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良い人を装うと周りには嫌いな人ばかりが集まってくるという、にわかに信じられないような真実
良い人と見られたい
良い人だと思われたい
このような願望は、自分自身を知らず識らずのうちに蝕むものだと言えます。非常にキケン。
実際に、表面上(見た目・言動)は他責にしない人間がいたとして、その人の周りには他責にする人間ばかりが集まる事は往々にしてあります。一体何故でしょうか?
本題に入る前に前提の確認を
抑圧、という言葉があります。腹が立ったけれども、グッと堪えるというアレですね。この抑圧、意識レベルでどうこうできるものではない。という真実に気付いている人は極めて少ないと言えます。アンガーマネジメントについて、私はかなり否定的です。そもそも、マネジメントという言葉が好きじゃない。人間の意識レベルではどうにもならない事ばかりなのです…世の中は。
この「怒りを感じる前に抑制する」という行為は、副作用として「喜びも感じなくなる」という代償を伴います。これが動物らしさを失っていき、人生に色彩が欠けていく要因になるのです。
「怒りを感じる前に抑制する」から
↓
「怒りをちゃんと感じて怒る」へと段階を踏んでみて
↓
「怒りをきちんと感じるがそれを表出するかどうか選択できる」
というように在り方自体を変えないと人生は好転しません。
抑圧が強いと喜びを感じなくなる。と書きましたが、嫌な事すら嫌だと感じなくなるとも言えます。無感情な人間が出来上がるのです。これを、私の師匠の天外伺朗さんは「情動のフタがきつく締まっている」と呼んでいます。とても分かりやすい表現ですね。
自分の中から泡のように湧いてくる情動
さびしい・悲しい・空虚・批判・逃げたい・怒り・喜び
このような情動をきちんと感じながら、毎日をしっかり踏みしめるように生きている人は本当に少ないです。
このように生きている人は、ともすると一般的社会人像から逸脱して見えます。破天荒な人に見えるかもしれません。
しかし、他人からどう見られたいか?よりも、自分が自分らしく自己一致して生きる事のほうがよほど大切だと思いませんか?
大丈夫、破天荒な生き方だとしても、世間はさほどアナタに関心はありません笑
さて、本題へ
表面上(見た目・言動)は他責にしない人間がいたとして、その人の周りには他責にする人間ばかりが集まる
どうして他責にしない生き方をしている人の周りに、他責にする人間ばかりが集まるのでしょうか?
これは、他責はいけないことだと無意識に抑制している可能性が非常に高いです。抑制するという事は、情動が浮かび上がってきているのにそれを受け止めずにいるという事。ここで浮かび上がってきている情動とは、他人のせいにしたいという願望に他なりません。
その人の深層心理には、自分の不幸な出来事(恵まれていない事)を他人のせいにしたい!という願望があるのです。しかし、それをする(言う)のは良くないと抑圧している。認識できないレベルで起こっているのですが、まぎれもなく事実です。
※まずはこの不都合な事実を受け容れる事からスタートです。不都合な事実を受け入れていく過程を「実存的危機」と呼んだりしています。
このような抑圧が、その人の内面にシャドー(モンスター)として強く出ます。結果、そのシャドーに強く引き付けられるように、その人の周りに他責にする人たちが多く集まるのです。
ではどうすれば?
何よりも抑圧をほどく事が大事です。抑圧をほどく為には、きつく締まっている情動のフタをゆっくりほどいていくプロセスが必要です。
怒り・悲しみ等をきちんと感じる事です。
そして、これらは…この抑圧は意識レベルでどうこうできるものではないので、瞑想によって自分の深層心理にアクセスするのがより効果的であると言えます。日常(意識)からアクセスしようとすると、世間体という何層にも塗り重ねて強化された自動的反応を超える事ができません。
瞑想をたんたんと続けると、情動のフタが緩みだし「実存的危機」から「実存的変容」へと向かい出すのです。
さて告知です。
そんな私の師匠の天外伺朗さんと一緒にイベントを開催します。
2021年7月13日火曜日 20時〜21時30分 オンライン開催
自然経営研究会 Monthly Conference
組織の変容に必要不可欠な「経営者の実存的変容」
是非「実存的変容」の片鱗を味わいに来てください。
天外塾卒業生が「実存的変容」を経ていかに人生の見え方が変わったか?とても良い時間になると思います。