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(小説)交響曲第五番(三・五)

(三・五)第三ラウンド・2分30秒

 以後も自分は変わることなくせっせと働き、ドヤで暮らし続けた。けれど吉原には、もう二度と行かなかった。酒も煙草もやらない。じゃ楽しみは何だと言えば、月に一度、林屋に顔を出すこと位だった。そうこうしているうちに四年の年月が流れ去り、気が付くと自分は二十歳になっていた。成人式に出る訳でもなく、誰かに祝ってもらった訳でもない、と言うか誰にも教えたりなどしなかった。そんな寂しい二十歳の門出だったけれど、ここまでよく生きてこれたと、自分なりには感慨深かった。
 けれどまだあの夜のことは、忘れられずにいた。二十歳になっても、まだ夢にうなされた。あの夏の、留萌での土砂降りの一夜、権田川の背中を刺した瞬間の、あの包丁の感触……。ところが或る晩のこと。ドヤの洌鎌さんの部屋でTVニュースを見ていた時、忘れもしない、あの男の名前がTVから聴こえて来た。権田川三郎。何でも、留萌で暴力団同士の抗争が勃発し、相手組の組長を殺害した権田川三郎(五十二歳)を逮捕した、のだと言う。画面には忘れもしない権田川三郎の顔が、多少老けてはいたが、映し出された。間違いない、あの権田川じゃねえか。
 自分は開いた口が塞がらなかった。しかし待てよ。これは一体どういう訳だ。あいつはあの晩自分に刺されて、死んでしまったんじゃなかったのか。しかし現にこうして。ってことは、あいつもしかして、死んでなかったってことなのか。まさか。ってことは自分は、あいつを殺してなぞいなかった……。まじかよ、冗談だろ。なあ、かあちゃん。
 その事実が自分を叩きのめした。ショックの余りさっさと自分の部屋に戻り、しばらくぼーっとしていた。あの男が生きてたなんて。じゃ自分はあの晩、逃げなくても良かったんじゃねえか。そんなバカな。しかし。しかし今更留萌にも、幸子の許へも帰れやしない。それに人を刺したという事実は消えないのだから、やっぱり自分は犯罪者だ。その想いが、自分を山谷にとどまらせた。

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