かすみ草とステラと怒り
青春とは悔しいものだ。
青春が、だけではないが。
かすみ草とステラの楽曲は青春に生きる人のさまざまな側面を描く。それは多くのアイドルソングに共通するものだし、大人になってしまった後だから感じるノスタルジックな甘酸っぱさを、等身大の少女たちが描き出す美しさがある。
楽曲の世界観はそうなのだが、それがライブで演じられるとき、そこに通奏低音として悔しさや怒りが響いている、時としてそんな響きをからだで受け止めているように感じる。大地を拳で叩きつけずにはいられない、そんな痛切な思いすら感じる。
それが表立って現れているわけではない。彼女たちはそれを昇華させたアイコンとして、アイドルの舞台に立っている。
しかし、代表曲の一つ『青より青く』で小柴美羽が「青春は線香花火のよう」と歌うとき、その美しさはたくさんの悔しい思いや怒りをくぐり抜けてきたから、輝く声としてある。「言葉では伝えきれない 思いがこんなにあるんだよ」と皆が歌うまで、それぞれがどれだけの思いを抱えてきたか。彼女らが悔しい思い、怒りをたくさん抱えてきたゆえに、それらが楽曲を通じて昇華され、深い輝きとなっていることを感じる。
『青より青く』はかすみ草とステラの代表曲の一つだが、歌詞はむしろあいまいで、完成された世界ではない。だがだからこそ、彼女たちのパフォーマンスを妨げることなく、幾つもの特徴的なフレーズに彼女らが全力で自分たちの思いをこめて歌うことができるようになっている。一曲のなかに、それぞれのメンバーのたくさんの思いが現れてくる。これからも、たくさんのことに出会い、感じたことが、新しい意味をこの曲にもたらすだろう。
『正夢の少女』『春風』など、自分たちの思いを載せやすい楽曲があることは強みだと思う。
そして、怒りを前面に出したのは『カタルシス・ダンス』。こちらの怒りはパフォーマンスとして演じられるものだが、アオハル楽曲の通奏低音と響き合っていくことだろう。
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