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オカネに関する知識について集めた美術館をweb上で創りたいー続々編ー
前回までで、ideaのタネ→ideaがinitiativeに具現化されていくプロセスについてお話しました。
1. initiativeのedgeが何であるか、つまり全体として何が範囲内で何が範囲外であるかを明確にするために宇宙に耳を傾ける。
2. edgeを守ることで、initiativeの完全性を維持する。
3.initiative全体として次のステップを感じ取りそれを決定し行動する。
4.creative fieldをspecific source役と共有する。
今日はsourceが行う業務のうち、上記1 について深堀りしたいと思います。
※2〜4は一緒にやりたいという賛同者が集まってきたら確認するステップですね。
edgeに関係なく、私のcreative fieldの中に何が入っているのか?を羅列してみます。
・オカネに関する知識を蓄積する
・wikipediaのような誰でも編集可能なプラットフォーム
・web上で展開
・非営利目的(セミナーや教材購入の勧誘はしない)
・美術館であるということ
1つ1つ、edgeを確認していきましょう。
・オカネに関する知識を蓄積する
→こだわりたい事項として、誰かの経験から学習したものを展示したい。ということ。手触り感のある生きた経験を伝えていきたい。つまり、同じように見える1つの事項について複数のアプローチを展示する。ということです。ここがedgeだと考えます。問いと答えを置くのではなく、問いとアプローチを数多くサンプル展示する。というカタチが、参考書やセミナーとは全く異なる概念であると言えます。
・wikipediaのような誰でも編集可能なプラットフォーム
→先生と生徒という関係は一見分かりやすいですが、自然の摂理には根本から反します。正解を追い求める現代社会は、誰がだれのために生きているのか?が分からなくなるようなシステムに陥ってしまっています。
なので、全員先生であり、全員が生徒であるというシステムを標榜します。現存するもので言えばwikipediaが近いイメージでしょう。
・web上で展開
→リアルで考えるのは非効率な時代になりました。私は、流れが早い(スムーズ)な事こそ自由であると定義します。逆に、不自由とは平衡である事です。(動的平衡ではありません。完全なる平衡状態)
これで言うと、現在の社会で最も流れが早くスムーズなのはweb上です。数年前は東京という物理的立地だったと思いますが今は違います。web上は世界とも簡単に繋がっています。国境を超えるのにパスポートは不要です。データベースを多言語に変換する事も、そう遠くない未来に可能になるでしょう。
・非営利目的(セミナーや教材購入の勧誘はしない)
→問いに対する正解を展示する場ではないので、その美術館を訪れた人に営利目的の追加提案をするのは野暮だと考えます。メールアドレス等を取得し、後日営業メールが来る。みたいな仕組みは正直ウザい。
しかし、訪問者が自らの意思で選べるような導線はあっても良いかな?このへんはまだedgeが不明瞭かもしれません。
・美術館であるということ
これからの時代のキーワードはARTだと断言したい。芸術は優劣が無いですよね?同じように、人間には優劣は無いのです。資本主義というモノサシを当てるから、無かった優劣が存在するように見えてしまうのです。
よって、いかに生きるか?なんのために生きるか?をARTの立場から考えましょう。というのがコアコンセプトです。
ムソルグスキー: 組曲「展覧会の絵」みたいな構成なんか良いのではないでしょうか?色々巡ってきて、プロムナードに戻ってきて、また色々巡って……。テンポも違って当然、だって人間なんだから。みんな違うけどみんな同じであるという全体性を感じる場所であれば良いなぁと思います。
はい、というようにedgeを定義したらだんだん見えてきました。
edgeは上記のようなものですが、一番中心にあるコアコンセプトは、自分とつながる、です。
背が大きくても小さくてもアナタは完全なる存在だ
社交的でも内向的もアナタは完全なる存在だ
仕事が大好きでも仕事が嫌いでもアナタは完全なる存在なのです
そして、自分が自分であるという事、自分とつながる事、を阻害しているのはオカネだったりします。
空気を吸っている事を忘れてしまう時があるように、今の我々はオカネの奴隷になっている瞬間が数多くあります。そして、奴隷状態というものは、自分らしさの放棄であるのです。学校教育であっても、それは政治や社会がベースにあってそれに適応するようにプログラミングされたものですから、教育にも無意識的にオカネの奴隷にさせるような流れが見受けられます。
我々は、何度も何度も上書きされているのです。
その常識という皮を剥いで、自分につながる必要があります。
そのためには、オカネという道具を使って自分を見てみるのが普遍的で良いと考えています。