パラリンピックの雑談ができる社会の可能性
2021/07/18私的にオリパラで思ったこと
今、私の視界には
オリパラに関わるものと青空が
広がっている。
先日、1人約1分間の雑談タイムのテーマが
オリンピックの思い出
だった。
20代の方が多い場だったので
アテネ、リオ、ソチ、トリノなどの話が上がる中
TV中継が各所素材として使われているロス、
日本開催の長野の話も出て
視点の違いを感じられる時間だった。
私は、というと
記憶上書き型なせいも大きいが
娘の小学校のオリパラ教育
が真っ先に浮かんだ。
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▼ オリンピック・パラリンピック学習読本(小・中・高)
https://education.tokyo2020.org/jp/teach/texts/book/
▼ オリンピック・パラリンピック・ムーブメント全国展開事業(オリパラ教育)
https://www.mext.go.jp/sports/b_menu/sports/mcatetop08/list/detail/1407880.htm
▼ オリンピック・パラリンピック教育の推進に向けて 2016年7月21日
https://www.mext.go.jp/sports/b_menu/shingi/004_index/toushin/__icsFiles/afieldfile/2016/07/29/1375094_01.pdf
東京都では、2016年度より都内全ての公立学校において、「東京都オリンピッ ク・パラリンピック教育」実施方針に基づき、「オリンピック・パラリンピックの精 神」「スポーツ」「文化」「環境」の4つのテーマと、「学ぶ」「観る」「する」「支 える」の4つのアクションとを組み合わせた多彩な教育プログラムを推進している
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この一年以上
コロナ禍でさまざまな学校行事が
中止、延期となり、
児童個人が自分の視点で
個人の力では難しいこと
人が集まるからこそ難しいことを
見つめ直す機会になっている。
オリンピックパラリンピックに
大して関心がなかった私とは
比べ物にならないほど
娘は学校教育で関心を養ってきていた。
だからこそ
現状をなんと受け止めて
どう言葉にしてよいのか
戸惑っている様子がある。
私はどこかで、このオリパラが
娘にとっては
私にとっての地下鉄サリン事件のような
位置付けになるのだろうかと思っていた。
もちろん違うことをあげればキリがない。
が、
人為的かつ
個々人に悪意がなく
むしろ希望から始まったはずのことが
組織の構造
特に判断をする構造で
何故こうなった?
を止められなくなることを
感じる機会に思えている。
教育に入り込んでいたものを
疑う機会があることを
糧にしたい。
私的には
やはり
「パラ」
に注目したい。
10年後
パラリンピックの思い出
をごく自然に雑談のテーマに20代があげられて
雑談できる社会に向けて
できることがきっとある。