深夜タクシーの醍醐味
仕事に没頭していた最盛期には、深夜タクシーで帰宅する事がしばしばあった。
会社が入るオフィスビルの前には、毎日沢山のタクシーが行列を成し、終電を逃してビルから出てくる人々を今か今かと待ち構えていた。
タクシーとは、ある種のギャンブルだ。
家までの約20分間、ボロボロに疲れ切った体をそシートに深く埋め、窓の外を流れゆく夜景をボーッと眺めながらああ疲れた…と心地良い揺れに身を委ねて帰れるかどうか、それはその日のタクシー会社(運転手)に拠るからだ。
タクシー利用の常連であれば、自分のお気に入りの会社や運転手さんを指名で呼ぶ人もいるが、そこまでではない私はその時々の運に任せていた。
良ければ天国、悪ければマジで地獄。
DEAD OR ALIVE。
それは扉が開いて右足を一歩踏み入れた瞬間に、わかる。
車内からアロマと思われるとてもいい香りが漂い、うっすらとジャズらしき音楽が聞こえてきたらそこはもうHeaven。
温度も快適に保たれており、シートは革製の素材で、座りごごちがとても良い。手の届く所に小さな籠が置かれていて、ご自由にどうぞとキャンディが盛られている。
運転手さんは清潔感にあふれ、「温度は大丈夫ですか?」「音楽は消しましょうか?」と車内環境について尋ねたあとは、自宅に着くまで一切何も話さない。
車のスピードもブレーキのかけ方も最高に優しく、まるで大人のゆりかごだ。
Heavenタクシーは疲れた心と身体にじんわりと染み渡り、どうか一生このまま自宅に到着しませんようにと願ってしまう。
一方で運が悪かった時のその地獄たるや、乗り込んだ瞬間から降りるまでなかなかハードである。クタクタに疲れた上に一体何の苦行かと、もう絶望しかない。
それは夜勤でハイパー元気な運転手さんのテンションとの戦いでもあるのだ。
「お客さん、遅いな!今まで仕事?めちゃ大変やな!!」
「はい、まあ、そうなんです」
「よー働くなぁ〜!」
「いや今日はたまたま遅くて」
「タクシーめっちゃ止まってたやろ?今日は流れが悪いわ」
「ああ、そうなんですね」
「で、まだまだ人残ってた!?何人ぐらいビルに残ってた?」
「え?ビル全部にですか!?」
「お客さん送った後もう一回あのビル戻るか、それかもう今日は終わるか迷ってるんや!ワハハ!!」
「はあ・・・・」
「どう思う??戻った方がええかな!?他のとこ行った方がええかな!?」
知らんがな!!!!!!!
これはマズイパターンだと、極力喋りかけないでくださいオーラを出してみるものの、もちろん気付いてもらえるはずもなく、ひたすら喋り続けるタクシーの中で白目を剥くしかない。
ブブーッ
キーッッッ!!!!
「あっぶな!チッッ!何やあいつ!あっぶない運転しよるな!!」
もう一度言おう、DEAD OR ALIVE。
深夜0時のカーチェイスで〜♪って80年代の歌に出てきそうなゴキゲンな歌詞が頭に浮かんでくるけど、乗ってるこちらは命がけ♪
「運転手さん、そんな急いでないんで、(お願いですから)ゆっくり行ってもらえますか(嘆願)」
「ああハイハイ。ほんま夜は運転荒いヤツ多いねん!!!なぁ?」
お前や!!!!!!!!
とにかくこれは何かのアトラクションだと思って諦めるしかない。
心を無にし、喋り続ける運転手さんの話に相槌を打ちながら、体に鞭を打ちながら、家路に着く。
「カードでお願いします」
「え、現金ないの?」
「あ、じゃあ、これ(1万円)でお願いします」
「え、細かいのないの?」
そう、こういうパターンの場合、往々にして最後の最後にとどめを刺されるのだ。
今ではすっかりタクシーに乗る事もなくなり、懐かしい気すらしてくるが先日珍しく、それこそ半年ぶりぐらいにタクシーに乗った時の事だ。
乗る前にしっかりと「カード使えますか?」と聞いて乗り込むあたりは、経験による学習だ。
「最近またお客さんが減ってきましてねぇ」
「やっぱりそうですか…」
「大変ですわ」
「そうですね、これからどうなるんか不安ですね」
「で、お客さん、どこまで?住所言ってもらえます?」
「○市○区△△1丁目2−3です」
「○市○区△△ええと…何やっけ?」
「1丁目2−3です」
「○市○区△△の1丁目の…ええと2−3ですか?」
「はいそうです」
「あれ、何でやろ…」
何やらダッシュボード右上に取り付けられているスマホのようなタブレットのようなものに向かって一生懸命話しかけている。
「これ、音声で行き先が入るんですわ」
「あ、そうなんですね」
「でも入らへん。何でや、おかしいな」
「1丁目の…」「…ええと」という余計な言葉を音声で拾ってしまうせいか、外の音に反応しているせいか、なかなか上手く住所登録されない。
あまりにも音声が反応しないので、いよいよ車内に不穏な空気が漂ってくる。
「○号線走ってもらって、また近くになったら道言いますよ」と提案してみるものの、運転手さんはもう聞く耳を持たず、ナビに音声で入力するというミッションインポッシブルを成し遂げようと必死である。
「○市○区△△1丁目2−3?」
「はい、そうです」
「おっかしいなぁ…」
呪文のように繰り返し住所を言い、ようやく地図でナビゲートされる頃には、もうずいぶん家に近づいていた。
「ほら!できた!!お客さん、やっぱこれちゃんとナビゲートしてますわ」
「よ、よかったです…」
ようやく住所呪文から開放された事に、心の底から喜びが湧いてくる。
気が狂うかと思った。
「便利ですね、それスマホですか?」
「え?これ?これはな、スマホじゃなくてグーグルさんですわ」
…ホゥ。
グーグルさん。
オッケー。
久しぶりに乗ったタクシーも無駄に疲労困ぱいだったが、何故かフッと笑ってしまった。深夜タクシーの醍醐味はこういうおかしな人間模様を体験できる所にあるのかもしれない。
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