそれに返事をする。
 そうだよ。俺がお前を殺した。
【……まぁ、いい。きっとあの場所でみんな殺してから、お前の父親を殺すつもりだった】
 そうか。でも今の俺はみんなに死んでほしいとも、いなくなってほしい
【……】
 息切れのようでもあってため息のようでもある、荒っぽい呼吸音がまた響く。
 黙るなよ。
【お前が殺しても、そこで物語が終わるわけじゃない】
 わかってるよ。でも俺はお前にはならない。人も殺さないし黙らせたりしない。俺は色んな話を人から聞きたいんだ。
【……】
 なんだよ。
 俺は自分の体の重さを自覚し始める。声はまた響く。
【勘違いをしている。コインロッカー・シニアが俺? そんな化け物みたいな話じゃない】
 ……コインロッカー・シニアじゃない?
 そこに一筋の弱々しい光が差し込む。その光は徐々に光度を増していて俺は自分の体の輪郭をおおよそ把握する。けど俺に見える俺の体はゼリーとか水みたいにぐにゃぐにゃと変形しながらまとまりを持とうとしない。ただ少しずつ二本ずつの手足と胴体、それぞれが形になろうとしている。
【コインロッカー・シニアは終わらないさ。手段はともかく、お前はまたいつか殺し合うことになる】
 はぁ? おいおい、もうコインロッカー・シニアは、お前で、終わったんだろ?
【お前の近くに沢山いるぞ。一人一人殺し合うか? それとも逃げるか? ――いや、そもそも……】
 待ってくれ、まだ考えたい。
 俺は自分の無意識が間違っていたことに気付くけど光は俺の意識をどんどん照らしていく。
【また聞こえるさ】
 じゃあお前はコインロッカー・シニアじゃなくて、きっとお前の声は――。
 そして。ここからはこの町から出ていくまでの話になって、そしてここからも人生は続く。

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