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叶わず。 だけど。 -中編-


中編です。前編の続きです。

↑ 前編の最後はこのような終わり方でした ↑


中編(今回)はこの17:00の直後のことです。僕にとって大きな内面の変化が起こりました。




その日は18:30くらいから、僕が古巣で採用活動をした代の人たちとの飲み会がありました。

彼らが社会人になったのは13年前のこと。その中には美大出身の人がいて、新卒採用担当だった僕は10歳くらい年下の彼女を採用活動で出会った当時から尊敬していました。この人が選んだ学び舎はさぞかし素敵なところなのだろうと思っていました。

飲み会の中で彼女に今回の受験の経緯を話しました。そして、いくつかの言葉をもらいました(それらの言葉は僕のおまもりとして秘めておきます)。

やりとり自体は2分ほどのものだったかと思いますが、それは僕が見て見ぬ振りしていたことに目を向けさせ、背中を押して、勇気をくれるようなものでした。

その時点までの僕は(つまり前編を書いた直後の僕は)実にイージーに考えていたと思います。まずは美大生になるという目的に対して、現時点で最も可能性が高いであろう方法で、効率よく達成しようとしていました。

具体的には、美大に学力だけで入ろうとしていたことです。もちろん公式な受験方式ではあるので悪いことではありませんし、学生の多様性を実現するためにも手を動かす人たち以外を一定人数迎え入れることは必要でしょう。

ただ僕はハックするための手段として、手を動かす力がない今の自分にとっての抜け道としてそれを捉えていました。対策なしのぶっつけ本番で受けたけど補欠2番になれて、来年はあと少し努力すれば入れそうだなと。

そんな僕が恐れていたのは、目を向けていなかったのは、まさに正攻法で「手を動かす」ということでした。手を動かすことは入学後の授業でもあるからそれでいいかなと、自分のコンプレックスから逃げていました。前編で「 本当は興味があったけど蓋をしてしまった可能性は何だろう?」なんて書いていたのに、まだ蓋をしていました。


勇気


僕はこれまで若手や後輩に「人は自分のやれる範囲で考えてしまうから、やれることを拡げていこう」と言うことがありましたが、まさに自分がそれをしていました。これから挑戦をしていこうという、このタイミングで。

たしかに手を動かせるようになることで、どんな学科であっても創作における可能性は拡がります。また、手を動かせないという前提でそもそも学科選びをせずに済みます。分かっていたことです。見ようとしていませんでした。その肝心なところから逃げて、受験学力で対策しようとしていました。


でも僕がもらった言葉は、そんな痛いところを突くだけでなく、怖いけどやってみようと、それ以上に勇気をもらえる、とてもあたたかいものでもありました。僕はこれまでの人生で「勇気をもらう」という感覚を味わったことがなく、それはどういう感覚だろう?と理解できずにいましたが、初めてそれを体験しました。こういうことだったのかと。
 

後編はこのような心の変化を踏まえ、今後についてお伝えできればと思います。

(後編に続く)

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