241029 無題_2

 続きです。サボってた分を手抜きで誤魔化していく。そうやって人は大人になるんです。


  そんな風になりたくないって思っていた山口県長門に外から二つの来訪者が訪れて、それは否応なしに停滞していた環境を変化させようとしてくる。「コインロッカー・シニア」を名乗りながら潜んでいる殺人鬼と、褐色と言うにはあまりにも俺達と違った肌と髪の毛をしていた本名を水瀬ステイシー、スージーと名乗る黒い肌の少女。
 コインロッカー・シニアとスージーは町中を変化の渦に引き寄せて巻き込んでやがて拒否権のないまま人々の人生を狂わせていった。多分に漏れず俺もその一人でだからこうやって文章に起こしてつらつらつらつらと記憶の断片を事実と照らし合わせて書き綴っている。
 コインロッカー・シニア。名前としては相当陳腐でそれが村上龍の話から取っていることくらいはわかるけどそれなら俺は「希望の国のエクソダス」の方がよっぽど好きで、上野駅の多目的トイレでエクゾディアみたいなバラバラにされた死体が発見されたニュースを見ても大した感傷はなかった。
 ニュースサイトのメイントピックの真ん中やや下にいたピッツバーグのニュースはその一件に押し飛ばされるようにして消えていって、ピッツバーグのスポーツ施設であるコンソル・エナジー・センターやピーエヌシーパークで追悼がされていることなんて東京でも報じられていなかったらしい。そっちに向かっている俺の興味や感傷に対して向かい風のようにコインロッカー・シニアの報道は過熱していて被害者の母親が過剰な報道をきっかけに自殺したことにも我関せずといった顔でキャスターとコメンテーターが話していた。
 被害者の男は右回りの政治思想を持っていてそれもかなり極端な突き抜け方をしていたらしい。街宣車に乗ってテンノーヘーカバンザイ! なんて言ってる動画は視聴者からの提供というキャプションで山口県長門にまで放送されていた。ソーシャルアカウントのポストも発掘されてその中には外需の否定や左巻きの政治家の名前を捩っての殺害予告、「今の日本は変わらなきゃいけない」なんてことを白と赤の鉢巻の画像と一緒にポストしていた。
 コインロッカー・シニアはそんな彼を選んだのか或いは意図していなかったのかのどちらかは俺にはわからないものの彼は無惨な描写を電波に撒き散らして殺されて、コインロッカー・シニアが残していった名刺サイズのメッセージも写真として公開された。
 
「コインロッカー・シニア
 不平不満に泣き叫ぶ
 赤子の声が鳴り響く
 俺が生き延びたあの日のベイビー
 負け続けて今シニアになった」
 
 山口県長門ですら話題になって犯人はどんな人かって話され続けていたんだからもっと人の多い場所で話されていない訳もなくて、あらゆるメディアでコインロッカー・シニアの正体は考察され続ける。右巻きの男を狙って殺した左巻きの過激派なんじゃないかとか不当な扱いを受ける外国人就労者なんじゃないかとか言われていて並行するようにその対象は場所を問わず攻撃をされていた。
 コインロッカー・シニア。陳腐だ。大体コインロッカー・ベイビーズにおけるキクがダチュラを撒くのは彼がベイビーだったからこその展開であっていい年になるシニアが膂力で人を殺したところでそれは今流行っている言い回しだと「引きこもり」になる。キクやハシ、つまり小説で書かれていた彼らの生年月日は今で換算するともうシニアへの入り口と言ってもいい年かもしれないけど彼らは死んだしどこかへ消え去った。無人じゃない人だらけの東京で叫ぶように人を殺すくらいならこっちで人を殺してみろよ! ここを無人にしたって今の町に少しぼうぼうと草が生えるだけで何にも変わらねえよ! って思っていたら、コインロッカー・シニアはそれに呼応するように移動を開始する。上野駅で人を殺して東京二十三区が厳戒態勢になり大規模捜査が行われる場所を抜け出すようにして彼は東小金井のアパートに住んでいた人を殺すしそれはほとんど全ての新聞の一面になったしテレビでも一時間以上の枠を使う特集をされた。
 今度殺されたのは父子家庭で子どもがいない間に父親が殺されて子どもによる通報で事件が明らかになった。子どもは一人きりになってしまって可哀想ということになるかと思いきやそんなことにならなかったのは彼を取り巻いている環境が理由にあって、端的に言えば彼は父親に性的虐待を受けていた。第一報となるタブロイド紙を追うようにしてテレビが報道したことで第一の事件以上のショックを日本中に起こしていた。ネガティブの伝染は早くてコインロッカー・シニアの正体はあらゆる人の会話の種になって自分が中庸な人間であると自覚している人ほどその話題にのめり込んでいるようだった。森岡夕衣がクラスで俺を遠目に睨みつけながらその話をしている時なんて俺は相当に面白かったし大森蓮がそれに気づいてまた喧嘩未遂になった時は先生が大森蓮を威圧するように説教していた。中途半端、というのも一つの個性であることに気付いたのはもう少し後になるけど彼らにはそんな小さな個性すらない中庸そのものだった。一斉に七三分けにする就活生みたいに集団で消えていく存在感の無さを自覚していないのに要素の一つ一つがそれを裏付けている様を見て俺は彼らのことをすごく哀れに思うようになる。
 陳腐な一殺人者でしかなかったコインロッカー・シニアの印象はこの場面を機に少しずつ変わっていく。こっちに来てみろと思った時にこっちに寄ってきて俺の周囲にいる連中をふるいにかけていく様子はとても面白かったし、誰かよりも何をするかが大事だと思うようになる。こっちにこい、こっちにこい、と思っていたところで上野駅から東小金井駅で殺人を行ったコインロッカー・シニアがどこへ行こうとしているのか? そしてそれまでに捕まるのか? 来い、来いと思っていると彼はまた近づく。
 だけど俺がそれを思っている時期にもう一つ環境の変化が起きる。水瀬ステイシー、スージーがこの学校に現れて転校生として俺がいるクラスにやって来た。
 顔の至る所に傷をつけた俺が通学している最中近所の人から声をかけられることがあるけどすべてと言っていいくらいのほとんどで
「お、息子さん! おはよう!」
 と言われる。その顔には貼り付けたような笑顔が厚化粧みたいに剥がれなくて気持ち悪いけど会釈をするだけで
「挨拶ありがとう。先生に、うちのこと、よろしくねぇ」
 と訛った声で続けてくるからきっと俺がどういう人間かについて興味はないんだと思う。
 ただセンセイと呼ばれる俺の父親に対して何か売っておきたいものがあるんだろうけど大人が顔に傷をこさえた状態であるガキに触れた際に取る行動とはかけ離れているはずだ。正解とか正しさという理性的な言葉遣いがたしなめられて避けられるほどに俺の父親はこの町で偉くてしかし俺はあの男が名前で呼ばれているところを見たことがない。センセイ、センセイとあちこちで繰り返すスーツやパジャマや制服私服は何を見ているんだろう? 俺はあくび交じりになりながらはぁとだけ言ってそのまま過ぎ去るけど後ろには挨拶をした人の視線を感じている。俺の背中を見ているわけじゃないし俺を見ているわけじゃない。ただ俺というパーソナリティの一要素でしかないセンセイの息子であるということだけを捉えた目線に対して俺は対処する方法を暴力と暴言以外で持っていなかった。
 通学路には何人かのグループがいて地面を焼くように昇りだした太陽が未だ長い影を映しているけど、重なり合う他人の影に対して俺は俺の姿をアスファルトに映すだけだった。遠くでは工事の音が聞こえていたけど一時期に比べたらずっとマシで俺はそこに墓地でもできないかと考え出す。予鈴の鳴る学校は周囲を早足にしていて、焦らせるように空気が太陽の熱をほんの少し強く帯びる。
 教室の席は誰も座っていない一番端の隣でそれはこの町での関わり合いに対して嫌悪している俺の意志を教師が汲んでのものだと思うけどその汲み方にすら嫌気がさす。教師は政令指定都市で教員免許を取ってここへやって来たらしくて最初は「素晴らしい町」なんて言っていたが結婚適齢期の独身女性がいないことで一度絶望したらしい。ある日を境にして「俺がいた場所では」なんて言って新しいもの好きだという態度でここの生徒に取り入ろうとしたものの彼の持っている携帯端末が四世代前のものということが信用の低下に繋がって、つまりなんの特徴もなくこの町に溶け込まざるを得なくなった。狭い町で親の世代には舐められ年下には笑われる。彼はこの町の狭さが産み出した被害者だけど諦めた時点で彼は彼でいい存在理由を根本から失った。
 横開きの扉が開いて、ざわつくようにあちこちで話が飛び交っていた教室がほんの少しトーンダウンする。それでも続く話が終わるまで何も喋らなかった教師は数分間で出席表と椅子を交互に目にしながらボールペンを走らせる。不干渉にも慣れたもので俺はまた失望を深くする。
 全員が話に飽きて話を聞いてやってもいいという態度を見せたところで教師は軽く一呼吸して声を出す。
「はい。今日ですが、体育ではバスケットボールを二面でやるので体育館。予算案についての書類をホームルームで渡すので保護者に帰宅後渡すこと。そして……入っていいぞ」
 入っていいぞ? 教師は今しがた入って来た扉に向かってそう言った。俺含めほとんど全員の視線がそちらに向かったところでガララ! 扉が開いて俺達の学校とは違う制服が入ってくる。上履きだけが学校指定のもので木目と擦れる高い音が聞こえて、それは教師の隣で鳴りやんだ。
「東京からの、転校生です。自己紹介できる?」
「はい。えーと……」
 スカートをなびかせて黒板にチョークで文字を書く。残り少ない削れたチョークが響かす音は囁くような声が集まってのざわつきでかき消される。文字を書き終えた彼女が居直るとその音は一斉に鳴りやんで水を打ったような雰囲気になる。
『Staycy MInase』と黒板には書いてある。
「水瀬ステイシー、ベネズエラ出身の東京育ちです。一応、スペイン語と……英語ちょこっとは話せます」
 東京。
「父親の転勤でここに来ることになりました。スージーって呼んでください。皆さんよろしくお願いします!」
 直角に頭を下げる彼女に対して一泊置いて教室中から盛大な拍手が沸き起こる。頭を上げた彼女は白い歯を見せて微笑んでいてそれは彼女の黒い――日焼けとかじゃなくて生まれた瞬間から持っている黒さ――肌をより際立たせていた。開けていた窓から風が流れ込んで彼女の癖毛を小さく揺らす。
 インターネットでしか見たことのない遠くがやってきて、それはその様子通り新しい風だった。
 白い制服は教室によく馴染んでやがてスージーはクラスにいる面白い転校生という扱いになる。
 黒い肌にくしゃっとした髪は今まで写真でしか見たことのなかった俺と同様に教室の連中もその物珍しさからかよく話をしていくようになる。方言交じりの質問に対して
「うん、渋谷はほんっとに待ち合わせできない!」とか
「ベネズエラはね、一人だと危ないから常に三人で外出してた」とか。
 そういった類の情報を得て奴らがやることはいつか旅行で行くかもしれない東京に思いを馳せてすごいんだなーって思うくらいだ。ここに住んでいる人間のほとんどは地元志向が強烈に根付いていてそれは時としてかわいそうなくらい彼らを縛り付ける、それは数世代に渡って脈々と受け継がれてきた信仰のようなものが入り混じった思想でだからこそ彼らは外から人が来た時よく値踏みする。彼女の父親が留学生としてそのまま就職した証券会社の社員で下関への出向を命じられたことがきっかけで来たという話を聞いて彼らはなんとなく家柄を知り安心する。そのオフィスが入っているビルが俺の父親の諸々で建てられたことを俺は知っているが大事なのはそこじゃなくて、彼女がみんなと仲良くなりたいですと言えば彼らは判断する。輪の中に入れるべきか入れないべきかを言葉じゃなくて節々の態度とかそういう意識と無意識の狭間にある動作みたいなもので選別するようにしていく。
 俺はこれがとにかく嫌いでだから彼女に対して最初に思ったのはどうしてそんな風にしてられるんだろう? だった。わかるし、気づくだろう。だってノーコンテクストでやっているコミュニケーションなんだからむしろ気付かせるのが目的だしそれは彼女に対してわかっているよな? みたいな圧力をかけていることの同義だ。ものすごくバカなのか悟ったうえで乗っかっているのかそれとも消極的なのか、判断をつかせない彼女は俺にとって線の上をゆらゆらする面白い存在だったので俺はつい彼女のことを目で追うようになっていく。
 だから空いている隣の席だった水瀬ステイシーは挨拶と教科書を見せたりするくらいの関係性で深く会話することもなかった。ただとある一件を通して俺達の関係は――主に俺からスージーへの目――大きく変化するようになる。
 一週間も経った頃に俺はまた大森蓮に呼び出される。きっかけはなんだろうと考えるとなんでもいいんだろう。それは父親のやっている開発計画が大森蓮の友人の誰かしらにおける生活基盤を奪いかねないものであったりとか、父親が推進している海の埋め立て計画が森岡夕衣周辺の誰かの家における生活基盤を根本から破壊しうるものであったりとか、それよりもっと単純で一向に森岡夕衣への態度を改めない俺へのいらだちとか。とにかく理由は何でもいいんだろうけど俺はまた海辺にある船着き場へ呼び出されてそしてそのまま喧嘩っぽいものに付き合わされることになった。
「お前、本当に……」
「殴りたいんだろ? 来いよカッペ」
 うあああ! と言いながら大森蓮は拳をぶつける。最近は父親の仕事が順調らしく機嫌がいい影響でなかなか殴られなかったから久しぶりに食らう拳になる。いややっぱり痛い! ガッ! と擦れる音がして俺はまぁまぁな声量が腹の底から出るけど大森蓮はむしろそれが気持ち良いみたいだったからそれでいい。こういう馬鹿は適当に発散させとくに限る。適当に殴られて蹴られて痛いまま適度に痛がっておけば解決する――
「だめだよ!」
 倒れ込んで済ます予定だった俺の前に影が割り込む。最近よく聞く声だ。あ
「水瀬、ステイシー……」
「スージーちゃん、なにしちょるん!? そいつは殴られなきゃ」
「駄目だよ、蓮くん」
 水瀬ステイシーの声がすっと場を静かにする。大森蓮はうぐっと一瞬息を呑む。俺には水瀬ステイシーの背中と大森蓮の顔しか見えないけど一体どんな顔をしているのか。ジンジン傷む頬をさすっていると案の定どっかに隠れていた森岡夕衣が出てきて更にその間へ割り込んでくる。もちろんこっち――水瀬ステイシーと俺のいる側へだ。
「スーちゃん、そいつは殴らなきゃわからんけぇ。勝手に産まれたーみたいな顔してはぶて、それでうちの……」
 なんだまだ気にしていたのか。
「それでも、駄目だよ」
 ヘラヘラしている俺のことを見ないまま水瀬ステイシーは言う。
「話の通じる相手なんだから、ちゃんと話そうよ」
 同じような顔をする森岡夕衣はやっぱりお似合いじゃねえかと心の中でほくそ笑むけど顔には出さない。そもそも口を開けるのも結構辛い。水瀬ステイシーがそうやっている中俺は後ろで地面に伏せた時の汚れを払って立ち上がる。けど二人はもう俺のことなんて見ていなくてむしろこの突然現れた転校生にどうしようかどうしようか、ってずっと悩んでいるみたいだった。そして二人は最悪の選択肢を取る。
「黒人にはうちらの話はわからん! こんなわやな奴!」
「……そ、そうじゃ! 黒人、どいてーや!」
 俺はこいつらの考えることの浅さに思わず目を背ける。マジかよこいつらってなるしついこの間まで見ていたお前らの薄っぺらい態度にせめて責任を持てや! と今度はこっちから殴りかかりたくなるけど水瀬ステイシーはそれに対して
「うん。わからない。だから、良くないと思う」
 そう言ってのけた。二人はぽかんとしたまましばらくそのままになっていたけどふっと我に返ると埒が明かないとばかりに歩いて去ろうとする。本人たちは小さな声で呟く意識なんだろうけどイラつきの影響で大きくなった声が俺の耳にも聞こえる。
「なんじゃあれ、すっかん……」
 大森蓮は森岡夕衣の肩を抱きながら歩き去っていく。
 さっき立ち上がったばかりなのに俺は彼女がすごい強く新しく見えて殴られてもない体がヘタってまた座り込んでしまった。水瀬ステイシー……スージーは俺の方を振り返って、
「大丈夫? 怪我は?」
 と訊いてくる。
「いや、俺は慣れてるから。それよりもさっきのアレ、気に障ったら代わりに……」
「慣れちゃだめだよ」
 心配していた目はスッ……と真っ直ぐになって俺を捉える。びっくりした。ニコニコしてばっかりで評価に迷う彼女の目は確かに澄んでいて俺は彼女がどの種類の人間なのかと想像していたことについて恥ずかしくなる。彼女はどれでもなくてむしろそういうコンテクストを分かったうえで、色んなものを呑み込んでいっての結果なのだ。
「一方的に殴るのなんてもってのほかだけど……慣れちゃうのも、だめだと思う」
 スージーは俺の腕を引いて立ち上がらせた後にもう一度それを繰り返した。慣れちゃだめ。確かにそれは俺が慣れていたことだけどそれは俺の父親が! とかそもそも俺の家が! とかそういう反論もあって。だから俺はちゃんとしたコミュニケーションを取ろうとしたこともない彼女に向かって反論をしようとしたんだけど
「……ありがと」
 その目の真っ直ぐさが俺の言葉の続きを刈り取って代わりに変な意識を植え付けられたような気にさせられる。俺は多分ここが小さく、だけど確実に変わるきっかけっぽいものになっていた気がした。
 そこから俺は水瀬ステイシーのことをスージーと呼ぶようになるしスージーも俺のことを舌の名前で呼ぶようになる。だけど大証は重くて彼らはスージーを輪の外と判断して徐々に距離を置いていった。俺は彼女がした態度の取り方で彼女のことを友達として物凄く大好きになったし輪の外なのは俺も一緒だから気づけば二人でよく一緒になる時間が増えていく。
 俺は彼女に合鍵が隠れていて実はいつでも開けられる屋上の話とかこっそり入ればバレない昔使われていた授業の準備室とかの話をしてそのまま二人で入ったりする。スージーはそれに新鮮なリアクションで返してくれるしそこに今までいた人間達の邪魔が入ってこないことについて俺はものすごく楽しく、普通に取れるコミュニケーションの連続でスージーと仲良くなっていく。

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