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タイトル未定 川本空さんがくれた意味
川本空ちゃんの卒業が発表されカウントダウンが始まった頃、ちょうど物理学者パウリの「ピアノレッスン」について読んで、考えたりしていた。彼は量子力学の創成期を担う一人であり、これまでの世界観が根抵から揺るがされるなか、旧来当たり前であった世界観と新たな知見とが自らの内で調和しないことに苦悩し、それを「ピアノレッスン」の夢を通じて一定の解決に至ったという。
その内容は天才ならではのものと思われ、まだ咀嚼できていないけれど、彼が調和を図ろうとしたのは、時間と永遠の関係、そして時間に属する言葉と永遠に属する意味の関係。それは相反するものではなく、ピアノの白鍵と黒鍵のように異なるものでありながら調和するものだと腑に落ちたようだ。
流れる時間のなかに生まれる言葉と、永遠である一瞬からもたらされる意味と。
私たちは普段、言葉に意味があるように思いこんでいるけれど、言葉と意味は異なる次元にあるもので、生きるうえで大切なのは意味なのであって言葉ではない(ここに「初めにコトバありき」というような言葉を持ち出すとわからなくなるけど、それはここではおいておく)。
言葉に意味がもたらされる(私たちが言葉に意味があるように感じる)のは、いわば永遠の次元からもたらされる意味がその言葉にあるように感じる、偶然に過ぎないということ。
そんなことを考えていると、川本空ちゃんは意味をもたらす人だったなあ、と感じる。
いくつかの曲で彼女は歌い出しを担当していたけど、例えば「灯火」。
その歌い出しに広がってくる世界にいつもびっくりしてしまう。描かれる情景は暗い部屋に孤独にいるような感じだけど、ただそれだけでない、何か想像もしていないような深い世界が開かれるのを感じていた。
そして、曲の終わりの方で、冨樫さんの歌う「灯火 日々照らすこの道」に続いて(彼女の声は此岸と彼岸のあわいに響く。そこに特別な広がりが生まれる。)、川本さんが「灯火 導いてくれる君」を歌い終わった瞬間、完全に時間がなくなること(時間が止まるというよりも)を感じたりはしなかっただろうか。
川本曲と言われる「僕ら」もだけど、例えば「栞」での「明日のことは言わない 強がり」とか、「群青」での「ねぇ早く連れてって 見たことのない場所へ」とか。深い空の彼方へいざなわれている感じがいつもしていた。
タイトル未定の楽曲は、何者でもない今を大切に、というコンセプトにあるように、青春のときとそれを越えようとする等身大の今が描かれているけれども、そうしたストーリー(時間の流れ)のなかに、宇宙のどこかからとんでもない意味をもたらしてくれた、川本空ちゃんはそういう歌い手であったのではないか、そんなことを思う。その規格外の意味のどでかさは一見楽曲の世界を超越するようでいて、そして、それをも包み込んで、タイトル未定はタイトル未定であり続けたのだとも。
(彼女自身は、いわゆる楽曲の世界におさまりきれない苦しさもあったのかもしれないなあ。)
道新ホールでの卒業公演、カバー曲として前日に発表された「なまらめんこいギャル」の熱狂、なんだかわかんないけど、それしか覚えていないくらい(笑)楽しかった、それはわかりやすい一例だと思うけれど、タイトル未定の歌を歌っているときも、そのくらいとんでもないものを持ちこんでいた、そんなことを今は思う。
そして。
川本空ちゃんがもたらしてくれた意味は、時間ではなくて永遠に属するもの。だとしたら、きっといつまでも消えないものだとも思う。
以前、ちくわの中空構造に触れたことがあるけど、4人体制のタイトル未定は0番のセンターが空いていることが多かった。センターにメンバーは立っていないのだけど、でもそこは空いているのではなく、タイトル未定の核となる何かがそこにあったのだと気づかされたのは5人体制のライブを見てから。
センターにメンバーがいて、シンメトリーにパフォーマンスが繰り広げられる様は、全く違った印象をもたらして、センターがあるとこんなに違うんだと思いつつも、4人のときも中心が確かにそこにあったことを思い知らされた。
5人の新体制になったタイトル未定がこれからどんな景色を見せてくれるのか、楽しみにしたい。