小説詩集6「消えた教科書」
「先生、帰ってもいいですか」
て私は許可を求めた。求めはしたけれど許可も却下も待たないで、もう教室を飛び出していた。
それは消えた教科書をみつけるためで、あるいは、教科書を持ち去った人を見つけるためで、その人が、私の教科書と一緒に消えたのは疑いようがなかった。
「君、よく教科書を落としてるよね」
て私の奇行に気づいたのは彼がはじめてだった。
国語だろうと世界史だろうと、音符みたいな記号の詰まった数学でさえ、それはセレンディピティの宝庫だった。
「わざと落としてるの?」
私はバレたのなら仕方ない、と頷いた。
「一体どうして?」
「これは私の教科書占いなの」
「教科書占い?」
彼はおうむ返しに聞いた。
「うん。ひらけたページが樋口一葉なら、急いでそれをやりなさいってこと、更級日記のページならゆっくり妄想したまま眠りなさいっていうふうに」
「驚いたなあ、教科書にそんな使い方があったなんて」
彼の反応がとても好意的だったので、私は照れた。
「特に迷うことでもあるの?」
と彼は聞いたけど、私はその愚問に答える気にもなれなかった。この人は理系だし、幸せな人なんだって思った。それからというもの占いをするたびに彼と目があって、私はコソコソとページを読み解くのだった。
校門を出て繁華街を走った。駅ビルや地下道をやみくもに探した。公園や図書館を探したってよかったけれど、彼がグレるのは今しかないって予感がしてた。
「現象が負、だと見なされる理由ってなんだろう?」
放課後昇降口の雑踏の中、教科書占いに耽っている私に彼が聞いてきのは数日前のこと。
「つまり、負だと思うものの中に負を見るからだろ」
彼は自答した。その時のことを思い出しながら私は地下道を走る。
「借金には取り立て、病気には苦痛、歪んだ性格ならそれによるとばっちり、」
彼はそんな風に並べ立てた。
「優秀なら、劣等感を喚起するっていう負の要素があるわね」
て私がはしゃいだ。
優秀はそもそも負じゃないから、ってあなたは否定したけど、心の中で思ってたんだよ私、一見負じゃなくたって負を引き寄せるんだって。
ともかく、その負の中に彼が消えたヒントがあるんだと思う。だからやさぐれてる彼を怪しげな飲食店やゲーセンに求めた。でも見つからなかった。
こうなったら生物の教科書占い、って振り落とした。フィードバックって出たから私は疲れた影を連れてマンションに戻った。
「おそかったな」
エントランスに立っていたのは彼だった。
「ここにいたの?探したんだよ。てかどうしてここに」
「俺んち、この最上階だから」
「そうなの」
「今日まではな」
彼について行くと、知ってるはずのマンションに知らない裏エレベーターがあって、私たちは最上階に登った。
ガラス張りのリビングが嘘みたいに広かった。
「化学の教科書が消えたんだよ」
「使わせてもらったんだよ、どうしていいかわからなくてさ」
何もわたしのじゃなくったって自分の教科書でかまわないんだよ。でもいいよ、化学の教科書使わないし、使っても読み解けないし。
「親がさ、ここを手放すことになってさ、ここからの景色も見おさめなんだ。でさ、君と眺めたくて待ってたんだよ」
「そうなんだ」
見下ろすと眺望がひろがっていた。
「あのさ、」
負の中に負があるように、正の中にも負があるんじゃないのかなあ。だって、あの川ウチの窓からだったもっと大きく見えるんだよ。ポンポン船の音もきこえるんだよ。だから。
「だから?」
だから、負の中にだってきっと正のベクトルはるはずなんだよ。
「それって、やっぱり物理の教科書で占ったの?」
「いやまさか、ワタシ文系なんだよ」
おわり
❄️やさぐれることはよくある話、そんな時は占うしかありません、的な気持ちで書きました。世界は広いのに小さな世界で私たちはやさぐれる。あ、やさぐれるって言葉が喜んでる。