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(小説)おおかみ少女・マザー編(四・三)

(四・三)胸騒ぎ
 その頃狼山のマザーは、なぜか突如として『胸騒ぎ』というものを覚えるようになった。人類社会とは一切無縁、この狼山でオオカミ族と自由自適に生きるマザーである。今迄そんな胸騒ぎなどと言った類とも、一切無縁であった。よってマザーは至極、困惑した。
 マザーには全く心当たりが無かったが、ちゃんとした理由有ってのそれであった。ではその『胸騒ぎ』の原因とは何か?実はラヴ子からのものであったのである。具体的にはラヴ子の『動揺』、それがマザーへと伝わって来ていたのである。
 マザーとラヴ子のふたりは双児。たとえ離れていてもこのふたりの間には、切っても切れない双児としての魂の絆というものが現在も存在する。そして今それを通してラヴ子の感情が、マザーへと影響を与えている、という理屈である。あたかもテレパシーの如くに……。
 しかし人間の世界で生きて来たラヴ子であるから、テレパシーのやり方など知る筈もない。そんなラヴ子の動揺が、なぜ?もしかしたら尋常ならざるラヴ子のそれが、彼女の本能をしてテレパシーと為し、マザーにSOSを送っているのかも知れない。
 だがマザーとラヴ子。残念ながらお互いにまだ、相手の存在すら知り得ていない。よってマザーには得体の知れない『胸騒ぎ』となったのである。

 いずれにしても今ラヴ子は、それ程までに激しく動揺していたのである。ラヴ子の動揺!ではなぜ彼女は、そんなに激しく動揺しているのか?一体、何に対して?言うまでもなくそれは、火星エデン計画である。
 ラヴ子とて、まだ十六歳の少女に過ぎない。他の旧人類たちが動揺していたように、ラヴ子もまた同様に動揺していた。健一郎が、秋江が、義夫が、そして高校のクラスメイトたちが皆動揺し、不安を覚えていたように……。ラヴ子もまた然り、不安で仕方がなかったのである。
 これからラヴ子たち、一体どうなってしまうの?お父さん、お母さん、義夫さん、クラスのみんな、中学までの友だち、近所のおじさん、おばさん、子どもたちも、大丈夫なの……?
 それでも周りの大人たちは、少しずつ落ち着いて来ていた。そして皆火星行きを、概ね肯定しているかのように思えた。
「みんなで、火星に行こう」
「火星で生まれ変わった気持ちで、やり直そうよ!」
「火星に行って、わたしたちの世界を築いてゆきましょう」
 こうして火星に行く事を歓迎し、待ち望みさえする人々の中にあって、しかしラヴ子は未だに懐疑的だった。理屈でなく生理的本能的に、全然気が乗らなかったのである。
 ラヴ子、火星なんかに行きたくなーーい!この愛する、いとしい地球にいたい。大好きなラヴ子の地球の上で、死ぬまで生きていたいよ。でも、でも、みんなが行くんだったら……。
「ゆきちゃんも勿論、火星に行くわよね?絶対!」
「うん、行く行く……」
 秋江を心配させないように、ラヴ子は陽気に笑い返す。義夫にも同様に……。
「ラヴ子!俺火星に行ったら絶対、ジャーナリストになる。今からでも遅くないだろ?」
「うん、そうだよ」
「楽しみだなあ。でも凄い事だよね、考えてみたら」
「何が?」
「だって世界を、社会っていうものをさ、俺たちの手で一から創っていくって訳だろ?そりゃ、やり甲斐あるよね。それだけ大変なのは、大変なんだろうけどさ」
「そだね、うん」
「でも旧人類、じゃない!俺たち人間が、みんなで気持ちをひとつにしてやれば、何とかなるんじゃない?」
 努めて明るくポジティブに、未来を想い描こうとする義夫。そんな彼の、夢と希望を壊したくない。ラヴ子は複雑な想いの中で、矢張り陽気に笑い返すしかなかった。
「ほんと、凄いよね!ラヴ子たち、絶対、上手くいくって!」
「だよね。本当、今から滅茶滅茶楽しみ!」
 高校に行っても、火星の話題ばかりである。
「早く行きたいね、火星!」
「でも高校は、どうなるんだろ?」
「極力現状のままでやれるように、上手く進めていくんだってよ。大人たちが……」

 国連の場に於いて、火星基地内での各国の居住区の割り振りなど、具体的な話がどんどん進められ、必要と思われる全ての事が迅速に決められていった。基地内には食料(保存食)も衣服も充分に有り、贅沢さえ言わなければ、今直ぐにでも日常生活が送れる状態にあると言う。
 旧人類の各国代表(その国の旧人類の政治家や実業家等で構成)によって、国際会議が幾度となく開催された。その中で火星での人間社会の構築について、真剣な議論が熱く交わされたのであった。

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