こだぬきそだてについて、鴨志田ひよさんのお話を鑑みて

古くて新しい問題ではある。

我が子供を世間に晒し作品のネタにすることの是非である。

明治この方私小説が流行りである。あれはまあ覗き見する楽しさであり、顧客はyoutuberに求めてるものと本質的には変わらん気がしている。書く側もたつきの道だったり、自分のトラウマ癒やすぞ!という話だったりする。

家族をネタにする私小説さらにはエッセイは枚挙にいとまがない。

島崎藤村も姪に手を出した話をやった。こういうのはもうなんとも言えん。

それがたつきの道だと突っ走る人もあろう。どこまで行ってもこの世は地獄。親の因果が子に報う。

因果を断ち切るには涅槃にいかねばならぬが、涅槃にいけば情欲もないので子供はおらぬ。

むしろ涅槃に行くには子供はラーフラ。踏みつけて進まねばならぬ。なんともはやとかくこの世は住みにくい。

これはネタですと書いたところで、おしんを本気にして悪役の家に石をなげるやつまでいる始末だからどうにもならない。

ただすべて個別具体の案件で各々異なり、ただネタにされたからと言ってすべてがブチギレ案件になるわけでもないのだろう。

各々が各々の地獄を生きている。その地獄を乗り越えれば次の修羅場が待っている。この世はとかく住みにくい。

子供をネタにするにしても仁義はあるのだろうし、家庭内の何かがあるのだろう。

公開してなかったとしても修羅場の案件だったかもしれず、公開したからと言って良好な仲だったりもしよう。

ふつーにエッセイ書かれても仲良しというのもあるし。ラララの娘こと手塚るみ子さんマコとルミとチイで書かれたが別に何のてらいもなさそうだ。

結局親によるという話に行き着くのだろう。親の因果が子に報う。この真理からは抜け出せない。


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