時結い人 第1話
第1話: 不思議な時計
夜の静寂が支配する考古学研究室に、機械的な音がわずかに響いていた。室内はほの暗く、デスクに置かれた古い書籍や資料の山の中に、一際目を引く時計が静かに佇んでいる。その小さな時計は、他のどんな遺物よりも輝き、時代を超えた存在感を放っていた。
葵は、その時計をじっと見つめていた。彼女はプロの考古学者として、数々の発掘現場を訪れ、数多くの古代遺物に触れてきたが、この時計には特別な何かを感じた。考古学者としての冷静さを保ちながらも、その手には言いようのない不安と興奮が混じり合っていた。
「なぜこんなに惹かれるのか……」
その問いは、ここ数週間、頭から離れなかった。この時計は、数ヶ月前にとある古代遺跡から発見された。遺跡の最深部で、誰にも知られることなく眠っていたこの時計は、発見された時から何か異質なものを感じさせた。時代や出自に関しては不明であり、誰もその正体を突き止めることができていない。それが、彼女の興味を引きつけてやまなかった。
遺跡の発掘自体は順調だった。最初は、ただの土に埋もれた古代の遺物だと思われていたが、彼女がその場所でこの時計を見つけた時、何かが変わった。周囲の考古学者たちは、他の重要な発見に夢中になっていたが、葵だけは、この一見ありふれた時計に注目していた。なぜだか分からないが、彼女の心はその時計に引き寄せられるような感覚を覚えた。
「こんなに精巧な彫刻……どの時代のものなんだろう?」
時計には、非常に細かい彫刻が施されており、金属製の表面には美しい装飾が刻まれている。それはまるで、時間そのものを象徴するかのような複雑な模様だった。その彫刻を指でなぞりながら、彼女の心は不思議な感覚に包まれた。まるで時計が彼女に何かを語りかけているような——そんな錯覚に囚われていた。
だが、その答えを見つけることはできなかった。時計の由来についての研究は進んでいたが、どの文献にもこのような時計についての記録はなく、誰もその正体を知る者はいなかった。時計の精巧な作りを見る限り、ただの飾りではないことは明らかだったが、それ以上の情報を得ることはできなかった。
「どうしてこんな場所に……」
発掘現場で、この時計が見つかった場所は、他の遺物とは全く異なる性質を持っていた。それはまるで、過去の誰かが意図的に隠したかのように埋められていた。彼女はその時、何か特別な理由があるに違いないと確信した。だが、その理由を探る手がかりは、どこにも見当たらなかった。
「何かがある……」
葵はつぶやきながら、もう一度時計に目をやった。この時計は、ただの考古学的な遺物ではない。何かもっと深い意味が隠されているのではないかという感覚が、日に日に強まっていた。彼女の心は、理性では説明できない直感に突き動かされていた。
その夜、研究室は静寂に包まれていた。通常の仕事を終えた後、彼女はいつも通りデスクに向かい、時計の前に座った。日中は他の研究員がいるため、集中できる時間は限られていたが、夜遅くまで残ってこの時計を調べることが、彼女の日課となっていた。夜遅くになると、周囲の喧騒は消え、葵と時計だけが存在する空間が生まれる。
「どうして……?」
彼女は無意識に、時計に触れた。冷たい金属の感触が手に伝わり、次第にその存在感が手のひらに広がる。時計の針は止まっているが、それが動き出すような気配を感じる。葵はその文字盤をじっと見つめ、ゆっくりと指を動かしてみた。
「何か……起こるのかもしれない」
心の奥底で、何かがざわつく。その感覚は、恐怖と興奮の入り混じった奇妙なもので、彼女の理性を揺さぶっていた。この時計には、何かが隠されている。それを解き明かすためには、一歩踏み込む必要があるという感覚が彼女を捉えていた。
「でも……何が……?」
その答えを求めて、彼女は再び時計に触れた。すると、何かが変わった。
突然、研究室の明かりが揺れた。まるで部屋全体が震えているかのような錯覚に襲われ、葵は思わず立ち上がろうとした。しかし、足元が揺れ、彼女は体勢を崩して椅子に座り込んだ。
「何……これ……?」
時計が、まるで生き物のように振動し始めた。その瞬間、彼女の視界がぼやけ、頭がぐらりと揺れる。足元がふらつき、目の前にある研究室の風景が次第に歪み、やがて暗闇が彼女を包んでいった。音が遠ざかり、意識が薄れていく。
最後に感じたのは、冷たい風が肌を撫でる感覚だった。