その感情はあたしだけのものだ!
「彼氏彼女と呼び合う関係に、一体何の意味があっただろう。誰と誰の心が深くつながっているかに呼び名なんて関係ない、あるのはいつも、抗いがたい引力と、視線を交わした後のさりげない微笑みだけ」(綿矢リサ)
「蹴りたい背中」「アンインストール」とか有名どころは読んでるけど、敬愛してやまない作家の一人に綿矢リサがいる。独特のみずみずしさというべきなのか、世代が近い分共感できるのかもしれない。高校生の時に模試の題材に取り上げられていて、設問そっちのけで食い入るように読んだのが馴れ初めだったけれども、この文を見た時の衝撃は今でも忘れられない。
自分にとって本当にその通りなのだ。付き合う前が一番苦しくて楽しく感じられるのは記憶補正以上にそれが単純に事実だからじゃないかと僕は考えている。彼氏彼女とかの後付けの記号に大した意味はないって主張にどれだけの人が賛成してくれるかはわからない。でも本質はそこじゃないんじゃないかって僕には思えてならないのだ。
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「用がないのに近くを通ったりするし、スキール音とか声だしでうっさくて人いっぱいの体育館でもどこにいるかわかっちゃう」
人を好きになるとドーなるんスか、と平然を装って投げた質問に思いかけず直球が帰ってきて思わず返球に詰まる。付箋で汚れたターゲット1900から目をあげずに彼女は続けた。
「君みたいなボンクラにはわかんないかもしんないけど見なくても本当にわかるかんね?特にその人が女子とかと話してた時にはもう」
会話の内容まで全キャッチですねとくるりと笑って付け加える。信じがたい話だけどきっと本当なんだろう。この人はいつも鋭すぎる。
「それって振り向いてもらうまでにはすごく辛そうに聞こえるんだけど」
「そう思ってるところがモテなそうだよね」
「…話を続けてください」
「女の子によってはそこが楽しかったりすんのよ、ゴールが付き合うじゃなくて恋愛そのものにすりかわってる人も全然いるんだよ?」
「君なんで成績悪いの?」
僕のローファーを踏みつつ彼女はまだ顔を上げない。氷ですっかり薄まったカフェラテをガシャガシャかき回している。行儀悪いぞ、それ。
「あたしもどっちかといえば彼氏彼女がゴールって思ってないんだ」
「意外だね、恋に恋する系女子てっきり軽蔑するかと思った。あとローファー新品だから足どけて」
「違うわ恋すんなら振り向いて欲しいわ!あたしが言ってるのは好きだとか彼氏彼女みたいなくくりが気に入らないの。どっからどこまでが彼氏とか誰が決めんの?お互い好きってことが伝わればそれで満足しちゃうんだ、あんまりその状態に名前をつけるのが好きじゃないの」
今日はよく喋るなと漠然と思った。あとこれは要するにお前とは付き合わないって言われてるのかと深読みしてみたりした。もう二人で何度スタバに来てるか忘れたけど向かいの河合塾に貼られた夏本番模試の広告が目に刺さるようになったのはいつからだろうか。僕らは勉強してるふりをしながら世界で一番大事などうでもいい話を続けた。
「名前をつけると一般化されるじゃん?普遍的っていうのかな?誰でも手に入るような気がしちゃうんだよね。違うじゃん、想いが通じた時の感情って人によってそれぞれじゃん、名前つけたらみんな同じみたいになっちゃうじゃん、あの感情はあたしだけのもんじゃん」
だから嫌なの、と締めくくって彼女はやっと目線を合わせた。綺麗な目だと素直に思った。なんとなくテーブルのしたで手を繋ぎながら、このまま二人で化石になれればいいのにとさえ思った。部活の引退が一週間前に迫り、夏期講習も近づく、時間を止めるには一番いい場所だった。
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この後結局彼女と付き合い、季節が少し流れて僕はこの彼女と別れることになるのだがそれはまた別の話。
大事なものは目に見えないというけれども、きっと大事なものは名前も付いてないっていうのが本当のところなんじゃないかと思わされたイマドキの女子高生との会話でした。
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