あじさい通り

あじさい通り

 僕の生家の近隣には、紫陽花を植えている家々がある。梅雨の時期になるとそれらの家の前は、青や白や紫の花でいっぱいになる。僕はその季節になると、それを見るために散歩に出かける。僕の家から二つ角を曲がった先にあるその通りには、大小様々に美しく剪定された紫陽花の花が、僕のように散歩をする人の目を誘うように咲いている。
 考えてみれば、僕の家に紫陽花のないことは、これらの家には感得出来るその花の美しさが、僕の祖父母、それから僕の両親には感得出来ないということの証であり、僕はそのことを寂しく思う。この家を買ったのは僕の祖父母で、庭に「紫陽花を植えない」と決めたのも恐らくは祖父母であったのだから、その美しさを感得できない血の元凶は祖父母であるのかもしれないが、その血に毒され、またその血統を変えることの出来なかった、僕の父と母にも、もしかしたら、元よりその霊感はなかったのかもしれない。そして僕もまた、この家の庭に紫陽花を植えることも出来ずに燻ぶっているというのであっては、立派にその血統に名を連ねているのかもしれない。僕は、この耐え難い寂しさから逃れるために、梅雨の季節になると、この忌々しい家屋から逃れて、その通りの紫陽花を眺めに行くのだった。

 その日は薄曇りだった。お天気の女神は裸の足を地上近くまで垂れ込めて、その衣の裾を陰鬱な空気に変えて、この街の屋根々々と人々の心とを抑え付けていた。女神はいつも以上に不機嫌そうだった。調子が悪くて不貞腐れ、腹いせに雨を降らせることも出来ず、もう人間の世の天候なんぞに構っている余裕もない、とでも言いたげだった。紫陽花は紫陽花で、お天気の女神なんぞには構っていられない、と言った風で、紫陽花そのものの命を、薄曇りの空の下で頑張っていた。雨の中の紫陽花が一番綺麗だと人は言うが、お天気の女神が雨風の調節も放り出して不貞腐れている中で、我と我が身とを貫き通す紫陽花の方が、ずっと綺麗だと僕は思う。紫陽花は、他の何の助けもなく、紫陽花そのものであるというだけで美しかった。
 そんなことを夢想しながら歩いていると、ふと、紫陽花はこの通りの、右側の家々にだけ咲いていることに、僕は気が付いた。僕はぎょっとした。もしかすると、この通りには、右側の家々の庭にしか、紫陽花の咲かない因縁でもあるのかもしれない。また、左側の家々には、僕の家と同じように、紫陽花の花の美しさを感得出来ない血脈が流れているのかもしれない。僕はわあっと声が出そうになるのを抑えながら、来た道を引き返そうと後ろを振り返った。するとそこには、五つか六つぐらいの、髪の短い、赤い自転車に乗った少女が、今まさに僕の横を通り過ぎようとするところだった。彼女は会釈をして、「こんにちは」と小さな声を上げて、真面目な顔をして、僕の横を通り過ぎた。僕の前には、微かに、彼女の澄んだ声の響きと、彼女の細く尖った輪郭のかげとが漂い、僕の視界と鼓膜とを揺らした。僕は彼女が通り過ぎた後、会釈を返すことも、返事をすることも出来ず、ただ彼女の後姿を見送った。彼女の乗る自転車は、彼女の心もとない運転に合わせて、よたよたと右に左に振れながら、彼女の体を運んで行った。彼女は、時々道にせり出した花を避けるようにハンドルを切り、その度にまた右に左に揺れながら、紫陽花通りを過ぎていった。

 僕は、お天気の女神に抑え付けられた重苦しい空気の中を、足を引き摺るようにして歩いた。さっきの、あの、僕の前を通り過ぎていった少女の声が、頭の中で反響している。僕は、僕の生まれた家までの道を見た。僕の家は、この紫陽花の花の咲く通りを辿って行った先にある。そして僕はまたぎょっとした。それはまるで、何かの分かり切った暗示のように、僕の家は、確かにその「紫陽花の咲かない左側」の家々を辿って行った先にあるではないか。僕はまた声が出そうになるのを抑えながら、目をつぶり、生家までの道のりを急いだ。
 僕は玄関を開けると、一散に自分の部屋へ行き、布団を被ってこの身を出来るだけ小さく畳んだ。枕を噛み、嗚咽が外に聞こえないようにした。この家には、紫陽花が咲かない。あの、赤い自転車に乗っていた、短い髪の少女の、澄んだ声もない。僕は彼女が紫陽花通りを過ぎていく後姿を、何度も反芻した。美しさの、この血の中にないこと。僕はこの悲しみが治まるまで布団に包まり、それは長くかかった。

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