241101 無題_5

 続きです。


 目を覚ましたのは二日経った病院で俺はそこで初めてあぁ生きてた、って安心してそこにいたスージーを泣かせる。病院の窓から外は騒がしくて何かと聞いたら
「世界規模のニュースになってて」
 と眠っている間のことを話してくれた。
 コインロッカー・シニアは東京から山口県長門に至るまでのべ五十人以上を殺して最後は俺に殺された。俺が相対する間に少しだけ考えた疑問は杞憂だったらしくてあの鳩覆面は本当のコインロッカー・シニアだった。写真も病院のテレビで確認したけど俺が見た時とは随分違った顔つきでそれでも遺伝子が証明しているならそうなんだと無理くり納得する。写真に映る彼はどこにでもいる顔と言っても差し支えない顔をしていてきっとこんな事件を起こした犯人だとしてもしばらくすれば忘れられそうなものだった。
 テレビでは事件の収束に伴ってコインロッカー・シニアをより詳しく取材して考える特番が組まれていた。彼は元々山口県長門の生まれでわかりやすい言い方をすれば村八分を受けている親の子どもだった。逃げるように東京へ行って恐慌化ながら非正規の仕事に就職できたもののそのタイミングで片方が死にもう片方が認知症となった。介護をしている中で会社から来た連絡は解雇通知で彼は何も持たない者となり親を放って東京へ帰った。あんな格好で殺人を繰り返していたらもっと早く捕まっていそうなものだけどあの覆面を被ったのは今回が初めてらしく遠くの駅の近くにあるショッピングモールにそれを買う様子が映っていたらしい。そしてグラウンドに放たれた矢とピアノ線はいつ準備されたものかそもそもどうやって最初の侵入で不審者と思われず入って来たのか、日本の治安そのものを揺るがす大事件らしく数百人の警察官があらゆる場所から山口県長門にやってきて日々取り調べを行い、監視カメラから協力者の可能性まで含めて洗い出しているそうだ。それから親を放って、というのはあくまで確定事項から並べた情報らしくて生きていた母親は見つかっていない。コインロッカー・シニア最初の殺人の可能性を含めて今は毎日山に余った警察官がたむろしているらしい。
 怨恨、無差別、ルサンチマン、被差別、色々な可能性がそのジャンルの専門家を名乗る後出し孔明達に言及されていて俺はその全てが違うと思う。十個以上年上の彼に対してだけど彼は俺が辿る可能性のあった道の一つなんだとうっすら思っているし転校してきた直後の俺を見ているスージーならきっとそれにも気付いている。
 日常生活に支障がないくらいになったことを確認された俺は数日後一人で退院してそこでテレビ越しだった情報がどれだけ切羽詰まっていたのかを知る。まだ包帯やギプスも取れていない俺に詰め寄るようにしてテレビ局が来て無数のカメラとマイクを向けてくる。あんまり覚えていないけど一つ一つ答えられるものには答えたしその代わりに顔にはモザイクをつけるようにお願いしておいた。きっと破られると思うけど俺はそれもいつか許せると思う。
 スージーの言っていた「世界規模」は本当で「カントリーハイスクールに現れたジャックザリッパー」とか言われているらしい。写真には勝手知ったる高校が写真で堂々と載せられていて俺はなんだかふわふわとした現実感の無さを持ったまま家に帰った。いつの間にか帰ってきていた母親は泣いて抱きとめてきたけど父親はどこかへ行っているらしく俺はそれも含めてなんとなく知っていた気がする。
 そのまま俺は県で一番大きな警察署へ連れていかれて、犯人扱いをするような部屋に数人の刑事と一緒に入ることになった。刑事は薄くなっている前髪をこねながら
「ではまず、お名前と生年月日を……」
 と聞いてきた。普通に答えると
「そう、ですか……」
 と言ったきり深掘りはせず警察官はそのままいくつかの質問を重ねてくる。
「では事件が起きてから今までのことを教えてもらえますか?」
「犯人には争った形跡がありましたがあなたが行ったものですか?」
「つまりあなたが首を絞めたあと気を失ったと?」
「犯人はなにかメッセージ等は……」
 全てに正直に答えた後に相手が変わり、今度はもっと髪の毛の薄いデニムジャケットの男が現れる。重ねるようにいくつか質問をしていった後にされたのは父親についての質問だった。
「お父様とはもう会った?」
「……いえ、出ていました」
「……うん、そうかそうか」
「……父親に、何か?」
 刑事の口角が少し緩む。きっと引き出しを俺が開けてくれることを待っていたんだろう。両手をさするようにしながらゆっくり口を開いた。
「いやぁね、実際こんな事件をこういう場所で取り扱うことなんてほとんどないって、わかるでしょ? 実際本店の方々が来てわやわやして、うちらとしてもねぇ……自分は出向出向でここにいるわけですけど、一回出世から外れるとこんなんですわ……失礼失礼、いやね、やっぱり自分にも上昇志向というか、そういうのが無いわけじゃないんですけどね……まぁ難しい話ってことはわかってるんですが……」
 俺はその話を最後まで聞くことになる。なんてこともない自分の話と父親についての話だったけど俺にこの人へ変化を促すようなことは言えないからせめて話を聞く。それは残酷かもしれないけど、俺は最後まで聞く。途中で頷く。部屋は徐々に涼しくなっていく。
 さて。今後も数回ここまで来るように依頼された後俺は部屋から出た。外はもう暗くてあの日と同じくらいの色合いになっている。
 警察署から家まで帰される中で運転手からいくつか話を聞いた。森岡夕衣はあのまま助からず死んで大森蓮はひどくショックを受けていたらしい。らしいというのは俺に届いた時点でまた聞きにまた聞きを重ねて得た情報だからでそれでも俺はまぁそうなんだろうと反芻する。俺は森岡夕衣とセックスをしたけどもう覚えていなくて彼女が処女だった記憶くらいしかない。そんな俺がどうこう言えることではないし大森蓮の目に映る森岡夕衣はきっと俺の視界より何倍も綺麗に見えるんだろう。それは俺がこの町に見るものと一緒。ただ大森蓮と俺は同じ町に住んでいてもほんの少し世界の見え方が変わっているだけできっと心の神経のどこかは一緒の構造をしているはずなんだと思う。そしてコインロッカー・シニアの遺体からは複数の薬物反応が発見された。それは覚せい剤であったりコカインであったり幻覚剤であったりそれにスポーツでドーピング検査に引っかかる類のものが数種類というラインナップできっと彼が最後にまともな景色を見たのがいつかは彼自身も把握して稲田朗とのことらしい。そうですか、と一言だけ出して車内はそのまま静寂に包まれる。俺はしばらく聞けてもいなかったピッツバーグの彼をふと思い出してなんとなくそこへの思いを二つの話にリンクさせる。 彼と違ってコインロッカー・シニアはその死を誰からも弔われることはないだろうし俺もそうするつもりは毛頭ないけどしかしコインロッカー・シニアに対して俺は考える必要がある。コインロッカー・シニアは大量殺人鬼でその罪を俺が許せるかとか許せないかとか考える必要すらないが、奴と俺くらい社会的に見て距離のある人間同士でも心のどこかに共通点を考えて、考えて考えていつか理解するようになる。
 きっと世界はその連続で出来ていてそれができない場所で不和が生まれる。コインロッカー・シニアを救えた奴がどこかにいるかもしれないしあの時一番近くで接していたコインロッカー・シニアに対して俺が出来ることは本当に殺すことだけだったのかと言われればそうじゃないかもしれないけど、俺はこのことについて後悔したくない。あのままいたらきっとスージーは殺されていた。海の見える町に彼女はよく目立つ。俺は人を理解したいと思えるようになってきたし俺が今まで許せなかったことについてもこれから許して行きたいと思い始めているがそれでもスージーがどうにかなってしまうのなら俺は許すことを出来なかったと思う。それが俺の甘さであって中途半端さだけど俺はそれを意識的に強く自覚してこれから今になるまで考えることになる。
 傷が治った頃に俺は俺自身の抱える不和を解決するため父親と話しに行く。今に至る最後の暴力と変化が俺一人に降り注ぐことになることを俺はこの時既に予感していた。父親は俺が入院してからその日まで一度も家に顔を出さなかったがそれは方々へのあいさつ回りに時間を使っていたんだろう。俺は最初の呼び出し以降警察署からの連絡が一切来なくなったしこっちの地方でのニュースはもう猫や魚のぬるいものが中心になっていた。そもそも俺が殺したのにその是非自体が一切問われずそれが正当防衛だったのか過剰防衛だったのかすら触れられずあの夜のことが俺の履歴から一切消されたみたいになっていた。
 で、だからなんだ。あの夜圧縮していい瞬間なんて一個もない。
 俺は居間のソファに座る父親に居直る。
「あのさ」
「……」
 地域新聞を見ている父親に俺の声は既に届いていると思うけどわかりやすく無視をしているから誘うように叫ぶ。
「俺が迷惑かけたのか知らねぇけどこっち向けよ! コミュニケーションも取れねえのか! 父親の癖に!」
「……なんだ?」
 ゆらりって音がするくらいの怒気が一瞬で父親の体から立ってその足は俺に近づく。わからないだろ。俺が今まで殴られて蹴られて傷をつけられてきた時も黙っていたのは嵐が過ぎるのを待つ丸太小屋みたいに過ぎ去ればそのまま続いていくと信じていたからで今は違う。
 俺はできることなら「センセイの息子」は嫌だ。
「どれだけやってやったと思ってる!」
 身構える前に腹へ蹴りが飛んで活動不足だった胃を思い切りへこませる。ぐっと胃液がこみ上げる。今までの比じゃないくらい痛い。
「俺は別に、ぐっ……それが、悪いことだってんなら、罪を償ったっていいと思って、やったんだよ……」
「それで俺の立場がどうなると思ってるんだ!」
「立場が無くたって飯は食えるだろ!」
「それは金に困ったことのない子どもの理論だ!」
 会話を切り上げるようにして拳が飛ぶ。鼻っ柱を折るように真正面から叩きつけられたそれで顔の温度が一気に上がる実感がわいて追うように陣中へ沸騰しそうな液体が流れだす。あぁ、俺は今話し合いをしている。今までできなかったことをして、今決別しようとしている。
 グッバイ自分。
「お前が知らないところで問題を起こす度! 黙らせて、握りつぶして、自覚はあるのか!」
「自覚はあった! でも、俺は、俺はそんなんじゃなくてさ」
 俺はさ
「俺はただ何かしたら一緒に謝ったり、母親と飯食ったり、そういうのでよかったんだよ……」
「お前は!」
 殴られる。蹴られる。殴られる蹴られる殴られる蹴られる殴られる蹴られる殴られる蹴られる殴られる蹴られる殴られる蹴られる殴られる蹴られる殴られる蹴られる殴られる蹴られる殴られる蹴られる殴られる蹴られる殴られる蹴られる殴られる蹴られる殴られる蹴られる殴られる蹴られる殴られる蹴られる殴られる蹴られる殴られる蹴られる殴られる蹴られる殴られる蹴られる殴られる蹴られる殴られる蹴られる殴られる蹴られる殴られる蹴られる殴られる蹴られる殴られる蹴られる殴られる蹴られる殴られる蹴られる
 声が聞こえる。
【これでいいのか?】
 動物の叫び声みたいな声が俺に問いかける。
 そうだよ。俺はずっと、こういうのでよかったんだ。反発して喧嘩にもなるし暴力もあるけどそれが何かの過程なら、俺はそれでよかったんだ。
【それでお前が傷ついて理解を得られなければ、お前は何を得ることになる?】
 どれだけ殴られたかも蹴られたかももっと言えば時間の経過も覚えていられない。父親は肩で息をしながら俺の胸ぐらを掴んで耳元に向けて大きな声を出す。
「お前のせいで下げる必要のない頭を下げることになって使う必要のない関係を使うことになったんだ! 誰が金を出して誰が飯を食わせてるのか自覚しろ!」
 俺の未来だよ! 頭と口が並列で動く。
「話を打ち切ろうとするなよ!」
 拳が頬に飛んで口の裏でからんと何かが転がる音がする。吐き捨てたそれは父親の顔を跳ねて茶色い地面に白く残された。尖った牙みたいな歯でそれは親知らずなんだと思う。
「お前は選ぶ側で……どうして手を出した! あの黒人の女のためか? あんなののためにお前が俺の邪魔をするのならこの家へ二度と戻るな!」
「関わったことのない人間を値踏みするんじゃねぇ!」
 拳と足が飛ぶ。
「お前は、あぁいう存在を、値踏みして、選んで、そういう血で生まれているんだ! お前の血はお前をここに産んでここに根を張るエリートになると、血はそう決めているんだ!」
 頭と胸が締め付けられるようにきつい。痛い。
 でも
「違う! 俺は俺だ! 誰から産まれたとかどこにいるかじゃなくて、俺は俺だ!」
 俺の手がぐっと固まるけど反射で生まれたそれに俺は抵抗する。緩めろ。俺はここで手を出さない。
「俺は生きるよ、俺の人生は、俺のものだから。俺は政治家やってる人の金使って生きるけど、俺は」
 顔を強張らせながら暴力は続く。もう説教でも折檻でもない。ちょっとやり方が特殊なだけでこれは俺が乗り越えなきゃいけない人生のやり方なんだ。
「俺は……その上で、生きたいように、生きるよ」
 蹴り飛ばそうとしていた足が止まる。低いどすの聞いた声が問いかけてきた。
「そうやって生きることで、俺が……俺の世界がどうなるかを、考えたことは――!」
「ないよ、ない。ないよ……そっちはそっちで、好きに生きてくれよ……」
 父親は立ち上がる。俺はもう立ち上がれない。沢山蹴られた腹が痛くて俺はフローリングで仰向けになる。顔も痛いし舌の上には鉄の味がする。俺はめいっぱいにしてまた話す。拳が目の前に近づく。
「……殴りなよ。俺は殴らないから」
 止まる。父親は殴らない。俺はもう一度言う。
「俺のこと……殴ったって、俺は……変わろうとすることを、変わらねぇよ……」
 父親は殴らない。振り上げた拳はそのまま戻される。仰向けになった俺を尻目にして重たい足音が徐々に遠ざかる。戸が開く音が最初に遠くで鳴って続いて庭にある車が動き出す。最初に聞こえたエンジンはもう走り抜ける予兆だけ残して耳からは離れていった。
 今日はきっと帰ってこないと確信する。もう会えるか会えないかもわからなくなってくるくらいに朦朧としたまま俺はそこで目を閉じるけど一時間くらいでまた目が開いて明るいままの電灯だけが風でうっすらと揺れている。痛みをこらえながらシャワーを浴びて俺は夜風の中へサンダルとシャツで飛び込んでいく。
 こんな夜にもなれば連日町の至る所にいたマスコミはいないらしい。海沿いの道から見える家々は数件光が灯っているだけでほとんど音を立てない。さざめく波の音と砂が舞う音だけがする道で口の中裂けた傷を舌で舐めとると鉄に混じった甘い味がある。そのままそれを側溝に吐き捨てると自分で思っていたより赤黒いものが撒き散らされた。痛い目には十分なくらい遭っていくつも体の傷を残したまま浴びる風は塩気が染みたけどそれが尚更頭を活性化させる。
 スージー、俺の勝手な予想で申し訳ないんだけど、きっとコインロッカー・シニアは君を殺そうとしていたと思うんだ。君が味わってきた色んな人生の中にある良かったものとか良くないものは、きっと眩しくて仕方なかったと思うんだよ。君はきっとコインロッカー・シニアにとって触れたくないもので見たくないもので、だからさ。
 スージー。君はどこに行きたい? 俺しか聞いてないと思っていたあの曲をクラブで一緒に聞いた時、俺は運命だって思ったんだよ。淡い空の下でそれに反射する海を見ていたスージー。君は
【彼女がお前に世界の広がりを見せたのなら、お前は彼女に何をやってやれる?】
 ……それが、コインロッカー・シニアから守ってやった、みたいな話じゃないことくらいは分かってるよ。ただ……何をしてたって言ったら、俺はただ彼女が一人になっている時間を縫うようにして一緒にいただけだった。スージーはミラーボールの真下で電話のライトをステージへ掲げながら踊っていて俺はそれを見ながらバーカウンターでオレンジジュースを頼んでいた。俺はずっとこの町にいたのに知らないことだったそういう世界を彼女は風呂敷包みを取るみたいにつまびらかにしてくれた。それへ俺が渡せた対価なんて勉強みたいなもので、それが必要のない世界への可能性をスージーはいくらでも持っている。
【そもそも、お前はあの女にとって必要な人間なのか?】
 ……わからない。俺は彼女とセックスをしたし時間さえあれば話しにいったけど、俺がいなくなってもスージーには開けた世界がある。俺と同じものを見ていたって今の俺に見えないなにかをスージーは見ることができる。同じ場所にいて同じ経験や時間を重ねたってそこに感覚の共有はない。スージーが感じているカラフルさや逆にモノクロさについて俺へ話してくれた時、俺はそこに近い色を当てはめて共感していただけでスージーの言ってることを理解したかどうかはわからない。
【なら、どうする】
「だとしたら」
【だとしたら?】
 ……いや、ごめん。
「だとしたら、じゃないわ」
 だとしても、だ。
 声は黙ったままだ。
「だとしても、俺はそれでいい」

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