私だけが知らないルール
「治安の悪いところにはいかないようにしよう」が、とても生きづらい、という話。
バーで働いているときの自分が嫌いだった。
特に初期、擬音で言えば「ガチガチ」。どうするのが正解なのかわからなくて、何もできない感じ。
慣れてきて、もう少し自由に動けるようになっても、それは仕事の習得というよりあきらめだった。たぶん違うんだろうなあ、こんなんじゃダメなんだろうなあ、という感じで動いていた。
普通に、実際的な仕事を覚えることで解決したはずのこともたくさんあった。そこの怠惰は無言で反省するとして、ここでは観念的な話をする。
「私だけが知らないルール」がある気がしてならない。
特に、お酒の場、遊びの場。遊び慣れていない自覚があり、そこに負い目を感じているからこそ、「今、どうするのが正解?」というマインドに陥ってしまう。
実際、飲みの場から帰った人について、「あいつサムかったな」みたいに評価しているのを見たことがあるし、「みんなあんなに楽しそうだったのに、それじゃダメだったんか!もうわからん!」ってなってどんどん自信がなくなる。
遊びの場面でない人とのコミュニケーションも、「どこまで聞いていいんだろう、あんまり踏み込むのは良くないのかな」と考えはじめると嫌になってきて、「いいや、何も聞かなくて…」となって最低限の会話しかできないことがよくある。(今のホストファミリーとの会話もそんな感じ…頑張るようにしてるけど)
青森県出身の王林というアイドルが、「東京は暗黙のルールがいろいろあって怖い。服屋さんで服を見るときは、外側からだんだん中の方に回っていかなきゃいけないとか」と言っていた。もちろん、「そんなルールないよ!」と突っ込まれていた。
そんな感じで、「私だけが知らないルール」も、怖がってる私が作り出した幻想にすぎないんだと思う。
私から見て「ルールを知っていそうな人」も、好き勝手やってるだけかもしれない。その場ではその人が強いからそれがルールに見えるけど、影ではほかの人の「ルール」と対立しているかもしれない。
かっこよく見える様式とか、失礼を回避するマナーとかはあるかもしれない。だけどそういうのは動いていろいろと失敗しながら学ぶものだと思う。
「かっこよく見える様式」に思考停止で従っても、全然かっこよくない。その様式を理解できていないなら、理解できていない自分のかっこ悪さを引き受けるべきだ。
だから私は「わたしが知らないルール」なんて恐れないで、自分のかっこ悪さ、無知さを認めて、動きながらいろんなことを覚えていくべきなのだ。
でも、「治安の悪いところ」は本当にあるわけで。
私は無知だ!勉強だ!と思いながらちょろちょろ動いていたら、そういうところに入り込んでしまうかもしれない。
「治安の悪い地域」だったらはっきりしてるから、簡単な予習をすればいいだけの話かもしれない。だけど実際は「足を踏み入れてはいけない世界」ってかなりグラデーションな気がする。
これより先って、もしかして入っちゃいけない場所?それってどれくらいヤバいの?どれくらい失礼なの?もう帰った方がいい?
そんなことを考えると、やっぱり私はガチガチになって、何もできない、何もしたくないという気持ちになってしまう。
未知のヤバさを計り知って、自分の踏み込む範囲を見定める。そんなバランス感覚、器、身につけられたらかっこいいなあ。
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