幼稚舎お受験やるかどうしよか
人生で今のところ2回しか振れないボールが一球、目の前を通り過ぎようとしている。
小学校受験である。
何度か書いてるが、インナーサークルとしては日本さいつよである。
携帯ミッキーマウスにしても髪の毛より前進しすぎたにしても、サトーココノカドーにしてもホームラン打つよりオックスリ打とうにしてもお茶漬けにしても鳩サブレーにしても工務店にしても、ヒ素ミルクにしても、あなたとは違うんですにしても息子娘はここだ。
庶民がこんなとこの息子と濃密な時間を持てる可能性はここしかない。青山やらではこうはならん。
けつもんだり、まだまにあうようなチンピラもいるが。
事程左様に階級ジャンプチャンスではある。ワシも嫁も大学からなので慶應ボーイでもガールでもない。
しかし、そういう経験は鶏口となるも牛後となるなかれという言葉やら相対的貧困の観点ではあまりよろしくないように思う。
日本有数の金持ちと触れ合うと小学生から思春期という未熟な心では振り回されてしまうように思うし、我が家の貧困が浮き彫りになる。
個人の心を安定して保つにはある程度の同質性の中に入れておくほうが良いように思う。
という整理をつけお受験はいったんやめておこうと思う。
小学受験でいく価値があるのは幼稚舎くらいのようにおもうから。