時結い人 第7話
第7話: 二つの世界の狭間
夕暮れの林を歩きながら、葵は自分が置かれている状況に思いを巡らせていた。現代からこの幕末の時代に飛ばされ、命の危機にある坂本龍馬を看病する——まるで夢のような状況が、今では彼女の現実となっていた。何が起こっているのか理解するには時間が必要だが、葵には今、この瞬間をどう生き抜くかしか考えられなかった。
隠れ家の中では、龍馬がまだ安静にしている。彼の呼吸は浅いものの、かすかに安定してきていた。近藤も少しずつ心を開き始めているようで、葵を信用し始めているのが感じられた。
「こんなところで生きていけるのかな……」
葵は林の中で立ち止まり、小さなため息をついた。だが、その一瞬の静寂を破るように、背後から声がかかった。
「お嬢さん、こんなところで何をしているんだ?」
驚いて振り返ると、そこには別の侍風の男が立っていた。40代ほどの年齢で、落ち着いた眼差しを持ちながらも、どこか鋭い雰囲気を漂わせている。腰に刀を下げているが、今のところ敵意は感じられない。
「私は……ただ、少し外に出ていただけです」
葵はできるだけ冷静を装いながら答えた。男は少し微笑みを浮かべ、彼女に歩み寄ってきた。
「この時代では、女一人でこんな場所を歩くのは危険だぞ。助けが必要なら、手を貸そう」
その言葉に、葵は一瞬警戒したが、男の穏やかな表情に少し安堵を覚えた。
「大丈夫です。すぐに戻るつもりですから」
男は葵をじっと見つめ、何かを見透かすような視線を向けた。だが、彼はそれ以上何も言わず、ただ静かに頭を下げてその場を去っていった。
隠れ家に戻ると、近藤が出迎えた。
「どこに行っていたんだ?」
彼の声には少しの苛立ちが含まれていたが、葵はその問いを受け流した。
「ただ少し外の空気を吸っていただけよ」
彼はその答えに納得したのか、それ以上は何も言わなかった。ただ、彼の眼差しからは、葵の行動に対する疑念がまだ完全には消えていないことが伝わってきた。
「坂本様の様子は?」
「少しずつ良くなっているが、まだ時間がかかりそうだ」
葵は龍馬の寝顔を見つめ、胸の中に微かな安堵を感じた。彼がこのまま回復し、歴史の流れに戻ることができれば、それが一番良い結果だと思えた。
夜が更けると、隠れ家の中は再び静けさに包まれた。葵は疲れ果てて布団の上に座り込み、明日のことを考え始めた。この時代で何ができるのか、どこに向かうべきなのか——まだ答えは見えなかった。
だが、その時、龍馬が微かにうめき声を上げた。
「……ん……」
彼の目がゆっくりと開き、葵と視線が交わった瞬間、彼女の心臓が大きく跳ねた。
「龍馬さん……!気がついたの?」
龍馬はまだ朦朧とした様子だったが、確かに彼女の顔を見ていた。その目には、不思議な輝きが宿っているように感じられた。
「……お前は、誰だ……?」
彼の問いに、葵は一瞬言葉を詰まらせた。彼にとって、自分は何者なのか——どう説明すれば良いのか、答えが見つからないまま、ただ彼の顔を見つめ返していた。
次回、第8話へ続く。