【創作】紅茶専門店の苦肉の策
崩れていく。
これからの自分の人生を見ているようだ。
桜の木を傷つけないように。あんなに丁寧に扱われる桜の木を羨ましく思う。
築約100年と聞いた。向かいの喫茶店がショベルカーで壊されていく。
コーヒーを飲みながら『閉店した店の近くに咲く桜は、なんて綺麗なんだろう』なんて、のんきに感想を言ってみる。現実逃避、そして明日は我が身。がらーんとした客席をみて、愕然とする。
脱サラして5年。
紆余曲折、いろいろな仕事をした。思い返すと...思い返せないくらい、いろいろな仕事をした。そして、やっと自分の店をもった。
店名『紅茶専門の喫茶店』
アールグレイと手作りクッキーが売りである。セットで500円。いける、絶対いける。人通りも多いし、常連客が出来れば軌道に乗るはずだ。
最初のうちは、新しいお店ができたと地元のテレビに取り上げられた。『紅茶、美味しいですね』とディレクターが黄ばんだ歯を見せニコっと笑っていた。いや、コーヒーの方が好きだろう?嘘くさいなという、ツッコミはさておき。そういう態度が、テレビから伝わってしまったのか、そもそも紅茶の味、価格が適正ではないのか。オープンして一年を過ぎると、客足はパタリと止まってしまった。
"常連客とは?"
よく言う、常連客とは異なり、うちに来る常連客は、向かいの店が潰れてからは、同じことを言うクローンばかりになってしまった。
『コーヒーはないのか?』
『コーヒーはないのか?』
『コーヒーはないのか?』
店名を見たか?と返したい。看板の『専門』の文字を太字にしても、質問してくる。
そして、何百回目の『コーヒーはないのか?』でついに、心が折れた。気持ちを吐き出すように『コーヒーありますよ』と答えると、なぜかスッキリした。
ついに、コーヒーを提供するようになり、少しずつお客さんが増えた。店名は変えずにコーヒーも出す。
"専門とは?"
紅茶の専門は譲れないが、コーヒーも譲れない。よって、メニュー表のコーヒーの欄に、お客様のご要望が多かったためコーヒーも提供しておりますと注釈を入れた。些細な抵抗である。
そもそも、紅茶が好きで、通信教育で紅茶を学んだ。今の時代、修行に行かなくても習得できてしまう。すごいと思う判明、そういう人も多いのかなとも思う。
向かいの喫茶店も、親から継ぎ独学でコーヒーを学んだ店主で、理由は分からないが、店を畳むことにしたらしい。ただ、向かいの店主と自分とでは大きく異なる点がある。それは、向こうは地主でこちらは賃貸ということ。向かいの店主は、店舗も土地も親から相続された自分のもの。喫茶店を更地にした後は駐車場にするらしい。これからは悠々自適の生活が待っているが、こっちは、生活がかかっている。店を出すために銀行からお金を借り、毎月、家賃やその他諸々も払いきれず消費者金融からお金を借りる。スタート地点が違うと、ゴールも異なる。そう思うと、自暴自棄になり、適当にコーヒーを入れてしまおうかと、幼い発想になってしまう。
しかし、今の店の売りは『コーヒー』なのである。向かいが潰れてくれたおかげで、コーヒー目当てでお客さんが来てくれる。不本意だが、主力商品なのだ。コーヒーに力を入れ、そして種類を増やした。プライドを捨て、自分を鼓舞させた。
『美味しい紅茶っすね』
語尾の"っすね"が若干気になるが、ちょっとチャラいお兄さんが、スマホを弄りながら、紅茶を誉めてくれた。
『ありがとうございます』
オープンしてから、紅茶の味に感想を述べてくれたお客さんは初めてなので、嬉しくなった。その高揚感で若者と会話を続けた。
『実は、、、独学なんだ』
「実は、、、」を目一杯溜め、外国で修行したかのように、言ってみた。
『そっすか。紅茶って、レモン入れると、だいたい、味いっしょっすよね。でも、これはうまいっす』
会話なんてしなきゃ良かったと後悔した。本来の紅茶はそうじゃない。たしかに、自分も紅茶を学ぶ前は、若者と同じことを思っていた。違うんだ、若者、"紅茶は"ではなくて"レモンは"どの料理に対しても主張が強すぎるんだよ。
『ありがとう。紅茶、本来の味を分かってくれて嬉しいよ』
久しぶりに人と会話をし、感情の起伏からか、少しのやりとりでも疲れてしまった。会話を切り上げ、紅茶を飲んだらさっさと帰って欲しいとまで思う。
『ご馳走さまでした』
若者はテーブルに300円を置き、店を出て行った。
『ありがとうございました』
ふと、若者が出て行った先を目で追った。向かいの桜の前に足を止め、木に手をかけた。昔、探偵小説が好きで、よく探偵ゴッコをしたもんだ。店が暇すぎて、妄想と借金だけが膨らむ。
『もしかして、彼は、桜の木の下に何かを埋めたのか?』
次の日も、またその次の日も若者は紅茶を飲みにきた。店にいる客全員(4~5人)がコーヒーを注文し、香りが充満する店内で、相変わらずスマホを操作しながら、紅茶を飲んでいる。
"今年の花粉は、量が多いらしい"
全くもってその通りで、マスクをし、鼻が詰まった状態で接客をすることになった。若者が桜の下に何か埋めていようが、どうでもよくなるくらい、イライラし、気が散り、鼻づまりが続いた。
自力で花粉を乗り越えるのを諦め、耳鼻科から薬をもらい、鼻水が和らいできたある日、例の若者から、独特の香りを嗅ぎとった。
『コーヒー?』
若者に聞こえるか、聞こえないくらい微かに声が漏れてしまった。いつも通り、紅茶を注文する若者だが、この香りがこの店の充満したコーヒーの匂いではないことだけは分かった。
若者に紅茶を提供する際、最も近づく。マスクの中で花粉まみれの鼻を大きく開いた。独特の匂いがする。
『モカマタリ?』
今度は、若者に声が聞こえてしまったようだ。
『はい?何か匂います?』
何かを操作したあとスマホを置き、若者は自分の体の匂いを嗅ぎ始めた。
記憶が甦る。若者のうつむいた横顔で、全てを思い出した。
そもそも向かいの閉店した喫茶店【中冨コーヒー店】は、学生の頃からの行きつけだった。コーヒーを飲み続けた結果、一時、飽き、紅茶に目覚めたという経緯がある。
約15年前の中冨コーヒーのオーナーは2代目だった。初代が道楽で始めた喫茶店で、それを継いだという話をした記憶がある。
2代目オーナーは、今は60才前後だろうか。紅茶専門店をオープンすると挨拶に行った際は、自分が学生の頃、通っていたことを覚えていないようで、普通に挨拶だけをした。
『向かいの店のことだけど、、、』
『向かいの店、行ったことあるっすか?』と、若者が聞いてきた。
『あ、あ~学生の頃ね、少し。あの店、ずっとコーヒールンバっていう曲を流してたよね。ちょっと、ごめん、席はずす』
動揺してしまった。用もなく裏に回り、深呼吸をする。もしかしたら"モカマタリ"君なのかもしれない。まさか、そんなことがあるのか。店に戻ると、若者はコーヒールンバを鼻歌で歌っていた。
『あれ、やめろって言ったんすけど。昔、アラブの偉いお坊さんがって訳分からないじゃないっすか』
自分はコーヒー好きだから知っていたが、こんな若いのに"コーヒールンバ"を知ってるとは。確信した、この子は"モカマタリ"君だと。
学生時代のちょっとしたイタズラだった。某テレビ番組の企画をマネしてみた。注文時に店員さんに『アイスコーヒー』に近い言葉で『アイスコーヒー』を運んでくれるかどうかというゲームをしていた。
例えば初級編だと『ナイスモーヒー』と言えば『アイスコーヒー』が出てくるか。
上級編だと『欧陽菲菲(オーヤンフィーフィー)』と言えば『アイスコーヒー』が出てくるかなど。
そこから派生させ、自分は『モカマタリ』を『中臣鎌足(なかとみのかまたり)』で注文をしてみた。まさか、その注文を受けていたのが、今、目の前にいる彼なのか。いや、年齢が合わない。
唐突に『君はまさか、中臣鎌足なのか?』と不思議な質問を投げ掛けてしまった。
モカマタリ君こと、中臣鎌足君は急に鼻歌をやめ、無言で店を出て桜の木の方へ歩き出した。
自分の声とは思えないほどの大声で『君は中臣鎌足なのかー』と絶叫し、彼を追った。
モカマタリこと中臣鎌足は、桜の木の下で足をとめ、スッと消えていった。
自分は、ここでようやく、あることに気づいた。
桜の木の下には『オーナーの息子こと中臣鎌足君が埋まっている』
桜の木を傷つけないように建物を壊しているのは、桜の木の下の中臣鎌足君を発見させないため、そうに違いない。
警察に通報しようか、いや根拠がない。ここに中臣鎌足君が埋まっていると言えば、自分の方が確実に捕まる。
どうしようか。いや、今はそんなことを考えている暇がないほど、金もない。今日見たことは、忘れて、日常に戻ろう、そうしようと心に誓った。
それから中臣鎌足君は、常連となり毎日のように紅茶を飲んでいった。支払い方法が、現金から電子マネーに変わり、あの世でも普及し始めてきたんだなと感心した。
紅茶を飲んだ後は、いつものように桜の木の下にスッと消えていく。
それでいい、成仏をさせて欲しいと自分にお願いしているのかもしれないが、見て見ぬふりをさせてもらう。このまま常連で。
(おわり)