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元素という思想

「元素」は元々思想だった

 「成分」という考え方は,化学変化という物質の根本的な変化を目の前にして,それでもなお変化しないものがあるはずである,という信念から出ていると説明してきました。しかし,この信念を突き詰めるとパルメニデスの「存在はただ一つでなければならず,絶対に変化しない」という結論に至ってしまい,変化し続ける現実世界を説明できなくなってしまいます。そこで生まれたのが「元素」という概念です。元素とは「絶対に変化しない成分は,一つではなく複数種類ある」と考えることです。

 最初に現れた元素概念はエンペドクレスの四元素説でした。もし世界の構成要素が複数あれば,その組み合わせによって多様性が生まれます。例えて言えば,絵の具の色のようなものです。絵の具の種類が白しかなければ,白い紙には何も描くことができません。しかし複数の色があれば,その混ぜ合わせ方によって多様な色を生み出すことができます。エンペドクレスはその色の数を4であると提案したのです。土,水,空気,火からなる四元素はアリストテレスによって採用され,その後長い間信じられ続けました。

 四元素の概念は,物質が示す様々な相の観察から来ていると思われます。水とは液体状態,空気とは気体状態,土とは固体状態,そして火は炎の象徴的な概念でしょう。四元素とは,変化する物質の奥に想定される「変わらないもの」のイメージを抽象化したものであると言えます。ただしここまでは,元素は現実とはつながらない,言わばフィクションの世界の中の言葉にすぎません。

錬金術における四元素の象徴。左から土,水,空気,火を表す。

元素の数は実験によって決められる

 ところが18世紀ごろになると,ラボアジエが実験によって水を気体の酸素と水素に分解してしまいます。また,空気には燃焼と関連する成分=酸素が含まれていること,さらには燃焼が酸素と結びつく酸化反応であることを示します。

 つまり,元素は火や水や空気といった「見た目」によって分類されるべきではないということです。では元素は何種類であると考えるべきでしょうか。これは頭の中だけでいくら考えても答えが出ない問題です。そこでラボアジエは元素を「実験によってこれ以上分解できない成分」と定義し直しました。

 中学理科の単元「化学変化と原子・分子」では酸化銀の熱分解,炭酸水素ナトリウムの熱分解,水の電気分解という順番で物質を分解する実験を連続で行いますが,この一連の実験はラボアジエの定義を踏まえたものでしょう。つまり元素の数は,数多くの物質を分解する実験を繰り返さなければわからないのです。

 もちろん,たった3つの実験を行っただけでは元素の数を調べ尽くすことはできません。ですから,中学生は過去の人類が行ってきた様々な実験に基づく基礎知識としての元素名を,理科を通して教科書から学ぶことになります。これは,中学生にとっては「覚える」ということを意味します。

 覚えると言っても,単なる無意味な作業として捉えてほしくはありません。元素を学ぶことは私たちの世界を「化学の言葉」によって捉え直すための入り口なのです。

元素はアルファベットでもある

 化学にとって,元素は「文字」と同じです。文字の組み合わせで単語ができるように,元素の組み合わせで物質が作られます。ですから,アルファベットを学ぶのと同じように,元素記号を学ばなければなりません。

 化学は物質の変化を元素という思想によって捉え直し,それを言葉に置き換えます。日常生活で起きる出来事は日常語で表されますが,物質の化学変化を言い表す言葉は,必ずしも日常語とは一致しません。

 例えば,「燃焼」は,日常語では物が炎を出して燃えることですが,化学の認識における燃焼とは「光と熱を激しく出しながら,物質が酸素と結びつく変化」であって,これを元素の概念で表現したものが物質名反応式です。

メタン + 酸素 → 二酸化炭素 + 水

 ここで,「二酸化炭素」という物質名には「酸素と炭素がこれ以上分けられない成分(=元素)として含まれている物質」という意味だけが含まれています。これは,単語がアルファベットからできていることに似ています。ただし,メタンは「炭化水素」,水は「一酸化二水素」と書いても良いのでしょうが,身近な物質の場合は慣用的な名前の方が使われます。元素という考え方だけで「燃焼」を表現したければ,以下のように書くべきでしょうね。

炭化水素 + 酸素 → 二酸化炭素 + 一酸化二水素

 英語の辞書には実に多くの単語が載っていますが,それらは全て26文字のアルファベットからできています。ラボアジエの書いた教科書には,元素として33種類が挙げられていました。現在の周期表に載っている元素の数は118種類ですが,中学理科の教科書に出てくる元素の種類は約19種類程度です。アルファベットよりも少し少ないですが,辞書に載っている単語と同じくらい,数多くの種類の物質の名前を表すことができる。これはすごいことですよね。

 言語が私たちの認識や理解を形作るように,化学もまた独自の視点で世界を切り分け,理解する手段を提供しています。元素を学ぶことは物質をいくつかの要素の組み合わせとして認識するということです。物質の変化を言語的に捉えるからこそ,実験で得られる物質変化という経験を他の人に正確に伝えるということもできるようになります。

まとめ

  • 元素とは「絶対に変化しない成分は,一つではなく複数種類ある」と考える思想である。当初は、水、火、空気、土の四つの元素が提唱された。

  • ラボアジエの実験により、元素は「実験でこれ以上分解できない成分」と再定義された。

  • 元素は,化学における「文字」のようなもの。単語がアルファベットの組み合わせであるのと同様に,元素の組み合わせで物質が作られる。そう考えることによって,物質の変化という出来事を認識し,それを人に伝えられる。

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