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妄想からの脱却

沢山の苦難を乗り越えて10か月ぶりにパートナーとの再会を果たしたのだが、それは自分が思い描いていた待ちに待った再会とは全く違っていた。

一言でいうと愕然としたのである。

10か月の間、いや実は仕事を離れて末っ子が高校を卒業した一年前から私は路頭に迷っていた。まだ子育てがあるからと言って考える事から逃げていたのだが、終に最後の言い訳を失った。その後結婚すると思っていたのに、パートナーが国にいない。結婚すれば人生が変わるだなんて、この歳の離婚歴のある私の本心であるはずがないのに、そう思う事で逃げた。

本当に情けない話だが、何が自分の幸せなのか分からなくなってしまったのだ。忙しい時は忙しさのせいにした。お金が十分でない時はそのせいに。そして最近はコロナ。色々夢があったはずなのに、今はそれらをしない言い訳がない。分かっている。これはとても贅沢な情けない状況。でも、皆に聞いてみたい。やりたいことが出来ない理由が全部解決されたら、人はそれを絶対にするのだろうか。

私はその問いから逃げるために結婚を視野に入れていたのだと思う。でも、いざ結婚できる状況になると不安が押し寄せる。この歳で言うのもなんだが、世に言うマリッジブルー? 何のために結婚するのか。結婚すると自分の幸せが棚ぼた式にやってくるのか。そもそも自分の幸せが何か分かってない人間にその方法は適合するのか。するわけがない。

そして、白馬に乗ったぴちぴちの王子様が本人も理解していない私の幸せを両手いっぱいに抱えて私と再会する、はずだったのだが、空港で10か月ぶりに会ったパートナーは私の妄想をあっけなく打ち砕いた。オミクロンとその後の禁酒で10kg痩せた体は以前の張りが消えていた。痩せこけていたわけではないのだが、あの歳にになるとちょっと太っているくらいが健康的に見える。ビデオ通話では感じ取れないものがあるようだ。

彼は彼で10か月間の妄想で私や自分の家が美化されていた.…

先ずは未来の事より、この妄想を妄想と受け入れ互いのギャップを埋めることから出発せねば。両頬に平手打ちを食らったように目が覚めた。

そもそも結婚する必要があるのだろうか。結婚したかった時もある。それは結婚すると寂しくなかったり、物理的に楽になったり、経済的にも助かったりしたからだった。でも、今はずっと一緒に居なくても全く寂しくないし、大変な時は助け合っていけているし、経済的にも独立している。結婚のメリットは両国を行き来しやすくなることや、ふらふらと大海に漂ってしまいがちな私にはちょっとした錨になるかもしれないことぐらいか。

私、やっぱり取り合えず一人でやって行こう!先ずは自分の立ち位置をはっきりさせて、自分を知っていきたい。パートナーがいつも言っている。自立するとは自分で自分のことを幸せにできる事。

私は自分の人生について誰にも責任転嫁したくない。私の人生は私が全責任を負う。そして私が私を幸せにする。昔のように、やっとそう思えるようになった。

また2週間後の7月18日にお立ち寄りくださると嬉しいです。



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