(小説)宇宙ステーション・救世主編(七・四)
(七・四)大熊座ステーション
ザヴザヴシュワー、ザヴザヴシュワー……ここは銀河の北の果て、打ち寄せる星々の波また波は荒く冷たい。ひと滴触れるばかりで凍り付く寒さである。このステーションの中心にて燦然と煌めく北斗の七つ星は、荒海の如き銀河の果てを照らす宇宙の灯台なり。ここを通過せんとする旅の星々は、良いか、我が安らかなる千年の眠りをば乱さんように致されよ。さもなくば我が空腹の餌食となりてしまうぞよ。良いか、如何なる星も覚悟致されたし、くれぐれも我が神聖なる眠りをば冒さんように。何者か、もしも我をば覚醒させたれば、それは正しく虎の尾を踏んだも同然。我が正義の怒りや凄まじく、太陽系第三惑星など一たまりも御座らん程。故に注意の上にも慎重を怠らんように、それでは皆の衆、お休みなさい、御機嫌よう。
バビブベブー、こちらは大熊座ステーション。メシヤ567号殿に告ぐ、貴宇宙船と太陽系第三惑星との頻繁なる交信電波のノイズによりて、遂に我らが駅の守護神なる大熊神の神聖なる千年の眠りが冒された。大熊神は大変なお怒りであるぞよ。このままでは如何なる災厄がこの宇宙全土に発生するやも計り知れない。何故そげん、彼の星とやり取りばっかしとっとかいね。その必要性、正当なる理由をば述べてみさらせ。以上、バビブベブー。
ピポピポピー、こちらはメシヤ567号。これはこれはお騒がせ致しまして誠に申し訳ない、大変なる失礼をばどうぞお許し下さいませませ、大熊座ステーション殿。しかも只今救世主不在にて、併せてすいません。わたくし共現在、御存知の太陽系第三惑星へと向かう旅の途上。最終目的地はYoshiwara駅で御座いまして、到着前に調べ物をば完了させるべく現地調査を鋭意行っておりまする最中で御迷惑をお掛け致しました、はい。調査と申しますのは他でもありません、Yoshiwaraなる街に於ける第三惑星人の営み、ざっくばらんに申せば売春の調査で御座います。
バビブベブー、何々、こちらは大熊座ステーション。売春、売春とな。はてそれは聞き捨てならんと大熊神様も尚一層のお怒り。売春とは即ち人身売買のこと、然るに人身とは神の器とも申すべき神聖なるものであーる。それを売り買いするなどとは何事であるか、身の程知らずも甚だしい。
ピポピポピー、こちらはメシヤ567号。お怒りは御尤も、されど致し方ありません。なぜなら第三惑星人は宇宙に於ける否第三惑星上に於いてすらも余りに短き僅かなるその歴史の中で、永いこと人身売買をば行ってきた模様。しかもそれは経済成長と歩調を合わせるが如く第三惑星人社会の中に深く根を張りまして、更に深く深く浸透拡大しつつ今日に到っておるという現状で御座います。
なぜなら経済至上主義は彼らに莫大な富をもたらしはしましたが、それと共に競争ひいては戦争をも助長し、生命を金銭的価値観でのみ量り物同然に扱うようになってしまいました。その結果第三惑星人たちは様々なストレス、不平不満、孤独感、また貧困の恐怖や不安に苛まれ、それらから逃れんとして知らず知らず刺激を求めるようになり、いつしか満たされざる欲望のはけ口として売春と称する安易なる人身売買に身も心も染まってゆくのであります。その需要は経済の発展と共に拡大し、そこに目を付けたるマフィア共裏社会の連中が、いち早く風俗産業などと称したビジネス化にまんまと成功し今日に至ったとこういう訳です。そして登場したるのがYoshiwaraなのであり、これこそが風俗産業の象徴とも呼ぶべき性ビジネスの聖地、メッカなので御座います。
バビブベブー、はいはい、なんか話が理屈っぽくて、とりあえず分かったような分からぬような、こちらは大熊座ステーション。兎に角貴殿の情熱だけは何となく伝わりました。そこで、そなたたちは、そのYoshiwaraなる汚れた都市をば勿論一掃せんとする為に、今第三惑星へと急がれておるとこういう訳ですな。それならば大いに結構結構、大熊神もお喜びです。
ピポピポピー、実はそこが何とも、こちらはメシヤ567号。微妙な悩ましき点で御座いまして、正直申せばまだ決めかねておるところです。よって現在出張中の救世主とも鋭意検討中なれば、もう少しお待ちを。決して大熊神殿の期待をば裏切らぬよう進める所存故、何卒寛大なる御慈悲をば頂戴下さいますようお願い奉ります。
何しろ彼のYoshiwaraも今は梅雨の季節を迎え、日々雨また涙雨。その中で時折見せる街一面に広がる夕映えの美しさやら、しっとりと雨に濡れたる夜のネオンの艶やかさ、また夜明けのアスファルトの路地に毒だみの白き花びらを濡らして降り頻る驟雨などといったら堪りまセブン。晴れ渡った日の朝陽は他の地と彼の地の分け隔てなく等しく降り注ぎ、名もなき草花もYoshiwaraの路傍に咲けば、汚れなき蝶やら働き者の蜜蜂共も飛んで参るし、娼婦たちの憐憫と菩薩の如き慈悲によりて多くの野良猫共は花街の片隅に命拾い飢えをば凌いで何とか生き延びてもおりまする。そげな風景をば見せられますと、ついつい鬼の目にも泪、心は迷い迷って決心が鈍ってしまうもの。とまあ今宵の愚痴はこれ位に致しまして、それでは御機嫌よう。
ザヴザヴシュワー、ザヴザヴシュワー、こうして大熊座ステーションを旅立てば、太陽系の入り口まではもう少し。目指すYoshiwara駅へと一星一星、確実に近付いてゆく我らが宇宙船。かくして果てしなき宇宙の旅はもう少し続くのである。ピポピポピー、ピポピポ……ザヴザヴシュワー、ザヴザヴシュワー……。
少年の空想が途絶える。傘に当たる雨粒の音がしない。河原の草を濡らす雨の音もしない。詰まり雨はもう止んでいる。雨音の代わりに聴こえ来るのは、少年の子守唄。
『……宇宙船はいってしまった、人々の諦めた顔を眺めているうちに、お腹を空かした子犬とぼくを残して……もしもあの宇宙船が、きみを助けにくる夢を今夜見たならば、きみはいってしまうかい、この悲しき宇宙ステーションを残して』
目を開けると、空には銀河が瞬いている。
「ほな、にいさん。雪、もう行くな」
傘を閉じ、子犬と少年に手を振る雪。いつか弁天川の河原には、小さな無数の光が瞬いている。丸で地上に広がる銀河の如く、その正体は蛍。しっとりと濡れた毒だみの花が蛍の光に恥ずかしそうに照らされながら、雨上がりの風に揺れている。