韓国の社説は時々とても良いー反面教師としてだが。フェミとルサンチマン
犠牲者意識が生んだ道徳的優越感でなければ説明しがたい心理だ。「我々のDNAは違う」という選民意識は「道徳的免許効果」(moral licensing effect)につながる。「過去に十分に苦痛を受けたため、それで道徳的に優れているため、この程度の過ちは問題にならない」と錯覚する。
この心理は実によくフェミや韓国、共産主義その他ネトウヨからイスラム国までルサンチマンの塊に当てはまるものだ。
今まで虐げられて来た、そして虐げられたからこそ自らの優越性が保証され、虐げた悪を撃つ権利がある
韓国は伊達に儒教タリバンと言われていない。朱子学が息づくだけのことはある。
倭寇、倭人を政治家が公的発言としてナチュラルに使いこなすセンスにも現れている。
神政でない民主共和政で復讐は誰の役割なのか。人間の手を離れることができない復讐が公義になることは不可能に近い。法律とシステムの役割という答えは虚しい。その法律とシステムを大統領が独占する権力構造を改めなければ悪循環を断つのは難しい。
大統領への請願という間接民主制って何?食べれるの?というレベルの行動をやってはいかんだろう。アメリカのマネだが。
オバマはほんとにろくでもなかった。
あれをやっては我々とお前らが確定してしまう。
朱子学の理気二元論を地で行く韓国でやったらいかんよ。
感想
感情感性に訴えかけるルサンチマンを見抜かねばならない。そして心のなかに公平な観察者を育てねばならない。
しかし公平な観察者を育てる土壌ともいえる、内省、自省、自戒の時間はスマホに奪われTwitterという修羅の巷でお気持ちルサンチマンバトルを繰り広げるのが人間である。
結論
衆生は救いがたい。上座部のように、プロテスタントのように、学問のすゝめのように生きていく。
これしかない。