競争や比較すること、これが起こるメカニズムって何だろうって考察
私自身の話を書きます。
中学生までの自分は、自分の意思というものを持っていなかったように思います。親の決めてきた習い事をして、親が指定した高校に進学し、大好きだったサッカーも辞めろと言われてやめました。
高校に進学し、自由な校風の中で迷子になりました。
高校生というのは多感な時期であるだけでなく、勉強する内容も複雑化します。親も口出しできないような領域だったのでしょう…。何も言わなくなったのです。別の言い方をすると、指示命令がなくなってどうして良いか分からなくなった。
クラスメイトは自由を謳歌し、自分で決め、自分で動き、自分の足で人生を踏みしめているように見えました。
しかし、自分はどうして良いか?分からない。
正確に言うと、どうしたら良いか?は分かりますが、その判断が合っているか?が分からなくなったのです。クラスメイトや高校の先生は、バックキャスティングで未来を描いていました。
「将来は理系の大学に行って、製薬会社とかで開発の仕事をしたい」
このように、明確な夢や目標があったのです。無論、私にそんなものがあるわけもない…。将来の事どころか、明日の事も考えていなかったので当然でしょう。明日をどう生きるかすら、指示命令を乞いていたのですから。
まるで突然、言葉も通じない外国に放り出された感覚でした。
私は現実から逃げました。
ただ、逃げたと思われたくなかった。
自分の強みは勉強ができる事だと思っていたので、勉強ができなくなる(成績が下がる)事は自我の崩壊を意味します。
※勉強ができるのではなく、親の監視の下、人の何倍も机にかじりついていたので、頭が良かった訳ではないのですが苦笑。あの頃はそれすらも分かりませんでしたねぇ…。
俺はミュージシャンになる!とでも言わんばかりに、下手なギターにのめり込むようになります。
成績が下がっても言い訳ができるようにです←恥ずかしい限り
と、同時に他人を見下すような態度を取り始めます。
「お前らは社会のレールにのっていくんだろ?俺はそんな鎖で繋がれたような人生はまっぴらゴメンだぜ」
「学校の成績が良くてなんなの?それはお前の人生を豊かにしてくれるの?」
こんな言動が目立つように笑
完全にイタイ人です……。
自分が逃げている(自覚は無かったです)ので、その逃げているという証拠が目の前に出てくると不都合なのです。なので、先に相手を歪めておく。という行為。
自分の立っている場所が斜めなのに、相手が立っている場所が斜めだよ!と先に相手に言う。
競争や比較とは、自分の心に埋められないものがあって、それを埋めるように貪る行為です。
自分の心は○なのに、△を押し込もうとしてもがき苦しむ。
どうか……自分のこころを見つけてほしい。○なのか□なのか△なのか、カタチは様々だと思うけど、自分の歪なところも含めて抱きしめてほしい。
たとえ友人のこころが綺麗に見えても、それを羨ましいと思わず、もちろん競争比較することなく、自分のこころと向き合ってほしい。
今、お仕事で満たされない感じを持っている人
馬車馬のように働き続けないと不安な人
自分が何者か分からず迷子になっている人
つい他人と自分を比較してしまう人
すべての出発点は、自分自身のこころです。
信じられないかもしれませんが、自分の外側の世界を形成しているのは自分の内側の世界です。内側が整うと外側が整います。世界はどこまでも綺麗で美しい世界になるのです。
私は内側の世界を整えるため、師のもとでトレーニングをしました。
自分一人では解決が難しいと思います。
信頼できる師匠と、そこに集まる仲間がいて、自分のこころを見てみようかな?という勇気が出るものだと思っています。
競争や比較の心が生じたら、自分の内面を反射しているものだ。と受け取り、自分自身とつながる旅にも興味を持っていただけたら…と思います。
何故なら、世の中はどこまで美しいものだから