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翡翠
前回は「ろうかん翡翠」のろうの部分を「蝋」に勝手に脳内変換させていた話を載せましたが、正しくは「琅玕」と書き、「透き感のある半透明のもの」と言うのが正しい理解なのです。なので違いがわかるように琅玕翡翠とそうでないものと一緒に置いてみました。
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質感が違いますでしょ?
糸魚川でももはやこの透き感があるものは大変貴重になってしまったとのことですが、とはいえ奥のものも翡翠は翡翠。磨けばとても素敵になるんです。
私の知り合いの糸魚川翡翠職人「縄文人見習い」の彼は、石と語りながら翡翠を加工してゆくという凄腕職人さん。とても素晴らしい作品とその人柄と、一体引き出し何個あんねんと思うほどの巧みな話術にファンの心をつかんで離さない稀有な存在です。一度、明日から東京で個展だというそのギリギリまで工房に詰めておる現場に荷物を届けたことがあるのですが、まるで「産屋」。
命の現場のような崇高な、命を吹き込む作業を間近でみてしまったかのようでした。
そのような魂を込められた石に上だの下だのあろうはずもなく。
美しいものは美しい。
心を打つものは打つのです。
石は意思を持つ
なので縁がある人のところへ彼らゆきたいと思っているのでしょう。
きっとこちらが選んでいるようで、選ばされているのかもしれません。