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ねっとりと縛りつける過干渉な母親は娘から何を奪おうとしているのだろう

世の中に「毒」ではない親っているのだろうか?

毒にはならない親、(特に母親、特に娘にとって…)
なんて親は多分、存在しないと思う。
私が知らないだけか?

どんな形であれ無意識であれ「母親」は毒をもつ、と、
思う。絶対、そういうものだと思う。

暴力暴言はもちろん毒、育児放棄ももちろん毒、
厳しけりゃ厳しい、で毒、優しければ過干渉という毒

加えて母親が娘に対するソレはさらに複雑になってくる。
期待、押し付け、支配、嫉妬…

母親が高齢になればなるほどもっとややこしくなっていく
老いて甘えが加わる。唯一無二の親友、自分の分身かのように
振る舞ってくる。
母親のくせに娘に自分の母親代わりになることを
求める。
自分の人生の意味を娘に求める、
すべて背負えと駄々こねる。

すごく…気持ち悪い。

娘はきっとこう思う。

「自分と母親の境界線がわからなくなってくる」

それもそのはず、母親からしてみたら
もともと、自分と娘との境界線なんてない。


…なんていう「毒親」「毒母」の件は
昔からよく小説の中や映画やドラマの中、そして漫画の中
(特に少女漫画)の中で目にして来た。

萩尾望都先生の作品だって、根底に流れているテーマは
いつだってそうだろう。
ラストに壮大な仕掛けがあってすべて覆させられる
笑えるホラー・楳図かずお先生の「洗礼」もそう。
(毒母の話だけど、素晴らしすぎて感動した)
最も怖くて笑えないのは
山岸涼子先生の短編ホラー。リアルすぎてぞっとするし
救いがない。
で、もっともっとさかのぼれば
グリム童話の「白雪姫」。
これってホラーでしょ(笑)



なんでなんで…

なんで今も昔も「娘」は「母親」に苦しめられな
あかんのや!


このままだと高齢の母親よりも
私の方が先に死んでしまう、と
まじで思う。
もう、その方がいいかな、とも思う。
この先死にそうにない老婆と関わっていると
「死んだらこの老婆とも縁が切れる」と
ふと思ってしまう。

…と、一般的な母と娘について書くつもりが
どっぷり私の心情を吐き出してしまった。

母が先に死ぬか、私が先に死んでしまうのか
それはわからないけど、
とりあえずまだ元気に生きている私には
まだまだやりたいことがある。

それは漫画を描くこと。

今まで避けてきたけど、
私も毒母について描きたい。
もう描いてもいい頃だ。
描かせて。ていうか、もう描くし!

と、いうわけで今年4月から連載がはじまった
「メンエス嬢加恋・職業は恋愛です」の
第9話で一番描きたいタイプの母親を描くことができた…。

16ページという短いページ。
だけどそれが逆によかったと思う。
長編になってしまうと、いつまでもいつまでも
毒母エピソードが延々と続いて鬱になってしまいそう。

解決したい。
そう、私は母娘問題を解決したい。

だからこそ「だらだら」ではなく、スパッと描ききる方がいい。
この連載をはじめることができて本当によかった。
自画自賛だけど、謎めいたメンエス嬢が客の心に
踏み込んで(本当は勝手に踏み込むのはよくないけどね、これはマンガだし…)癒していくという物語は、私にとって本当に
描きたい世界であったし、「こういうタイプの漫画で生きていきたい」
と心底思えるものであった。

若い頃にハマった少女漫画は
萩尾望都、山岸涼子、楳図かずお…
でもそれらの大御所を越えることはもちろん
無理だし、真似をしたって陳腐で滑稽な漫画に
しかならない。

越えなくてもいいし、真似をしたいわけじゃない。

私なりのスタイルの漫画を見つけて
描くことはできるはずだ!
私だってできるはず!


無名の売れない漫画家であっても、
自分が「これ好き!」と思える漫画を描けることほど
幸せなことってないんだよ。



第9話「メンズエステに来た女」のあらすじはこうです。

29歳の五月女若菜は男装をしてメンズエステに
やってきた。
なぜわざわざ男のふりまでして男性専用のエステに
やって来たかというと、ある悩みがあって…。

それはもうすぐ30歳だというのに、男性経験がないということ。
何人か彼氏はできたことはあるが、どうしても体の関係まで
至ることができず避け続け、結局愛想をつかされてフラれる…と
いうことを繰り返していた。

なので「もしかしたら自分は恋愛対象は女性なのか?」という
迷いがあって、メンエス嬢の施術をうける。
自分の本当の気持ちがわかるかもしれない…という期待があった。

つまり若菜が確かめたかったことは、「自分はレズビアンなのではないか?」ということだった。
だけどそうではなかった。
加恋は若菜の肌から伝わる本当の悩みを
見ることができた。


若菜の体に巻き付く細い糸。
母親からの過干渉によって幼いころから
丁寧にじっくりねっとりと巻き付けられた糸によって
若菜の心と体は縛られて身動きができなくなっていた。

母親の干渉に気づいて、家を出て離れることが
できて、もう自由になったはずなのに
いつでも若菜の思考は母親に縛られていて
特に異性との関係となると、特にきつく縛られていた。

加恋はその糸をたちきる言葉を若菜に投げ掛け
優しく体をほぐす。

若菜を縛っていた細い糸は、鎖でもなくロープでもなく、
あくまでも糸であって、
自分でもたちきることができるんだと
気づく。というお話。


「娘」は「母親」に苦しめられる。それはきっと逃れられない。母親はねっとりとした糸を娘に巻き付ける。

でも…

その糸は自分で切ることができる。
絶対できる。
どんな娘も、そうやって成長してきた。

母親が悪いわけじゃない。
「母親」という役割が娘にとってやっかいなだけ。

「私は母親のようにはならない」
という娘の生き方は正しい。
だって母親と娘は違う人間であるはずだから。



「メンエス嬢加恋・職業は恋愛です」は次回最終回です



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