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眞子さまの結婚
眞子さまのご結婚に反対という人は、一度、ゆっくりとなぜそう思うか自分の心の中を整理確認して見るのが良いかと思う。それは、天皇制に対する向き合いかたを考えることとなる。
なんであんな男とわざわざ結婚するのというレベルの心配ならば、まずは、わからなくもない近所の噂レベルの心配事だが、ご本人が、全てを捨ててもというくらいの思いであるなら、失敗しても良いから、頑張ってみろと言ってあげるのが 普通 だろう。出会い自体も難しく、ダメなら次の男を探すということも難しい。そう環境にいるのだ。皇室だから、勝手は許されないと言いたいならあなたは、皇室になにを期待しているのか。
一度たりとも歴史における天皇制というものの功罪について、国民主権という近代基本権との関わりについて、そもそも権力の幻想性ということについて考えたことがあるのだろうか。
それをいちばん考えていたのが、実は、いまの上皇であったいう逆説がすべてを象徴しているのかもしれない。
象徴天皇であるために何をせねばならないか、象徴とは何か、ずっと考えて行動してこられた。そうでなければ、現代において天皇であることはできなかったのだ。
象徴天皇制という戦後の無理くりな制度を本心から支えようと考えてこられたのが当の天皇であった。国民は、ボケたように象徴天皇制という虚構を検証しようともしなかった。
天皇制は、現在においては、あってもなくても良いものだ。むしろ、権力的には完全否定されていれる。それを必要としたいと思う者は、己の中の欠如に耐える力のないものである。美しい日本などと自分の品性を棚に上げて寄りかかる者である。天皇制を無前提と考えるものは、考える力なき者である。天皇制が戦争にどう機能してしまったのか、考えたこともない。
一人上皇本人のみがこの矛盾を誠実に生き抜いた。
皇室は、千年以上も続いている、それゆえにそれだけで特別だ、有難いと感じる者もいるだろう。しかし、それは、文化財を大切にしたいということと同じである。
その存続のために、皇室の中に生まれてしまった者はじつに不自由で歪められた生を生きねばならないのか。国民の曖昧な欲望の下で檻の中で生きよと言われるのか。彼らは神ではなく人間であると宣言しているのに。
皇室を博物学的希少性故残せというなら、皇室に生きる方達の規範をゆるめて差し上げるべきだろう。
皇室の象徴性や国民一体化効果に酔いたいなら、その相対性と己の弱さを自覚すべきだろう。
根源において権力の幻想性に気づかない日本人こそが目出たく、危ない。