シン仮面ライダードキュメンタリーを見て思ったことーオタク第1世代の憂鬱ー時代劇と特撮の共通点

見る気はなかったが、パワハラまつりだと聞いて興味を得た。

見た感想

ゴジラやウルトラマンとちがって、人間サイズの仮面ライダー。
仮面ライダー対戦闘員複数で戦うのに、卑怯な手を全然使わない。時代劇みたいに殺陣を使うと嘘っぱちに見えちゃう!
嘘を感じさせたくない!だから段取りなんか捨ててしまって、その場のノリで作る!
が、嘘っぽいという話はするが、その本当の意図は撮影班にくらましている。
「殺すつもりで、段取りは嘘っぽいからいらない」
これをひたすら監督は言い続けている。

その結果、撮影班の雰囲気は最悪で、殺陣師は荒んでいき、最後には抜けるかどうかという話を吐露するはめになった。

オタク第1世代

戦闘員あんだけいるんだから後ろから殴るなりのしかかるなり、俺ごと殺せだのいくらでもライダー殺せるだろっていうツッコミ。
いちいち変身待つなよ、ワンパターンな攻撃してんなあ。という非オタクの批判が辛かったんだろう。
嘘っぽいのはいやだ!という根源はここだと思う。
しかし、そういうのが特撮なり時代劇であり、わかっててみるものだろう。能も狂言も歌舞伎もそうだ。昨今の2.5次元舞台もそうだ。

シンゴジラの嘘

シンゴジラやウルトラマンの嘘はその存在だけで済む。シンゴジラは天災のメタファーとして成立する。ウルトラマンもそのサイズで戦いの嘘っぱち感は減衰するし。

仮面ライダーは組織と戦い、一対多数である。そこに嘘の香りがあるといいたいのだろう。その上戦いまで殺陣だと嘘の上塗りになる。しらける!ということが庵野監督のいいたいことだろう。
しかしだ。

エヴァではこれはアニメです。嘘ですよ!と連発してた。

アニメではこの世界は嘘であるというのを客にさらけ出す→エヴァ
特撮ではこの世界は嘘ではないと客に思わせたい。これは矛盾だと思う。
庵野監督、本当は特撮すら撮るの嫌なのではないか。

実写一回目のラブアンドポップや式日のような実写文芸に分類されるような作品こそ本領と考えているのではないだろうか。

嘘っぽいって言う話をいいだしたらマーベルなんか嘘っぽいだろう。

その嘘を消すほどのcg,ワイヤーアクション、シナリオが肝だろう。

今回のドキュメンタリーで、庵野監督は嘘を消すための方法を現場に丸投げした。おれは嘘がヤダ!本気で殺せ!っていう話ばかり。オーケーだすが、その理由はわからん。手戻りだらけや使われない動画を提出させられ続けるスタッフ。アクションが、気に食わないという話ばかりだから殺陣師に全負担がいく。

そこがパワハラに見えるし、仕事の進め方として非効率に見えて炎上したのだろう。
非効率に対しては創作とは不合理なものだというツッコミははいるだろう。
ドキュメンタリー自体当然庵野監督の目が入り、監修されているのはあたりまえだからそう見られることも想定内だろうが。

香港カンフー、時代劇なんかも

殺す気でやってるとはいえ、殺す気なんかあるわけない。役者が本身の刀使って端役斬り殺したから最高の作品になったわけでもない。

殺す気なんていうものが作品を良くするとは思えん。

アニメは嘘だと見せ、特撮は嘘ではなく見せたい

やはりここがドキュメンタリーの重要な点なんだろうな。
観客が嘘だとわかると、このシン仮面ライダーは失敗するという監督の話。
シンエヴァでのあれを踏まえると、シンエヴァでも嘘を見せつけて興行収入が上がるなんて思ってもなかったろう。

特撮への気持ちの深さを感じるが、それでも嘘を土台にしているという引け目がある。
今後の作品もこういう無意味なところに凝った作品が続きそうだ

ネットを見るとあれだけ肉体がどう役者がどうと言って撮ったのをCGに差し替えていたようだ。アニメやん。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?