青春群像、前から見るか?後から見るか?

 まったく奇跡のような夜だった。
 青春時代にのみ訪れるような、そんな夜だった。
 星はきらきらとまたたき、空全体は明るく輝き、ほら、こんな空を見上げていると、思わず知らず、心に問いが浮かんでくる。このような素敵な空の下でもやっぱり、怒りっぽい人、気まぐれな人、わがままな人たちが、生きているなんてことが、いったいありえるだろうか。
 そう、これがいかにも若者らしい問いだということは僕にもわかっている。たしかにいかにも若者らしい問いではあるけれど、神様があなたの心に、この問いかけを送ってくださる機会が多からんことを!
(ドストエフスキー『白夜』より)

 タイトル未定の楽曲は複層的な構造を持つものが多いけれど、なかでも「青春群像」は多層多重な構造を持っている。それは端的には終盤に現れていて、♪「踏切」沿いの帰り道で「いつか」の「主題歌」が流れていた、のようにアルバム曲の題名やキーワードが散りばめられている。
 このような作為は言葉遊びに終わりがちだけれど、そうとはならず、それぞれの言葉に元曲の世界観が埋め込まれて聞こえるのは彼女たちの力だろう。ライブではここは一フレーズごとに次のメンバーに手渡しながら歌われていて、言葉が白珠のように輝き、つながりあって照らしあっている様は、さながらインドラの網のよう。星が瞬いている、煌めいている、とはそういうことでもあるし、星とは青春を生きる(それだけでなくともよい)人たちを指してもいる。

 そんな複層的な構造を持つことに加えて、この曲は前から見るか、後から見るかによっても異なる輝きを持つ、そう気づかせてくれたのは8月25日の木曜定期公演第1部だった。
 この日はコスプレ公演でロリータファッション。かわいらしい衣装であらわれた彼女たちだが、最初に歌ったのはなんと「薄明光線」。「小さい頃からどこか感じてたんだ」と歌いはじめるのは、いつもは大人になってからの視点であるけれども、この日は彼女たちのなかの少女がそのまま歌っているかのようだった。「薄明光線」は、確かに大人になってからの歌ではあるけれども、叫び声をあげているのは小さいあの頃の僕である。その叫び声が目の前に顕れている、この「薄明光線」は特別なステージになっていた。続く「道標」も、少女のときの物語と捉え返したときにはいつもと違った奥行きを見せてくれる。
 そして、第一部の最後が「青春群像」だつた。

 「青春群像」という曲を前から見るとは「嘘など何一つなくって 心のままに自分を生きている」ときから見ること、後から見るとは「優しい嘘も覚えちゃって のぞんでいた未来じゃなくても」のときから見ること。
 もちろん、この歌は後からの視点で書かれたものだし、これまで当たり前のように後からの視点、「優しい嘘も覚えちゃって のぞんでいた未来じゃなくても」の地点からこの曲を聴いていた。「嘘など何一つなく」生きているときには、嘘という言葉すら浮かんではこないだろう。(嘘という言葉を認識したからといって嘘をつく必要はないけれども、嘘など何一つないときにこうは言えない。)
 けれども、そんな時を生きている人の歌として、その視点からこの曲を捉え直してみると、「優しい嘘」も「のぞんでいた未来」ではない未来というのも、後からの視点では見えないものではないだろうか、と気づく。大人になると、そんなことがあったことすら、そんなことを思ったことすら忘れてしまう。だからこれは、後から見た歌ではなく、前から見た、つまり嘘など何一つなく心のままに自分を生きている自分から将来を見通した歌として捉えられるのではないだろうか。

 青春から遠く離れたとき、もちろん嘘はつくかも知れないけれども、そのとき、自分がついている嘘を「優しい嘘」と捉えることはないだろう。そのような言い方があることは知っているけれども。
 また、現在が自分の望んでいた未来でなかったとしても(ほとんどの場合そうであろう)、それを青春のときに望んでいた未来ではないこととして捉えることはないのではないか。仕方がなかった未来として、現在を受けとめることはあるにしても。

 そう考えると、「青春群像」とは青春を生きる人自らが、将来に描く憧憬を見通している、そんな歌であるように思う。

 そして、それだから、すでに青春から遠く遠ざかった人にとって、この歌に出会うことは、もう一度そのときに連れて行ってくれる、そんな歌になっているように感じる。
 そういう人にとって、この歌を聞くとき、今生きているこのときを、青春を生きている自分からの視点で照射してくれるのではないか。今の嘘は「優しい嘘」だろうか、今立っているところは「望んでいた未来」とどのくらい距たっているのだろうか、と。
 それは青くさい感想かも知れない。けれど、そう思える瞬間を持てることは、とても大切なことではないだろうか。

 6畳1Kの狭い部屋にいつの間にか集まって一升瓶を空けたりしていたたくさんの夜のことを思い出しながら、そんなことを思っている。

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